十勝の活性化を考える会

     
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渋沢栄一と十勝開墾合資会社

2019-10-27 05:00:00 | 投稿

 

令和元年918日、清水町主催のふるさと講座史跡巡りバスツアーに参加し、実質的創業者である渋沢栄一が作った「十勝開墾合資会社」熊牛農場を見てきた。渋沢栄一と十勝開墾合資会社は別添のとおりであるが、渋沢栄一は「日本資本主義の父」とも言われる日本経済の発展に尽くした人物。なお、主演の吉沢亮を擁して、2021年の大河ドラマ青天を衝けで主役のモデルになり、2024年からの新1万円札紙幣の自画像にもなる予定である。

 

現在の熊石農場を所有している人から「十勝開墾合資会社」の説明があり、十勝清水町の歴史の一端が分かった。また、同敷地内には、江戸時代に生えたらしい樹齢が約400年の大きなカシワの木があり、歴史をひも解くバスツアーになった。

 

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注) 渋沢栄一

渋沢 栄一は、日本実業家慈善家

江戸時代末期に農民名主身分)から武士幕臣)に取り立てられ、明治政府では大蔵少輔事務取扱となり、大蔵大輔井上馨の下で財政政策を行った。退官後は実業家に転じ、第一国立銀行理化学研究所東京証券取引所といった多種多様な会社の設立、経営に関わり、二松學舍第3代舎長(現、二松学舎大学)を務めた他、商法講習所(現、一橋大学)、大倉商業学校(現、東京経済大学)の設立にも尽力し、それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称される。また、論語を通じた経営哲学でも広く知られている。令和6年(2024年)より新紙幣一万円札の顔となる。令和3年(2021年)放送のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公のモデルとなる。

天保11年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現、埼玉県深谷市)に父、渋沢市郎右衛門元助(1810年 - 1871年)、母、エイの長男として生まれた。渋沢成一郎は従兄にあたる。

渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける豪農だった。原料の買い入れと販売を担うため、一般的な農家と異なり、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められた。市三郎も父と共に信州や上州まで藍を売り歩き、藍葉を仕入れる作業も行った。14歳の時からは単身で藍葉の仕入れに出かけるようになり、この時の経験がヨーロッパ時代の経済システムを吸収しやすい素地を作り出し、後の現実的な合理主義思想に繋がったといわれる。

 

大蔵省時代

第一国立銀行ほか、東京瓦斯東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)王子製紙(現・王子製紙日本製紙)、田園都市(現・東京急行電鉄)、帝国ホテル秩父鉄道京阪電気鉄道東京証券取引所麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)、サッポロビール(現・サッポロホールディングス)、東洋紡績(現・東洋紡)大日本製糖明治製糖澁澤倉庫など、多種多様の会社設立に関わり、その数は500以上といわれている。

1887年ころには、渋沢を慕う経営者や管理職が集まる龍門社が組織され、昭和初期には数千名の会員を数えた。

渋沢は財界引退後に「渋沢同族株式会社」を創設し、これを中心とする企業群が後に「渋沢財閥」と呼ばれたこともあったが、これは死後の財産争いを防止するために便宜的に持株会社化したもので、渋沢同族株式会社の保有する株は会社の株の2割以下、ほとんどの場合は数パーセントにも満たないものだった。 昭和6年(1931年) 死去。享年92。

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

注) 十勝開墾合資会社

 

 

 


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