仏教用語に自利他利という言葉がある。自利他利とは、『仏教の修行者や求道者がみずから修行を積んで、自身がその結果を得るものを自利という。これに対して、生きとし生けるものの救済のために実践するのを利他といい、自利と利他との完全な調和に大乗仏教の目的がある。(ブリタニカ辞典より)』
私は大学に入って空手部に入部したが、当時の監督は、いつも他利のことを考えていたのではないかと思っている。そうでなければ、他大学出身の人が30年間の長期間にわたって監督を引き受けてくれるわけがない。
唐突になるが、人間にはこのような師弟関係や、持ちつ持たれつという関係、また奉仕の精神が必要だと思っている。そのような意味で監督の偉大さに対して、感謝や脱帽するしかない。
現在、部員数が4~5名なので、廃部にならないかと心配している。文科系や体育系に限らず、人間関係を醸成するためにクラブに入部しないことは正にもったいないと思っている。私が脳出血による介護3を克服できたのは、空手部のおかげだと思っている。人間は、ひとりでは生きていけないのである。そして、水泳の池江璃花子選手が言ったように“努力は人を裏切らない”のである。
監督は昨年、享年85歳で天国に旅立ったが、“人間の役割”を考えてみた。私は年齢71歳だから、寿命に近づいているのは間違いないが、現役を退いてから好きな趣味などに精力をつぎ込むのも良いだろう。ただ、人間は生きた証として、ボランティア活動など“他利”で生きることも大切だと思っている。それが、人間の役割ではないのだろうか。
話は変わるが、先日、“馬文化”の講演を聞きに帯広畜産大学に行ってきた。この大学でも女子学生の比率が約7割で、女性の進出が目立っている。男子学生は、どのようなクラブに入っているのであろうか。大学では、オンライン授業などで友人を作る機会が減っており、是非とも人生の友人となる人を作ってほしい。
「憂国」の本を書いたのは三島由紀夫氏で、“楯の会”の同志と共に自衛隊員に決起を促したが不調に終わった。女性の社会進出はとても良いことであるが、日本の国に対して憂国を感じるのは、三島由紀夫氏だけであろうか・・・。
『十勝の活性化を考える会』会員