白神仙人の山の徒然

山登りは自分との戦いと思って妻を無理やり山女に教育していたが
最近は妻のほうが山登りが早くなった。

フェリー旅・・・№8

2019-04-29 12:20:04 | 日々の生活

琵琶湖からつながる穀倉地帯から急にせり上がった小谷城はなるほどと思える

山城でした。時間があれば山頂まで行きたかったが遠くから見る地形でもこれ

は難敵な山城であったことをうかがえる。

この地に来る前には姉川合戦の小川を見ました。当時は川幅も広くて敵の侵入の

伏せぐに有利な地形であったと思われたが、今はよほど興味のないと普通の堰に

見えます。

現在の小谷城のある道を歩いてみました。時間があれば山道を登りたかったが

この後のスケジュールあるので、兵(つわもの)者の夢のあとを偲んで今宵の宿

へ向かいます。

今回の旅のスケジュールに小谷城は入っていませんでしたが、ラッキナ見学に

なったね・・・仙人はこの様な現地を見るのが好きなのです。

 

 


フェリーの旅・・・№7

2019-04-29 11:54:20 | 日々の生活

 彦根市に入ったら少し車の量が多くなったが、大阪付近の高速から比べると

余裕をもって彦根城へナビの案内通りに無事に到着。駐車料金も良心的な設定

になっているので気持ちが良かった。

 彦根は戦国時代から街道の重要拠点として井伊直正を西国諸侯の抑えとして

家康が築くようにした城だけあって、実践に即して力強い城に思いながら天守

閣まで登ったが、急な階段には驚いた。

鎧武者に歓迎されました。

掘りを遊覧するのもいいね

琵琶湖が眺望できました。

頑丈な骨組みです

この橋はよくテレビに出ているようです。

彦根城の見取り図

サクラは終わっていたがトテモ桜の季節には良いところと思いながら歩きました。

十分に彦根城を見たので、これから長浜の宿豊公荘へ行く前に戦国時代に

織田信長を散々苦しめた小谷城跡に寄って見ることにした。

 

 


フェリーの旅・・・№6

2019-04-29 11:32:06 | 日々の生活

 今日は順調に計画に沿って走ることが出来た。忍者屋敷からは近い様なので信楽焼きを十分に

楽しめそうだと思いながら走ると国道脇に甲賀市看板が見られるようになった。戦国時代は互い

に忍び技を戦国大名に売りながら現在に伝えるのもなんか不思議な感じがする。信楽焼もこの周

辺にあるようなので、沿道に焼き物や窯の煙突が見られる。詳しいことは分からないので信楽村

にナビをセットして走っているので取り合えず信楽焼村に到着。

狸の焼き物が道沿いにたくさん並んでいるのに驚いた。

こんなものもあった。

あまりにも焼き物が多くて目移りが激しくてなかなか買うことが出来なかったが

仙人専用のコーヒーカップを買いました。

窯元や店が多いので戸惑いながらも数か所のお店に入って焼き物の美を感じたが

詳しいことはマッタク分かりません。ただ値段を見て驚いていたばかり、これから

彦根城へ向かいます。

 


フェリーの旅・・・№5

2019-04-29 04:54:52 | 日々の生活

 朝食をすませて、8時過ぎに伊賀の忍者屋敷駐車場には迷うことなく無事に到着。

駐車場の受付さんから付近の観光案内図を頂いて公園に向かって登っていくと、松

尾芭蕉記念館の案内があったので覗いてみた。時間的に早いので開園はしていませ

んが外観だけもと思い見ただけです。

松尾芭蕉伊賀出身なので忍者であったと俗説もあったことを思い出した。

藤堂高虎は築城の名手と言われて色々な城を縄張りをしています。

日本一高い石垣を覗いてみたら高かった。

忍者屋敷の隣に松尾芭蕉を偲んで建てた記念館がありましたが、入ることが

出来ませんでした。

この建物は実際に住んでいた忍者屋敷を移築した屋敷でした。

最後に観光用の忍者にあって話を聞いてみたら、実際の忍者はこの様な恰好は

していないとの説明であった。江戸時代に歌舞伎で現代に伝わるような服装に

なったが、実際は野良仕事をしている姿であったようです。

それに伊賀地区に広く点在していいてそれぞれに忍者の仕事があるときに忍者

の仕事をし、普段は田んぼや畑で働いていた。

こんなわけで小説で読むような忍者はいなかった様だ・・・さぁ~これから信楽

に向かって走ります。