今日はモスクワ放送交響楽団のコンサートに部員たちと一緒に行った。リハーサルも少し公開してくれるとのことで、普段なかなか見たり聞いたりできないことを実際に目にできることはそれだけでも素晴らしい。ウチの部員も年に2回はオーケストラをコンサートで聴いているね。吹奏楽も含めれば3ヶ月に一度はコンサートに足を運んでいるくらいだろうか?とてもいいことだと思う。
さて、演奏のほうはというと、これはとてもいい演奏だった。全てチャイコフスキーのプログラムで、本場ロシアのオーケストラの本領発揮といったところ。いちいち説明すればきりがないが、弦セクションの充実に驚き。コントラバスの最上段に一列に10人の配置(リハーサル写真)や第1バイオリン、第2バイオリンのあの配置であれだけのアンサンブルができるということは、プレーヤーの能力は相当高い。プロだから当たり前かとは思うが、プロの楽団であの配置であれだけの演奏ができる楽団は多くないだろう。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲もすばらしい演奏。この前、たまたま『のだめカンタービレ』の録画を見たところなので、その中の指揮者コンクールのシーンが頭に広がってしまい、「チアキサマ!」ってな「マスミチャン」の顔が浮かんでおちおち聞いていられない困ったことがあったが、とにかくソリストの川久保賜紀さんの卓越した技術が感動的。
メインプログラムの交響曲第6番『悲愴』は一楽章から完全に世界に引き込まれた。やはり弦セクションの美しさに圧倒される。また、管セクションも良いプレーを見せ、トロンボーンのコラールも美しかった。演奏後は彼らも満足そうだったね~。終楽章も、まさに『悲愴』。最後の最後までこの美しさは変わらなかった。
最悪なのはお客。ほとんどが浜松市民なのだろうが、まったくもって、最低である。誰だよ、バイオリンのカデンツァのしかも最高音のところで傘を落としたアホは?荷物は椅子の下って、子供の頃、学芸会で教わってないのか?義務教育以下である。まず、クラシックのコンサートではクロークで荷物預かりがあるだろうが!
『バイオリン協奏曲』の1楽章の後や『悲愴』の3楽章の後に拍手をしてしまうのは百歩譲って許そう。本当ならこのくらいの名曲は知らないと恥ずかしいが、いかにも知っていますという人よりも、「今回始めてクラシックのコンサートに来てみました」というほうが、重要だと思うし、本当に素晴らしかったら拍手も出ていいと思うという意見を佐渡裕さんも本で書いている。
『悲愴』の有名な部分(昔コーヒーのCMで流れていたところ←ジロ、古いね~)で紙をぺらぺらめくっていた小学生よ、もう一度道徳の授業で心のノートを読み、『礼儀知らずは恥知らず』のページを読みなさい。
素晴らしい響きが消えていく終曲の最後・・・美しい~って、オイ、拍手はえーよ!誰だ一番に手をたたいたヤツは!?音が消えても空気が消えてないだろーが!
浜松市は音楽の街から音楽の都をめざしているのだそうだが、教育は100年の計というから、コンサートに出かけ、それを楽しむ市民の育成には、あと100年はかかるな。
さて、演奏のほうはというと、これはとてもいい演奏だった。全てチャイコフスキーのプログラムで、本場ロシアのオーケストラの本領発揮といったところ。いちいち説明すればきりがないが、弦セクションの充実に驚き。コントラバスの最上段に一列に10人の配置(リハーサル写真)や第1バイオリン、第2バイオリンのあの配置であれだけのアンサンブルができるということは、プレーヤーの能力は相当高い。プロだから当たり前かとは思うが、プロの楽団であの配置であれだけの演奏ができる楽団は多くないだろう。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲もすばらしい演奏。この前、たまたま『のだめカンタービレ』の録画を見たところなので、その中の指揮者コンクールのシーンが頭に広がってしまい、「チアキサマ!」ってな「マスミチャン」の顔が浮かんでおちおち聞いていられない困ったことがあったが、とにかくソリストの川久保賜紀さんの卓越した技術が感動的。
メインプログラムの交響曲第6番『悲愴』は一楽章から完全に世界に引き込まれた。やはり弦セクションの美しさに圧倒される。また、管セクションも良いプレーを見せ、トロンボーンのコラールも美しかった。演奏後は彼らも満足そうだったね~。終楽章も、まさに『悲愴』。最後の最後までこの美しさは変わらなかった。
最悪なのはお客。ほとんどが浜松市民なのだろうが、まったくもって、最低である。誰だよ、バイオリンのカデンツァのしかも最高音のところで傘を落としたアホは?荷物は椅子の下って、子供の頃、学芸会で教わってないのか?義務教育以下である。まず、クラシックのコンサートではクロークで荷物預かりがあるだろうが!
『バイオリン協奏曲』の1楽章の後や『悲愴』の3楽章の後に拍手をしてしまうのは百歩譲って許そう。本当ならこのくらいの名曲は知らないと恥ずかしいが、いかにも知っていますという人よりも、「今回始めてクラシックのコンサートに来てみました」というほうが、重要だと思うし、本当に素晴らしかったら拍手も出ていいと思うという意見を佐渡裕さんも本で書いている。
『悲愴』の有名な部分(昔コーヒーのCMで流れていたところ←ジロ、古いね~)で紙をぺらぺらめくっていた小学生よ、もう一度道徳の授業で心のノートを読み、『礼儀知らずは恥知らず』のページを読みなさい。
素晴らしい響きが消えていく終曲の最後・・・美しい~って、オイ、拍手はえーよ!誰だ一番に手をたたいたヤツは!?音が消えても空気が消えてないだろーが!
浜松市は音楽の街から音楽の都をめざしているのだそうだが、教育は100年の計というから、コンサートに出かけ、それを楽しむ市民の育成には、あと100年はかかるな。