赤い水性の部屋

あくまでも赤い水性個人のページですので、吹奏楽とは関係ない内容もあります。みなさんのコメントをお待ちしています。

春よ、もう一回、来い

2020年05月31日 | Weblog
 土曜日はブログを休みましたが、今日も休むと、また再開未定の自主休業になるのが明白なので、書くことにします。何事もそうですが、思った時にやらないと、後でやろうはバカやろう、故に㒒はバカやろう・・・

 さて、5月が最終日になりました。今思えば、3月、4月、5月という季節を失った・・・とまでは言いませんが、思い出を作ることができなかったことに関しては、誰も否定しないでしょう。単純に、卒業と入学、進学、進級がなくなったということなのですが、それがどういうことか、少し教師目線で書きたいと思います。

 まだ具体的な数字や報告が耳に入って来ていませんので、あくまでも経験から来る憶測なのですが、小学校1年生や中学校1年生は不登校や不適応が増える気がします。なぜそう思うのかというと、、、

 中学に入ると、僕は1時間、「中学生で頑張りたいこと」という作文を書かせました。これは成績に入れるでもなく、担任の雑務の間の時間稼ぎに他ならないのですが、実はこの作文の内容、全員の生徒がキラキラしています。「私は英語が楽しみです。将来国際的な人になって・・・なので、予習復習に力を入れて、授業では毎回発表を頑張りたいです。」「僕は部活を頑張りたいです。そして県大会に出場するような選手になって・・・」「私が頑張りたいことは、あいさつです。あいさつは人を明るくしてくれます・・・」など、優等生と呼ばれる子だけでなく、小学校時代に保健室にこもっていた子や、ちょっと悪ガキ(言い方が古い)とよばれる非行傾向のある子も、みんな、100パー、キラキラした内容です。これを読んで、面談をしたり、家庭訪問で保護者とお話しする材料にすると、不思議なことに、生徒はそのように育ちます。
 この作文を、卒業式の前日に返却するのですが、本人たち、恥ずかしそうに読んでいます。卒業式の前日のクラスで、私はこの時の生徒たちの顔を眺めるのが好きでした。「先生、この時の俺たちって、現実わかってないね?」と言って生徒たちは苦笑いをしますが、顔はいい顔をしています。
 確かに、中学1年生の入学した時、何でも叶うという絶対的肯定感というか、無知からくる自信というか、大人からしたら稚拙な文章です。しかし、これが大切で、小学生の歌にある「1年生になったら〜、友達100人できるかな~」の歌のように、未来を明るく希望のあるものとして進む力は、ここで育まれると思います。

 あくまでも自分の経験ですが、小学校はイジメられていた(かどうかはわからないけれど、少なくとも周囲とうまくいっていないのは確か)と話してくれたYっちゃんが、卒業式で泣きながらみんなと歌っていた姿、入学式の記念写真で知っている子の弟だったというだけで声をかけたY−ちゃんが吹奏楽に入部してその後アメリカに行ってマーチングで活躍するとは・・・この時には予想できない。(今気づいたけど、Yばっかやなぁ・・・)

 卒業の時に会ってお別れを言えないという事があったでしょう。結局、会わずに転勤されてしまった先生もいたでしょう。その春の記憶がないのです。
 そして、新しい先生、新しい友達に会って、救われた子もいるでしょう。その春の記憶もないのです。

 9月入学賛成派の私ですが、感情的には、そんな気持ちの変化、寂しさ、期待感を春が作ってくれているんだと、Youtubeで辻井さんの演奏する『春よ、来い』を見ながら、思うのでした。


 6月1日・・・・ああ、そうか、昔(どんだけ昔よ?)に戻って、月の呼び名が2ヶ月戻るだけだ。これで、Octoberが8月で、Decも10でしっくりくる。そうや、明日は4月1日やった。面白いウソ考えとかんと。


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