ウォーシミュレーションゲームについて書き込んだ時にも触れましたが、私が初めて買ったパソコンはNECの9801VXというシリーズの製品をモニタと込みで中古で購入したものです。今売られている普通の新品のパソコンの倍以上の金額がかかりました。
その頃、日本のパソコンは日本語表示するために独自にハード的に対応していたため、アメリカで売られているパソコンをもってきても日本語化できず、日本語化したパソコンではNECがダントツのシェアを持っていました。その他には富士通のFMTOWNとかシャープのX6800とかがありましたが、ゲームでもNEC製のパソコンじゃないと動かないなんて状態でした。
その頃よくやっていたゲームが信長の野望や三国志、大戦略Ⅲ90でした。まだハードディスクなんてないため、フロッピーディスクの時代で、しかも5インチのフロッピーが主流でした。そんななかで、私は最後のNEC独自製品の9801シリーズを購入し、ニフティーサーブのパソコン通信も始めました。
パソコン通信は電話回線を通じて通信するわけで、モデムを介して電話をかけている状態になります。しかも、パソコン通信して読んだり書いたりするには通信ソフトが必要で、電話をかけっぱなしにしてパソコン通信をしていると電話代がかかるわけで、電話をかける時間を少なくするため、巡回ソフトというのがありニフティーサーブの登録したところを巡回して書き込まれた内容を落としてくるわけです。
そして落としてきた内容を順序よく読めるようにするソフトがまた別にあります。例えばある書き込みに対して、誰かがまた書き込んだとするとすると、その間にその他の書き込みもあるので、誰が誰に対して書き込んだのかがぐちゃぐちゃになるので、整理して表示してくれるわけです。また、自分が書き込む際には、ワープロソフトなんぞ使っていたら不便なので、テキストエディタというソフトを使い、文章を作ります。それをまた、巡回ソフトが巡回する際に登録してくれるわけです。
その頃は、OSがまだウインドウズの時代ではなくてMS-DOSの時代で、これを色々いじくりまわして遊んだものです。ウィンドウズではいじくれませんが、私のような初心者でもいじくってみたものです。
そんな頃、世の中に日本語化するのをハードではなくソフト的にできるようになりまして、DOS/Vというパソコンが出てきました。最初はコンパックだったと思います。つまりアメリカで作られたパソコンを日本に持ってきても日本語で表示されるというわけです。これで、ハード的に日本語化している必要がなくなり、どこでつくろうと仕様に準拠していれば日本語化できるわけで、日本のパソコンを独占していたNEC製じゃなくともパソコンが作って売ることができるようになり、パソコンの価格も一気に下がりました。
そして、マイクロソフトからウィンドウズが発売されて、パソコンが一部の人のマニア的な存在から、ビジネスをはじめとして家庭にもどんどんと普及していくようになりました。そして、現在からすれば容量もわずかですがハードディスクも搭載されるようになりました。私もそんなパソコンをほしいと思いNECの9821シリーズの一つを購入しました。
さらに時代は進んで、ウインドウズも進化しWin95となりました。私もそれを搭載したノートパソコンである松下製のレッツノートというのを購入しました。このパソコンの特徴はなんといってもトラックボールにあります。ただ、ノートパソコンがどんどん薄くなっていくとトラックボールをつけるだけの厚さがなくなりすたれてしまいました。ですが、このトラックボール使用感はマウス以上でした。
そしてWin98の時代がきて、私もWin98搭載のデスクトップを購入しました。この頃色々なウォーシミュレーションゲームが発売されて、あれよこれよと購入したものです。さらにXPの時代となりノートパソコンも購入しましたが、ゲームの世界もハードディスクの容量はもちろんメモリやビデオボートも高級なものを要求されるようになり、当時で最高のものをまとめたデスクトップのXPのパソコンも購入しましたが、されを生かすほどのゲームは購入せずに終わりました。
さらに時代はとんでWindowsもMeとかビスタとかありましたが騒がれることもなく、Windows7とか8の時代になり、私もノートパソコンを購入しました。ところが仕様をよく確認しなかったため、パソコンが無線LANなのにもかかわらず、家の設備に無線LANがないというわけで、購入したはいいけど繋がらない状態で、CATVの設備を変えた際に無線lANになったので、ようやくインターネットに接続できるようになりました。
その頃、日本のパソコンは日本語表示するために独自にハード的に対応していたため、アメリカで売られているパソコンをもってきても日本語化できず、日本語化したパソコンではNECがダントツのシェアを持っていました。その他には富士通のFMTOWNとかシャープのX6800とかがありましたが、ゲームでもNEC製のパソコンじゃないと動かないなんて状態でした。
その頃よくやっていたゲームが信長の野望や三国志、大戦略Ⅲ90でした。まだハードディスクなんてないため、フロッピーディスクの時代で、しかも5インチのフロッピーが主流でした。そんななかで、私は最後のNEC独自製品の9801シリーズを購入し、ニフティーサーブのパソコン通信も始めました。
パソコン通信は電話回線を通じて通信するわけで、モデムを介して電話をかけている状態になります。しかも、パソコン通信して読んだり書いたりするには通信ソフトが必要で、電話をかけっぱなしにしてパソコン通信をしていると電話代がかかるわけで、電話をかける時間を少なくするため、巡回ソフトというのがありニフティーサーブの登録したところを巡回して書き込まれた内容を落としてくるわけです。
そして落としてきた内容を順序よく読めるようにするソフトがまた別にあります。例えばある書き込みに対して、誰かがまた書き込んだとするとすると、その間にその他の書き込みもあるので、誰が誰に対して書き込んだのかがぐちゃぐちゃになるので、整理して表示してくれるわけです。また、自分が書き込む際には、ワープロソフトなんぞ使っていたら不便なので、テキストエディタというソフトを使い、文章を作ります。それをまた、巡回ソフトが巡回する際に登録してくれるわけです。
その頃は、OSがまだウインドウズの時代ではなくてMS-DOSの時代で、これを色々いじくりまわして遊んだものです。ウィンドウズではいじくれませんが、私のような初心者でもいじくってみたものです。
そんな頃、世の中に日本語化するのをハードではなくソフト的にできるようになりまして、DOS/Vというパソコンが出てきました。最初はコンパックだったと思います。つまりアメリカで作られたパソコンを日本に持ってきても日本語で表示されるというわけです。これで、ハード的に日本語化している必要がなくなり、どこでつくろうと仕様に準拠していれば日本語化できるわけで、日本のパソコンを独占していたNEC製じゃなくともパソコンが作って売ることができるようになり、パソコンの価格も一気に下がりました。
そして、マイクロソフトからウィンドウズが発売されて、パソコンが一部の人のマニア的な存在から、ビジネスをはじめとして家庭にもどんどんと普及していくようになりました。そして、現在からすれば容量もわずかですがハードディスクも搭載されるようになりました。私もそんなパソコンをほしいと思いNECの9821シリーズの一つを購入しました。
さらに時代は進んで、ウインドウズも進化しWin95となりました。私もそれを搭載したノートパソコンである松下製のレッツノートというのを購入しました。このパソコンの特徴はなんといってもトラックボールにあります。ただ、ノートパソコンがどんどん薄くなっていくとトラックボールをつけるだけの厚さがなくなりすたれてしまいました。ですが、このトラックボール使用感はマウス以上でした。
そしてWin98の時代がきて、私もWin98搭載のデスクトップを購入しました。この頃色々なウォーシミュレーションゲームが発売されて、あれよこれよと購入したものです。さらにXPの時代となりノートパソコンも購入しましたが、ゲームの世界もハードディスクの容量はもちろんメモリやビデオボートも高級なものを要求されるようになり、当時で最高のものをまとめたデスクトップのXPのパソコンも購入しましたが、されを生かすほどのゲームは購入せずに終わりました。
さらに時代はとんでWindowsもMeとかビスタとかありましたが騒がれることもなく、Windows7とか8の時代になり、私もノートパソコンを購入しました。ところが仕様をよく確認しなかったため、パソコンが無線LANなのにもかかわらず、家の設備に無線LANがないというわけで、購入したはいいけど繋がらない状態で、CATVの設備を変えた際に無線lANになったので、ようやくインターネットに接続できるようになりました。