落葉の森
2013-11-07 | 森
母の古い辞書を開くと、色褪せたページの間からハラリと枯葉が落ちる。
干乾びた化石のようなポプラの葉っぱ。
裏返すと精緻な葉脈が縦横に枝を延ばし、まるで樹形そのもののように象(かたど)られている。
ちょっと感動的なのが、花びらの押し花たち。
琥珀の剥片のように紙面に張り付き結晶化された永久(とわ)の時間。
それは植物の有機物の時間から鉱物の無機物の時間への移ろいかもしれない。
四葉のクローバーなんかも、ささやかな幸福感と共に挟まっている。
この栞(しおり)たちが封じ込められた気の遠くなるような時間を想うと、とても切ない。
笹倉への森を再び歩いた。
森の入り口は、名残の紅葉が朝日に輝き、落ち葉が一面に敷き詰められた日溜まりの道。
森は、少しづつ彩を失い冬支度を急ぐ。
空が少し広くなって、梢越しにエナガやコガラが忙しなく移動し、
冬の渡り鳥、アトリの群れが人の気配に驚き一斉に飛び立った。
森の忍者、カケスも隠れ蓑を失い、裸木の間を風切羽の鮮やかな青を翻して飛び去る。
先週末、あれほど満々と水を湛えていた笹倉湿原は、わずか数日を経て、元の苔庭に戻っていた。
水面に映す名残の秋を期待したが叶わなかった。
季節の旬の風景に、今一度の撮り直しは効かないようだ。
笹倉の秋というよりも晩秋の苔庭というところに様変わり(汗)
さて紅葉前線は標高1000m付近まで降りて来ています。
今回はブログ記事の掲載を二回に分けます。
明日は瓶ヶ森の風景を。
私の写真は記録用ですので、これからも写真を撮っていて少しでも感性が磨かれるようになるのであれば、一眼レフとレンズを買うようにしたいと・・夢ですが(笑)
3枚目の落ち葉が好きです。
帰宅後、早速このブログページを訪問して詩情あふれる写真と文章のレベルの高さに驚きました。これからゆっくり今までの記録を読ませてもらいます。バイクを足としているとか東京に住まれていたとか私と共通しており、親近感を感じました。これからもよろしくお願いします。
沢詰めが懐かしい・・・
面河から御来光の滝、そして愛大小屋・・・
笹倉湿原の苔と池に映り込んだ紅葉の切り取り・・・来年ですね。
ランスケさんおことだから、今まで撮ったものがあるのかもしれません。
切り取りの向上を絶えず願う、前向きの姿、あたまがさがります。
今回もランスケファンが増えたようですね。
山はいい!
衰えを感じながらもそれなりに自分に合うやり方で山と向き合ってきました
初めてランスケさんと西冠ですれ違い様に交わした会話を今でもはっきり覚えています
あの頃はあちこち飛び回っていましたし、写コンも好調
でしたね
もっと自由に撮りたい物を撮りたいと思うようになってfilmからdigitalに転向したことがゼロからのスタート
今は無理なく自然と向き合うようになっています
それにしてもこの陽気は半端jないです
来週は平年並みに気温が下がるようですが
さて週末は・・・・・・
貴公子さん、写真への持論を語った割には、貧しい結果でした(嘆息)
とりあえず苔庭と落ち葉そして冬枯れの木立を撮りました。
なんだか説明的な写真ですね。
深く反省します。
三枚目の落ち葉、ありがとうございます。
私も、こういう何気ない季節の点描が好きです。
珍しく瓶ヶ森では初対面の方と長話をしてしまいました。
そうでしたね。
お互いに年齢も近いし嗜好性も似通っているのかもしれません。
面映ゆい(汗)お言葉、ありがたく頂戴します。
日頃から風景の物語を写真と文章で綴ると言い続けているので、
長野さんの言葉は、そのまま素直に嬉しいです。
なかなか写真と文章を両立することは難しくて、つい遠足の作文に逃げてしまい勝ちです。
なんとか目の前の自然に対する観察を大事にして行きたいです。
また山でお会いしましょう。
笹倉から下りてきて金山谷の林道から観た石鎚です。
南尖峰の尖った切っ先に沢ヤの血が騒ぎましたね(笑)
すっかりお元気になられてmisaさんのホームグランド天狗高原へ遠征された様子。
貴公子さん共々、山ヤさんの復活は嬉しいです。
あんなに簡単に満々と湛えていた水が引くとも思っていなかったし、
紅葉も、すっかり終わっていました。
何度も云うように旬の風景は、その時限りですね。
また林道閉め前の瓶ヶ森でお会いしましょう。
今度こそ朝焼けの雲湧く霧氷の風景を(笑)