雨も上がり、天候も落ち着いたと安堵して森へ入った。
ところが気まぐれに、ザッと降り始めた。
鬱蒼とした照葉樹の森は、びっしりと樹冠を葉叢で覆われているので、
雨音の激しさほど、大粒の雨は落ちてこない。
ぼぉーと水底を漂うような、水蒸気で靄のかかった風景を眺めていた。
さながら、アクアリウムの青く沈んだ回廊を、ふわふわと漂っているようだ。
透き通るような淡い茸を浮かばせる木漏れ陽の透過光は、
加茂水族館の水槽を、たゆたう水母(くらげ)を思い浮かべた。
残念…この茸たちは暗く落ちた闇の中で光らなかった。
そう簡単に灯火茸に出会えるようだと、その稀少価値も無くなってしまうよね(笑)
また探してみましょう。
とは我ながら「よう言うた」
今もその気持ちに変わりは有りません
人と同じものを撮ってもつまらない
響かない、伝わらない
ほんとクラゲですね
これはこれで私はとても好感がもてるんですけどね
待望の雨が嬉しくて週明け湿原へ・・・
予め与えられた情報でしか動けないから、他人と同じもの撮る結果になってしまうのです。
昨年のトラブルは、いい勉強になりました。
何かを撮りたければ、自分の足で探すことにしました。
椎の灯火茸は、高橋宣之さんも言っていたように横倉山だけに生育するわけではありません。
椎の木の生える照葉樹の森なら、その可能性はあるのです。
それを撮りたければ、自分の足で探すのが一番(笑)
探索は、その場所の環境を観察するという視野も広げてくれます。
自然写真の基本は観察です。
それは色んな不思議の発見へと繋がります。
今日は、たっぷり雨が降って、水の溜まった森の奥の湿原へ行って来ます。
misaさんより一足先になるかも?
五月晴れのような梅雨入り、そのあと豪雨、そして今日の真夏以上の暑さ・・・
そんな中で受験にあった日、森の中へ入る。
昨年の灯火茸の写真も素晴らしかった。
今年の写真、会えなかったけれど深海にいるような雰囲気の写真、ご本人の考えはともかく素晴らしい。
自然写真に傾倒する以前は、どちらかと云うとファインアート系の写真を鑑賞する立場でした。
九龍城砦などの渾沌(カオス)や廃墟の風景に魅かれていました。
世紀末の時代でしたからね(笑)
雨季の笹倉湿原へ行ってきました。
昼過ぎまで山は雨が降ったり止んだり。
思ったほど、湿原に水は溜まっていませんでした。
この時期、森に沢山見られる銀竜草は、ほとんど終わっていて、
褐色に色褪せたものばかりでした。
それから、山の世界は狭い(笑)…前後して森へ入った人は、
恭一さんのお知り合いでした。
もう一人、下山の道端では、愛大山岳会の白石さんにも。
77歳、未だ現役の山ヤ…元気ですよ。