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年寄りの独り言

田母神・前空幕長の論文から思うこと

2008年11月07日 | 今日の問題
石破氏がびしばしと指摘していることは、しごくもっともである。

「文民統制の無理解によるものであり、解任は当然。しかし、このような論文を書いたことは極めて残念」

さらに続けて

「民族派」の特徴は彼らの立場とは異なるものをほとんど読まず、読んだとしても己の意に沿わないものを「勉強不足」「愛国心の欠如」「自虐史観」と単純に断罪し、彼らだけの自己陶酔の世界に浸るところにあるように思われます。
と弾劾しておられます。



佐藤守氏は



 現役時代によく教育された「戦争論」には、「戦争とは、相手にわが意思を強要する為に行う力の行使である」と書かれている。更に「この力は、相手の力に対抗するために、技術と科学を創意工夫して準備される」「すなわち物理的な力(精神的な力は国家や法律における概念としてしか存在しない)は、敵に我々の意思を強要するという目的を達成するための手段である」と説く




すなわち彼らには、戦術論、戦闘論はあるが、戦争で死にゆく者たちの視点、敗者の論理はない。本当のシビリアンコントロールが必要なのは軍人にはないこの点なのである。



しかも、自分たちが言いたいときには問答無用といい、自分たちが不利な時には言論は自由だという。軍人には言論の自由はありません。国の命令には絶対服従が課せられているだけです。(個人の意見とは別です。)



もし軍人が、国に逆らえばそれは国家に対する反逆です。どこかの国では、すぐに死刑でしょう。



彼の行動は文書によるテロ、クーデターのようなものです。



三島由起夫が自衛隊で事件を起こした時は、彼はある意味時代に取り残された人物であったわけですが、今度の事件は自衛隊の中の最高幹部が、三島由起夫であったわけで、百人近い盾の会会員までひきつれていたわけです。



田母神氏は単なる個人ではない。軍隊の作戦をたて、指揮命令できる立場の軍人なのです。そのような自覚と覚悟があったのでしょうか。



彼の文章の中には、軍人の偏狭さ、奢りは、軽薄さは垣間見えるものの三島由起夫氏程の覚悟は、残念ながら見えません。