標高879mの宇曾利(うそり)山はカルデラ湖を持つ火山である。むつ市の市街から約15kmのドライブウエイをあがる。
この山にはヒバの大木からなる群落が残っている。ビバは全国各地にあったのだが、奈良時代からすでに伐採されて都に送られ、建築材として使われた(大仏殿など)。
霊場恐山の入口の標識の門である。
山の麓から丁石が立っている。見れば麓からは100丁を超えている。その近くには、石仏が立っている。徒歩で山に入る人にとっては大きな慰めになるだろう。
右は途中にある水飲み場である。山から湧く清水が2筋流れる。
頂上のカルデラ湖が見えるころ、この宇曾利湖(うそりこ)から唯一流れ出る川を越す。この川を人呼んで三途の川と言う。
バスガイドは「ここから浄土に入る。あの世とこの世の境だ」と言う。
ところで、さる和尚から聞いた話を紹介します。
死ぬと、多くの人に見送られながら、あの世に向かう為に山に入る。その為に草鞋を履くという。
山を降りたところに、服装を脱がす奪衣(だつえ)婆といわれる鬼婆がいて、亡者の着物を奪い取る。その着物を懸衣翁(けんえおう)に渡す。
受け取った彼は、そばにある衣領樹(えりょうじゅ)の木の上に投げる。着物が木の枝の下のほうに懸かると、三途の川の立派な橋を渡ることができる。中くらいの高さに懸かると、三途の川の橋はなくて、流れの穏やかなところで渡る。上の方に懸かると、橋がないどころか、急流のところで川を渡る。
以上の三つの渡り方があるので、三途の川と言うそうだ。この絵では船は出てこない。
下の絵は、奈良のさるお寺の地獄絵図の一部であるが、上のほうから溝のような道に沿って亡者が落ちてくる。(下半身だけ見えている)
下のほうで、赤い服を着て座っているのが、服を脱がせる奪衣婆である。(裸の亡者が座っている) その前に立っているのが衣を衣領樹に投げ上げる懸衣翁である。婆の背後に木が生えているが、木の枝には衣が沢山懸かっている。
そこで三途の川を渡るのであるが、
左側の一番下が、立派な構造の橋である。ながれも穏やかである。
中央になると、裸の亡者が川のほうに向かっており、その後ろには鬼に髪の毛を引っ張られている亡者がいる。
その上では、川の流れも激しい場所で、鬼の持った金棒で、川の中に突き落とされている亡者がいる。
さて、バスは無事三途の川を渡り、恐山菩提寺に着く。正面に境内に入る総門がある。 祭祀の日には、左手の長い塀沿いに”いたこ”が小屋を構え、霊を呼び出してくれる。依頼した人が外人であっても、呼び出された霊は津軽弁でしゃべると言う。後継者不足だと言う。
ここのお寺の本尊は地蔵菩薩である。総門前の広場の左手には六地蔵が並んでおわす。
この山にはヒバの大木からなる群落が残っている。ビバは全国各地にあったのだが、奈良時代からすでに伐採されて都に送られ、建築材として使われた(大仏殿など)。
霊場恐山の入口の標識の門である。
山の麓から丁石が立っている。見れば麓からは100丁を超えている。その近くには、石仏が立っている。徒歩で山に入る人にとっては大きな慰めになるだろう。
右は途中にある水飲み場である。山から湧く清水が2筋流れる。
頂上のカルデラ湖が見えるころ、この宇曾利湖(うそりこ)から唯一流れ出る川を越す。この川を人呼んで三途の川と言う。
バスガイドは「ここから浄土に入る。あの世とこの世の境だ」と言う。
ところで、さる和尚から聞いた話を紹介します。
死ぬと、多くの人に見送られながら、あの世に向かう為に山に入る。その為に草鞋を履くという。
山を降りたところに、服装を脱がす奪衣(だつえ)婆といわれる鬼婆がいて、亡者の着物を奪い取る。その着物を懸衣翁(けんえおう)に渡す。
受け取った彼は、そばにある衣領樹(えりょうじゅ)の木の上に投げる。着物が木の枝の下のほうに懸かると、三途の川の立派な橋を渡ることができる。中くらいの高さに懸かると、三途の川の橋はなくて、流れの穏やかなところで渡る。上の方に懸かると、橋がないどころか、急流のところで川を渡る。
以上の三つの渡り方があるので、三途の川と言うそうだ。この絵では船は出てこない。
下の絵は、奈良のさるお寺の地獄絵図の一部であるが、上のほうから溝のような道に沿って亡者が落ちてくる。(下半身だけ見えている)
下のほうで、赤い服を着て座っているのが、服を脱がせる奪衣婆である。(裸の亡者が座っている) その前に立っているのが衣を衣領樹に投げ上げる懸衣翁である。婆の背後に木が生えているが、木の枝には衣が沢山懸かっている。
そこで三途の川を渡るのであるが、
左側の一番下が、立派な構造の橋である。ながれも穏やかである。
中央になると、裸の亡者が川のほうに向かっており、その後ろには鬼に髪の毛を引っ張られている亡者がいる。
その上では、川の流れも激しい場所で、鬼の持った金棒で、川の中に突き落とされている亡者がいる。
さて、バスは無事三途の川を渡り、恐山菩提寺に着く。正面に境内に入る総門がある。 祭祀の日には、左手の長い塀沿いに”いたこ”が小屋を構え、霊を呼び出してくれる。依頼した人が外人であっても、呼び出された霊は津軽弁でしゃべると言う。後継者不足だと言う。
ここのお寺の本尊は地蔵菩薩である。総門前の広場の左手には六地蔵が並んでおわす。
三途の川というのはそういう意味だったんですか
私は船で渡してくれるんだと思ってましたよ
当blogをいつも訪ねて頂いて有難う。
この地獄絵図は「十王経」に基づくようです。六文の船渡しの代金と聞いていましたが、これでは出てきません。
06.11.08の当blogにアップしていますので、よろしければ覗いてみてください。
写真のような赤い橋なら簡単に渡れそうなのですが、
なかなかそうもいかないようですね。
津軽弁の「いたこ」さんにしゃべられても、理解できるかどうか不安ですね。
↓の赤池は恐ろしいくらい真っ赤ですね
漆器の赤に似ていると思っていましたが、血の池地獄で、暗いとすれば静脈血?でしょうか。(笑)
いたこさんの声は、TVなどでも、意味不明のことを喋りますね。
ガイドの話では津軽の人でもわからないそうです。サッカーの選手がお願いしたそうですが、意味不明だったそうです。
このお話し本当だったら如何しましょう・・
身ぐるみ剥がされその上、着物が上手く下の枝に掛かってくれれば三途の川を渡る橋が出来、運悪く空高く舞い上がり上の枝に掛かれば悲しい事に・・
「いたこさん」外人さんの霊を呼び出しても話す言葉が津軽弁と言うのがトッもモユニークで思わず吹きだし・・現実に戻る事が出来ました。
何でも、直ぐに信じ込み悩む自分がバカに見えました
それにしても随分不思議なお場所ですね・・
貴重な記事を有難う御座います。
懐かしい写真楽しませてもらいました。
49日間の中陰が終わって後、何に生まれ変わりますか。
地獄には行きたくないですね。善根を積むことにします。
原生林が濃いかったですよ。
今回で3回目の訪問になっていますが、来る度にお寺も人間臭くなっていますね。
宿坊に泊まって、裸電球ひとつの小屋がけの露天風呂2つ。
まだ伽藍も整備されていないときでしたが、星明りの中で誰もいない湯船は、あまり落ち着いては入れなかった温泉でした。
10人ほどの泊り客、雑念もなく、心が洗われる思いでした。