法華寺本堂である。この当時の寺院の屋根の流れは、端正でスロープが美しい。

境内の庭から見た本堂の大屋根。奈良は2年後に来る遷都1200年祭に向けて動いているが、ここは光明皇后1250年忌が2年後に予定されている。


法華寺の由緒の標識。総国分尼寺であり、今も清楚な尼僧に出会うことがある。

光明皇后は、自ら庶民の身体を拭い、病院に当たるものを作り、よく策を施したという。浴室を造り広く庶民に提供したという。
浴室には洗い場の隣の部屋で沸かした湯を樋で流し入れ、身体に浴びたり、サウナにしたりして湯浴みする。
浴室の隣りに井戸があり、良い水が湧き浴室で使用した。

奈良の古刹は境内の庭も野生が残り、民家の庭と変わらない。素朴なままで観光化されていない。

一本大きなイチョウの木が、黄色一色になっていた。まだ世間では緑がかなり残っているというのに、早くも散りかけていて美しい。

ひと隅に納まっている石仏がひとつ。

左:菩提樹の種子が出来ている。細長い托葉の中央から花梗を出す。葉はハート型。
右:オオルリソウのようである。普通夏に咲き、花はもっと小さい。だから、ヤマルリソウかと思うが、花梗はもっと短い。ワスレナグサは花芯がもっと小さいし、春に咲く。それらの仲間と言うことで…。

尼寺としても、古くからよく知られており、平家物語に出てくる「横笛」が、ここで世俗を離れて出家した寺でもある。奥嵯峨の祇王寺の隣にある滝口寺に横笛と滝口入道の掛け軸がある。
高山樗牛の「滝口入道」の小説の出典である。
横笛堂と横笛の塑像(パンフレットから)。

境内の庭から見た本堂の大屋根。奈良は2年後に来る遷都1200年祭に向けて動いているが、ここは光明皇后1250年忌が2年後に予定されている。


法華寺の由緒の標識。総国分尼寺であり、今も清楚な尼僧に出会うことがある。

光明皇后は、自ら庶民の身体を拭い、病院に当たるものを作り、よく策を施したという。浴室を造り広く庶民に提供したという。
浴室には洗い場の隣の部屋で沸かした湯を樋で流し入れ、身体に浴びたり、サウナにしたりして湯浴みする。
浴室の隣りに井戸があり、良い水が湧き浴室で使用した。



奈良の古刹は境内の庭も野生が残り、民家の庭と変わらない。素朴なままで観光化されていない。

一本大きなイチョウの木が、黄色一色になっていた。まだ世間では緑がかなり残っているというのに、早くも散りかけていて美しい。

ひと隅に納まっている石仏がひとつ。

左:菩提樹の種子が出来ている。細長い托葉の中央から花梗を出す。葉はハート型。
右:オオルリソウのようである。普通夏に咲き、花はもっと小さい。だから、ヤマルリソウかと思うが、花梗はもっと短い。ワスレナグサは花芯がもっと小さいし、春に咲く。それらの仲間と言うことで…。


尼寺としても、古くからよく知られており、平家物語に出てくる「横笛」が、ここで世俗を離れて出家した寺でもある。奥嵯峨の祇王寺の隣にある滝口寺に横笛と滝口入道の掛け軸がある。
高山樗牛の「滝口入道」の小説の出典である。
横笛堂と横笛の塑像(パンフレットから)。


その一方で7枚目の写真はまるで田舎の民家の様な素朴さで
雰囲気があって素敵な所ですね
こちらのお寺は、多くトタン屋根か銅板屋根です。
地域性からいって、そうならざるを得ませんね。
京都のお寺の完成された庭からは想像がつきませんね。
夢想国師や小堀遠州たちはずっと後の人ですね。
元興寺に、飛鳥時代の瓦が僅かに活用されていますね。
最後はやっぱり土に還るのでしょうね。