白杖のトライリンガル

難聴だけじゃない?網膜色素変性症を併せ持つアッシャー症候群の息子達の日常を母の目からつづります。

阿波踊り

2007-07-09 11:11:49 | その他
夫の和太鼓グループの仲間数人が一年程前から民謡も始めたとかで、今度阿波踊りをやるから練習に参加しないかと誘われた。

あら、楽しそうねぇ。阿波踊りといえばSyokoさんでしょう。
だって彼女は徳島県出身。
せっかくだから、Syokoさんもお誘いしましょうということで、電話をしてみた。

「ねぇ、明日の日曜日はお暇?」
「明日は忙しいのよ。ほらこの前言ってた『阿波踊りを教えてほしい』っていきなり電話がかかってきたというあれ。」

アホな私は、今アメリカではそんなに阿波踊りが流行ってるのかしら?っと思った。

「へぇ、私たちも明日阿波踊りの練習会があるのよ~」
Syokoさんはすかさず、
「もしかして、同じ阿波踊り練習会の話をしてるんじゃない、私たち?」
「え?」
よくよく話を聞いてみると、突然電話をかけてきたというその人は、夫の太鼓グループの一人。

なぁ~んだ、Shokoさんが先生なんだぁ。
どっかでつながっているバークレーの日本人社会、狭いねぇ。

っということで、行って来ました阿波踊り練習会。
私は始めての阿波踊。

すごく簡単そうで、すごく楽しそうに見える阿波踊り。
しかし実際に踊ってみると・・・すっごく大変

だってさぁ、手をずっと高く上げてなきゃいけないんだよ。
10分が限度。
あんなタフな踊りを何時間もぶっ続けてやる徳島の人ってすごいかも

夫はこういうことになると、嫌にのりのりで、Shoko先生に「うまい」と誉められていました。
本人も得意げ。
岩手で鍛えたさんさ踊りの成果でしょうか。


参加者は白人さんが多かった。

もし産まれてくる子供が障害を持っていたなら。。。

2007-07-09 05:50:34 | その他
「ここにサインしてください。」
目の前に差し出された紙を眺めながら、私はペンを握らなかった。
隣で夫が通訳でもするように、その言葉を日本語に直して私に伝える。
「ここにサインしてだって。」

言われなくったってわかってる。

「この検査受けたくないんだけど。」
看護婦にわからないように日本語で言った。
夫はおどおどしながら、看護婦にわかるように英語で説得する。
「時間かからないから、他の血液検査と一緒にできるし、わざわざ仕事を休まなくてもサンフランシスコでできるから。」
私は無言でペンをとらなかった。
看護婦はたまりかねて言う。
「今サインしなくても構いませんけど、○○までにこの紙をもって検査場に行ってください。」
結局私はサインをしなかった。

面倒くさいからその検査をしたくないと言っているんじゃない、必要ないと思うからしたくないと言っているのだ。

それはダウン症のスクリーニングテストと、自閉症のいわば『可能性度』テスト。

マー君を身篭っているとき、私はあらゆる検査を目的もあまりわからないまま、ほいほいと受けた。
検査は陰性を確認して安心するものでしかなかった。
もちろんすべての検査にパスし、妊婦優等生だった。
検査は必ずパスするものだった、けれど、一つだけパスしなかった。

マー君の聴覚スクリーニングテスト。

あれはあれで必要なテストだったと思ってる、
でも、
ある程度確実な検査結果が出るまでの半年間、どこの病院にいっても言われることがまちまちで、
どうせわからないんだったらどうしてあんなに早くに検査をする必要があったのか?っと疑問に思った。

あのテストにひっかかってからの約半年、原因究明と確実な検査結果を求めて検査、検査、検査の日々。
地獄だった。
その時も、勧められる検査は言われるままに全部受けた。
今考えると、私たちには何の利益にもならない研究者の材料になるだけの検査もたくさんあったように思える。

そして今また妊娠して、あの検査この検査と検査ばかりさせられている。
以前のような気持ちでほいほいと検査を受ける気にはなれない。
検査をすれば陽性反応が、スクリーニングを受ければ通らないような気がして仕方ない。

前回同じテストをした時、私は何の疑問ももたず質問もせず、さっさと血液検査を終わらせた。
でも今回は、医者に質問を投げかけずにはいられない。

「もしそのスクリーニングにパスしなかったらどうなるんですか?」
「そしたらこのテストを受けます。この時点でもパスしなければ、およそ80%の確立で生まれてくる赤ちゃんはダウン症です。」
「それにもパスしなかったらどうするんですか」
「次は○○の検査をして確定診断を出します。」
「そんなに確実にわかるんでしょうか?」
「ほぼ確実です、ただし、ダウン症と一口に言っても症状はまちまちで、普通の人と何ら変わりなく生活できる程度の人もいれば、一生援助が必要なレベルまで様様で、その症状のレベルまではわかりません。」
「ダウン症であると確実にわかったら、それからどうするんですか?」
「それはご両親次第です。妊娠を終わらせるか、そのまま産むかの決断はご両親にゆだねられます。」
「最終的にわかるのはいつなんですか?」
「第一回目のスクリーニングにパスしなかったら検査を加速させますが、最後の検査は20週を過ぎないとできないので、どうしても20週から数週間は過ぎます。」
・・・妊娠6ヶ月じゃん。
今の医学なら、22週を過ぎて生まれた赤ちゃんは保育器で育つことができるというのに、中絶可能期間は21週までと定められているのに、それを超えて中絶するの?

「もう一つの自閉症のテストでは何が分かるのでしょうか?」
「ご主人の血縁者に自閉症が2人いるというので、遺伝子に自閉症の遺伝子があるかどうか調べます。」
「っで、なんで私の血液を検査するんですか?」
「妊娠の検査は妊婦を検査するものですから。」
・・・意味わからん。
「っで、それが陽性だったらどうするんですか?」
「生まれてくる赤ちゃんは自閉症の可能性があるということです。」
そんな可能性分かってどうするの?可能性があるから子供は産むなってこと?



○○までに検査を受けて下さいといわれた、期日がちかくなってきた。
夫が検査用紙をもってやってきた。
「検査明日やった方がいいとおもうんだけど。」
私はしばらく黙ってから口を開いた。
「何かを予防するための検査とか、検査結果によって対策を考えることのできるものなら、もちろん受ける。でもあのダウン症と自閉症の検査はしたくないのよね。」
「そんなに嫌なの?」

「スクリーニングテストにパスしなかった時のことを考えてよ。泣いて泣いてぼろぼろになるほどないて、でも医者からは『これは確定じゃないから』っとあいまいな言葉で慰められて、かすかな希望をもって次のテストをうけるものの、次もダメで、また泣いて泣いて。・・・そうあの時のように。」
夫は黙って聞いていた。
「そして最終的に、ダウン症と診断されたら。。。もう妊娠6ヶ月、おなかも大きくなっていて胎動も感じる。それで症状の程度もわからず赤ちゃんを殺しちゃうの?
私たちは、泣いて泣いて泣いて泣いて・・・その決断はできないと思う。」

夫は言った。
「中絶なんてそんなことはできない。」

私は続けた。
「もしマー君の聴覚に障害があると、おなかの中にいる時点でわかったとしたら、『聴覚のレベルまでは分からないけれど、なにか問題があるようだっ』と。それで私たちはマー君を殺したかしら?それが正しい選択だったかしら?
それに自閉症の遺伝子検査なんかしてどうなるの? こっちはもっとあいまい。生まれてくる子供は自閉症である可能性があるってだけでしょ。それでも陽性となれば私たちは泣くのよ。泣いて泣いて不安で不安で、だからってそんなことで産まない選択をするの?」

夫は言った。
「君の言うとおりだよ、この検査はばかばかしい。今さらおろすことなんてできるものか。この検査、受けなくていいよ、受ける必要はない。」

私はその言葉を聞いてすごく嬉しかった。

っと同時に検査を受けないことに対して、すっごく重い責任のようなものを感じた。
検査を受けないということは、どんな子供が生まれても、たとえその子が障害を持っているとしても、愛し育てるという自信と覚悟の現れだと思う。
夫はそれを受け止めてくれた。
涙が止め処もなく溢れてきた。
この人と結婚して良かった、私は心からそう思った。

大丈夫、この人となら大丈夫。
どんな子供が生まれてきても、幸せな家庭にすることができる、きっとできる。