白杖のトライリンガル

難聴だけじゃない?網膜色素変性症を併せ持つアッシャー症候群の息子達の日常を母の目からつづります。

日系人の歴史

2009-05-19 13:52:31 | アメリカ生活雑感
サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジのふもとあたりには、軍関係の歴史的な建物がたくさんある。

その一つで、日系アメリカ人のちょっとした催し物があるというので行ってみた。

ただの倉庫のようにしか見えない建物、そこはむかし軍の日本語特訓所として使われた建物ならしい。

横に仮設してあるテントでは、戦時中の日系人強制収容所のビデオが上映されていた。
子供を夫に押し付けて、見入る私。

それから、実際にその建物で訓練を受けた人たちのご家族(子供)による、思い出話スピーチのようなものが始まった。


日本が真珠湾を攻撃したのは、全く予期せぬ奇襲攻撃とアメリカ人は言うけれど、もちろんそんなのはうそ。
戦争を始める口実が必要なアメリカは、日本を経済的政治的に窮地に立たせ、攻撃するようわざと仕組んでいたのは日本人私たちにとっては周知の事実。

太平洋戦争が始まる前、日本との戦争を予期していたアメリカ軍は、約60人の日系人兵士を呼び集め、その倉庫のような建物で、日本語を他の兵士に教えるための特訓をした。

それが今アメリカ軍が誇るDefence Language Institute(DLI)の始まりだという。
このDLIは軍の語学学校で、猛烈なスパルタ教育で短期間で敵国の言葉を身につけさせ、その言葉をマスターした兵士を戦地に送るというもの。
日本語、中国語、アラビア語がもっとも難しい言語と位置づけられ、期間は18ヶ月。
他の言語はもっとも短い。

以前、このDLIで日本語教育を受けたというじいちゃん翻訳家に会ったことがある。
週7日、毎日60語から200語の単語を覚え、翌朝テスト。
100%でなければ罰をうけるという、猛烈に厳しい訓練だったという。
彼はその訓練を受けた後、日本に送られ、捕虜に尋問することが任務だったらしい。

催し物に参加しているのはみんな日系アメリカ人。
日本語が全く耳に入ってこなかったことをかんがえると、日本人は来ていなかったのだろう。

同じ日本人として日系アメリカ人の歴史には興味がある。
なかなか興味深い催し物だった。

たい君の耳の検査

2009-05-19 13:43:25 | 子供
たい君はもうすぐ1歳半になろうというのに、まだ言葉が出ない。
いくらなんでもちょっと遅すぎる。

一番に考えるのは
「耳が聞こえてないんじゃないか???」

音には反応するし、言っていることも理解しているようだけど、考えてみるとマー君だって難聴があるなんて信じられないほど補聴器なしでも音に反応していた。

子供ってわかりにくいんだよなぁ。

心配だからもう一度耳の検査をすることにした。

検査は音がプーっとなって、そっちのほうを見るとお人形が踊るという単純なやつと、新生児のときに受けた、スクリーニングと、鼓膜の動きをみるテスト。

結果は?っというと、『正常』

あ~、良かった。


お医者さんが言うには、2ヶ国語で話されている赤ちゃんは言葉が出るのが遅れがちだから、もう少し様子を見たらどうですかっとのこと。

まぁ、言っていることは理解しているようだから、もう少し様子を見ることにしよう。