これまた屋内遊園地でのお話。
その日は大変混んでいた。
小さい子を蹴飛ばしたりしないように、長男には白杖をしっかり持たせる。
そんな中での出来事。
長男は白杖を持っていたため、並んだアトラクションに乗ることを拒否されたのだという。
2時間も並んで、やっと自分の番になって「これから」という時に、「あなたは乗れません」って、ちょっとあんまりでしょ。
数歩トコトコと歩いて乗ってシートベルトを締める。
座ってしまえば見える人も見えない人も同じ。
終わったらシートベルトを取って、数歩トコトコと歩いて出てくる。
たったそれだけのこと。
目の前にあるその乗り物にのるだけなのに、座ってシートベルトをするだけなのに、
「あなたは目が悪いのでできません」
「いやできますよ。見ててよ。」
「いえ、決まりなので、ダメなことになっているので。」
夫が言うには、そのアトラクションは映像を見ながらシートががたがたと揺れるだけでいったい何がどう危険なのか、どうして目が悪いとだめなのか、わからなかったそうだ。
納得がいかないから電話をしてみた。
責任者の大崎さん(仮名)という方が私の対応をした。
私はなぜ白杖を持っていたら乗れないアトラクションがあるのかを聞いた。
「暗くて足元が見えにくいので、乗り降りの際、また避難をする際など危険ですのでご遠慮いただいています。」
まただ。
まるで障害者を守っているかのような口ぶりの差別、排除、締め出し。
私の頭の中には、いろんなことがよぎった。
まず長男は、視野は狭いけれど、中心視力は普通だ。
乗り降りだとか、階段だとか、気を付ける場所がわかっているのであれば何の問題もない。
問題は予期せぬ障害物であったり、小さな子供なのだ。
「白杖」イコール「視覚障害者」イコール「全盲」イコール「危険」は先入観と偏見でしかない。
二つ目、暗くて足元が見えないんだったら、かえって晴眼者の方が危ないんじゃないの?
全盲の人の方が見えない足元には慣れているわけで。
しかし、屁理屈を言うために電話をしたのではないため、この辺のことは言わないことにした。
私の目的は「守っているかのように見せかけた差別」に気付いてもらうことと、
「責任逃れのために張ったバリアが、結果、差別になっていること」に気付いてもらうこと。
私は続けた。
「大崎さん、ではこれはどう思われますか。ある映画館が『館内は暗くて足元がよく見えないため、視覚障害者の入館はお断りしております。』といったとしたら。」
「それは違いますね。」
即答だった。
「映画館がそんなことをしたら差別にあたるけれど、あなた方は良いという意味ですか?それはなぜでしょう?何が違うのですか?」
「それはー。」
「何がどう違うのですか?」
「それに関しては、後程回答させていただきます。」
避難時に危ないからという理由で視覚障害者の利用を断るのであれば、視覚障害者はどこにもいけないではないか。
「出入口が狭いので」
「階段は危険なので」
などという理由で、ありとあらゆる建物の出入りを禁じることが可能になるではないか。
「それに、〇〇の場合危険なので」という理由も、なんとでも作れると思う。
映画館も、スーパーも、デパートも、ホテルも、レストランもありとあらゆるものが「危険だから」という理由で視覚障害者を締め出すことが可能になってしまう。
「うちのレストランでは、熱いものを出しますので、ぶつかってやけどの危険があるため、視覚障害者の来店はお断りしております。」
「陳列棚にぶつかって、重いものが落ちてきては危険ですので、当店への視覚障害者の来店はご遠慮願っております。」
「うちのホテルは段差があるため、足をつまづいて転んでは危険ですので・・・」
まるで、"風が吹いたら桶屋が儲かる"状態だ。
そんな取ってつけたような「安全上の理由」を正当な理由として認めてしまえば、障害者差別のし放題になる。
誤解しないでほしいのは、「安全上の理由」がすべて間違っていると言っているのではない。
例えば車の運転など、目が見えない人が行うと危険な行為は実際にある。
私が言いたいのは「安全上の理由」と言ってしまえば何でもOKという風潮はおかしいということ。
少なくとも、事業者側はそのルールが本当に理にかなっているものなのか、しっかり吟味する必要があるし、それが当の本人から「不当だ、差別だ」と思われるのであれば、見直すべきではないのかと言っているのだ。
さて、電話の話に戻ろう。
私は長男が断られたアトラクションの話をしているのに、大崎さんはローラーコースターの話に持っていこうとする。
「危険だから安全のためにっ」と言いたいようで、
そのためには最も危険度の高いローラーコースターが都合が良いようだ。
でも私からしてみたら、ローラーコースターでも、椅子ががたがた揺れるだけの映像アトラクションでも、はたまた映画館でも、目が見えない人だけを除外する正当性はないと思う。
ローラーコースターだって、座ってシートベルトをしてしまえば見える人も見えない人も同じなわけで、目が見えないからと言って危険度が特に上がるわけではない。
大崎さんは言った。
「実際にうちでも死亡事故があったんですよ。」
「それは目が見えない人が、見えないことが理由で起こった事故ですか?」
「いえ、それは、まぁ普通の人でしたが。」
事故があったから、じゃー見えない人はダメにしようって、いったいどこから出てくる発想なの?
そんなに危ないなら、そのアトラクションは辞めればいい。
目が見えないからと言って、危険度が上がるわけではないけど、でもやっぱり危険なので、まー念には念を入れて目が見えない人はダメにしておこうっといったところか?
大崎さんは、この決まりができた経緯だとか、過去の例を話して、私を説得しようとする。
どの話も視覚障害とは何の関係もない話だけれど、責任を問われないようにと考えた挙句にできた決まりだということはよくわかる。
まぁ、説明されなくてもそれくらいのこと想像はつきましたけど。
この決まりを作るに至った経緯が何であれ、できたものが結果的に障害者差別になっているのだから、見直すべきだという私の意見に耳を傾ける気配はない。
数が少ないから、怒ってこなくなったところでたかが知れてる。
面倒な障害者が来なくなったら逆にありがたいくらいなところか。
自己責任を棚に上げて、何でもかんでも相手のせいにしてしまう人々。
責任を問われるのが面倒で、過剰にバリアを張り巡らすあまり、面倒な障害者を事前に排除してしまおうとする日本の社会。
アメリカは日本以上に訴訟の国だけれど、こういう不当な締め出しを食らったことは一度もない。
何も知らない他人が「あなたはできません」なんていう権利はないのだ。
できるかできないかは本人が一番わかる。そして本人しかわからないことがほとんどだ。
他人が勝手に「できない」と判断して行動を制限したり、サービスの提供を拒否することは人権侵害だ。
健常者と同じ入場料を払っているのに、乗り物まで歩いて行って、自分で乗ってシートベルトを締め、終わったら降りてくる、たったそれだけのことなのに、こんな白い棒を持っていたばっかりに「あなたはできません」と決めつけられて拒否された理不尽さ、屈辱。
こんなことってあっていいのだろうか。
長男は乗れなくてがっかりしたというより、すごくショックを受けていた。
私は大崎さんに伝えた。
「私を説得しようとするのはやめてください。あなた方がやっているのは、明らかに差別です。こういう意見が出たことを会議に上げて話し合ってください。」
おそらく、電話を切った後は「あー、またうるさい客だった。」と愚痴って終わったことだろう。
そして、また何にはばかることもなく堂々と「視覚障害者はこのアトラクションには乗れません」と露骨な差別を言ってのけるのだろう。
まるで障害者を守っているような顔をして。
以下障害者差別をなくすための日本の法律 (ウィッキペディアより引用)
障害者に対して、正当な理由なく、障害を理由として、財・サービスや各種機会の提供を拒否する又は提供に当たって場所・時間帯などを制限する、障害者でない者に対しては付さない条件をつけることなどにより、障害者の権利利益を侵害すること。法は、事業者、行政機関等いずれに対しても不当な差別的取扱いをすることを禁止している。
その日は大変混んでいた。
小さい子を蹴飛ばしたりしないように、長男には白杖をしっかり持たせる。
そんな中での出来事。
長男は白杖を持っていたため、並んだアトラクションに乗ることを拒否されたのだという。
2時間も並んで、やっと自分の番になって「これから」という時に、「あなたは乗れません」って、ちょっとあんまりでしょ。
数歩トコトコと歩いて乗ってシートベルトを締める。
座ってしまえば見える人も見えない人も同じ。
終わったらシートベルトを取って、数歩トコトコと歩いて出てくる。
たったそれだけのこと。
目の前にあるその乗り物にのるだけなのに、座ってシートベルトをするだけなのに、
「あなたは目が悪いのでできません」
「いやできますよ。見ててよ。」
「いえ、決まりなので、ダメなことになっているので。」
夫が言うには、そのアトラクションは映像を見ながらシートががたがたと揺れるだけでいったい何がどう危険なのか、どうして目が悪いとだめなのか、わからなかったそうだ。
納得がいかないから電話をしてみた。
責任者の大崎さん(仮名)という方が私の対応をした。
私はなぜ白杖を持っていたら乗れないアトラクションがあるのかを聞いた。
「暗くて足元が見えにくいので、乗り降りの際、また避難をする際など危険ですのでご遠慮いただいています。」
まただ。
まるで障害者を守っているかのような口ぶりの差別、排除、締め出し。
私の頭の中には、いろんなことがよぎった。
まず長男は、視野は狭いけれど、中心視力は普通だ。
乗り降りだとか、階段だとか、気を付ける場所がわかっているのであれば何の問題もない。
問題は予期せぬ障害物であったり、小さな子供なのだ。
「白杖」イコール「視覚障害者」イコール「全盲」イコール「危険」は先入観と偏見でしかない。
二つ目、暗くて足元が見えないんだったら、かえって晴眼者の方が危ないんじゃないの?
全盲の人の方が見えない足元には慣れているわけで。
しかし、屁理屈を言うために電話をしたのではないため、この辺のことは言わないことにした。
私の目的は「守っているかのように見せかけた差別」に気付いてもらうことと、
「責任逃れのために張ったバリアが、結果、差別になっていること」に気付いてもらうこと。
私は続けた。
「大崎さん、ではこれはどう思われますか。ある映画館が『館内は暗くて足元がよく見えないため、視覚障害者の入館はお断りしております。』といったとしたら。」
「それは違いますね。」
即答だった。
「映画館がそんなことをしたら差別にあたるけれど、あなた方は良いという意味ですか?それはなぜでしょう?何が違うのですか?」
「それはー。」
「何がどう違うのですか?」
「それに関しては、後程回答させていただきます。」
避難時に危ないからという理由で視覚障害者の利用を断るのであれば、視覚障害者はどこにもいけないではないか。
「出入口が狭いので」
「階段は危険なので」
などという理由で、ありとあらゆる建物の出入りを禁じることが可能になるではないか。
「それに、〇〇の場合危険なので」という理由も、なんとでも作れると思う。
映画館も、スーパーも、デパートも、ホテルも、レストランもありとあらゆるものが「危険だから」という理由で視覚障害者を締め出すことが可能になってしまう。
「うちのレストランでは、熱いものを出しますので、ぶつかってやけどの危険があるため、視覚障害者の来店はお断りしております。」
「陳列棚にぶつかって、重いものが落ちてきては危険ですので、当店への視覚障害者の来店はご遠慮願っております。」
「うちのホテルは段差があるため、足をつまづいて転んでは危険ですので・・・」
まるで、"風が吹いたら桶屋が儲かる"状態だ。
そんな取ってつけたような「安全上の理由」を正当な理由として認めてしまえば、障害者差別のし放題になる。
誤解しないでほしいのは、「安全上の理由」がすべて間違っていると言っているのではない。
例えば車の運転など、目が見えない人が行うと危険な行為は実際にある。
私が言いたいのは「安全上の理由」と言ってしまえば何でもOKという風潮はおかしいということ。
少なくとも、事業者側はそのルールが本当に理にかなっているものなのか、しっかり吟味する必要があるし、それが当の本人から「不当だ、差別だ」と思われるのであれば、見直すべきではないのかと言っているのだ。
さて、電話の話に戻ろう。
私は長男が断られたアトラクションの話をしているのに、大崎さんはローラーコースターの話に持っていこうとする。
「危険だから安全のためにっ」と言いたいようで、
そのためには最も危険度の高いローラーコースターが都合が良いようだ。
でも私からしてみたら、ローラーコースターでも、椅子ががたがた揺れるだけの映像アトラクションでも、はたまた映画館でも、目が見えない人だけを除外する正当性はないと思う。
ローラーコースターだって、座ってシートベルトをしてしまえば見える人も見えない人も同じなわけで、目が見えないからと言って危険度が特に上がるわけではない。
大崎さんは言った。
「実際にうちでも死亡事故があったんですよ。」
「それは目が見えない人が、見えないことが理由で起こった事故ですか?」
「いえ、それは、まぁ普通の人でしたが。」
事故があったから、じゃー見えない人はダメにしようって、いったいどこから出てくる発想なの?
そんなに危ないなら、そのアトラクションは辞めればいい。
目が見えないからと言って、危険度が上がるわけではないけど、でもやっぱり危険なので、まー念には念を入れて目が見えない人はダメにしておこうっといったところか?
大崎さんは、この決まりができた経緯だとか、過去の例を話して、私を説得しようとする。
どの話も視覚障害とは何の関係もない話だけれど、責任を問われないようにと考えた挙句にできた決まりだということはよくわかる。
まぁ、説明されなくてもそれくらいのこと想像はつきましたけど。
この決まりを作るに至った経緯が何であれ、できたものが結果的に障害者差別になっているのだから、見直すべきだという私の意見に耳を傾ける気配はない。
数が少ないから、怒ってこなくなったところでたかが知れてる。
面倒な障害者が来なくなったら逆にありがたいくらいなところか。
自己責任を棚に上げて、何でもかんでも相手のせいにしてしまう人々。
責任を問われるのが面倒で、過剰にバリアを張り巡らすあまり、面倒な障害者を事前に排除してしまおうとする日本の社会。
アメリカは日本以上に訴訟の国だけれど、こういう不当な締め出しを食らったことは一度もない。
何も知らない他人が「あなたはできません」なんていう権利はないのだ。
できるかできないかは本人が一番わかる。そして本人しかわからないことがほとんどだ。
他人が勝手に「できない」と判断して行動を制限したり、サービスの提供を拒否することは人権侵害だ。
健常者と同じ入場料を払っているのに、乗り物まで歩いて行って、自分で乗ってシートベルトを締め、終わったら降りてくる、たったそれだけのことなのに、こんな白い棒を持っていたばっかりに「あなたはできません」と決めつけられて拒否された理不尽さ、屈辱。
こんなことってあっていいのだろうか。
長男は乗れなくてがっかりしたというより、すごくショックを受けていた。
私は大崎さんに伝えた。
「私を説得しようとするのはやめてください。あなた方がやっているのは、明らかに差別です。こういう意見が出たことを会議に上げて話し合ってください。」
おそらく、電話を切った後は「あー、またうるさい客だった。」と愚痴って終わったことだろう。
そして、また何にはばかることもなく堂々と「視覚障害者はこのアトラクションには乗れません」と露骨な差別を言ってのけるのだろう。
まるで障害者を守っているような顔をして。
以下障害者差別をなくすための日本の法律 (ウィッキペディアより引用)
障害者に対して、正当な理由なく、障害を理由として、財・サービスや各種機会の提供を拒否する又は提供に当たって場所・時間帯などを制限する、障害者でない者に対しては付さない条件をつけることなどにより、障害者の権利利益を侵害すること。法は、事業者、行政機関等いずれに対しても不当な差別的取扱いをすることを禁止している。