私は基本的に子供への体罰は反対だ。
子供にだって人権がある。大人にしてはいけないものをなぜ子供にしていいものかっというのが、私の中での理論。
しかるときは、体罰ではなく、できるだけ言って聞かせる。
わーわーと泣き叫んで抵抗するときは、部屋に閉じ込めて少し時間を置き、落ち着かせてから話をする・・・など普段はそのように心がけている。
しかし子育てというのは、理論では説明できないわけです。
朝の時間がないときに、起こしも起こしてもおきないマー君。
むりやりパジャマのズボンを脱がせて着替えさせようとしていると、
足をばたばたして抵抗、その足が私の顔面にぼっこ~~んとあたった瞬間に、
マー君の太ももをぴしゃりとたたいていました。
まだある。なにを言って聞かせていたかは忘れていたけど、
私は真剣に怒った顔をして、マー君の目を真正面から見ながら、
「これはだめでしょ!」っとしかっていると、
私の顔にペッとつばを吐きやがった!!!
このときも次の瞬間にはピシャリとほっぺをたたいていました。
それから、お風呂にマー君とたい君と一緒に入っていたときのこと、
お風呂がぬるいから熱いお湯をたしながら、私は顔を洗っていたそのとき、
たい君が火のついたような叫び声で突然泣き出してびっくり、
「どうしたの?」と言う私にマー君は知らん顔。
マー君の手には手桶。たい君の背中は真っ赤。
すぐにピンと来た私は、「マー君熱いお湯をたい君にかけたの?」
私と目を合わせず「うん」。
次の瞬間「どうしてそんなことしたの!」っと怒鳴ると同時に頭をバシっとたたいていました。
腕白坊主を育てているのですから、こんなことは日常茶飯事なのです。
しかし・・・それが・・・学校でいじめ撲滅運動みたいなのがあってて、
先生が暴力を受けたりしたら、必ず先生に言うようにと子供たちに言い、
それでマー君は言ってしまったわけです。
「ママが僕を叩くんだ。」っと。
もちろん大変なことに。
『叩く』イコール『虐待』ですからこの国は。
しかも、それを言ったその日に迎えに行ったのはグランマ。
グランマは教室に呼び出され、家庭の事情を尋問され、
それから夫が帰ってきてから夫がグランマの説教を聞くことに。
先生が警察に連絡したら、私は刑務所に入れられることになる。
夫はマー君に謝るよう私に勧め、マー君には「ママはもう叩かないと約束した」と先生に言うように告げる。
ちょっと待った。ばかばかしい。なんで私が謝らなきゃいけないの?
それに「もう叩かない」なんて約束するもんですか。
子育てという現場をねぇ、机上の空論でがたがた騒ぐんじゃないよ!
しかし夫は引かない。
「もうだめなんだよ。体罰に理由はないんだ。叩いたという事実だけで、君は刑務所行きなんだよ。」
だったら刑務所に行ってやろうじゃないの!
ばかばかしい、あぁばかばかしい。
「ママが叩くんだ。」と言ったその一言によって、私がもし刑務所に入ることになったとしたら、それで家族が引き裂かれることになったとしたら、この社会はそれでマー君を守ったことになるの?
後になって、マー君は「自分が悪い子だったせいでママは僕を叩いて、自分が言ったせいでママは連れて行かれてしまった。」っと傷つくことになるんじゃないの?
私は謝りもしなければ、もう叩かないなんて約束もしませんでした。
その次の日、夫は先生と話をしたみたいだけど、いったいどんな内容だったのかは知りません。
まぁ、警察が来ないところをみると、今回は見送りましょうということになったんでしょう。
日本がここまで極端にならないことを祈るわ。
子供にだって人権がある。大人にしてはいけないものをなぜ子供にしていいものかっというのが、私の中での理論。
しかるときは、体罰ではなく、できるだけ言って聞かせる。
わーわーと泣き叫んで抵抗するときは、部屋に閉じ込めて少し時間を置き、落ち着かせてから話をする・・・など普段はそのように心がけている。
しかし子育てというのは、理論では説明できないわけです。
朝の時間がないときに、起こしも起こしてもおきないマー君。
むりやりパジャマのズボンを脱がせて着替えさせようとしていると、
足をばたばたして抵抗、その足が私の顔面にぼっこ~~んとあたった瞬間に、
マー君の太ももをぴしゃりとたたいていました。
まだある。なにを言って聞かせていたかは忘れていたけど、
私は真剣に怒った顔をして、マー君の目を真正面から見ながら、
「これはだめでしょ!」っとしかっていると、
私の顔にペッとつばを吐きやがった!!!
このときも次の瞬間にはピシャリとほっぺをたたいていました。
それから、お風呂にマー君とたい君と一緒に入っていたときのこと、
お風呂がぬるいから熱いお湯をたしながら、私は顔を洗っていたそのとき、
たい君が火のついたような叫び声で突然泣き出してびっくり、
「どうしたの?」と言う私にマー君は知らん顔。
マー君の手には手桶。たい君の背中は真っ赤。
すぐにピンと来た私は、「マー君熱いお湯をたい君にかけたの?」
私と目を合わせず「うん」。
次の瞬間「どうしてそんなことしたの!」っと怒鳴ると同時に頭をバシっとたたいていました。
腕白坊主を育てているのですから、こんなことは日常茶飯事なのです。
しかし・・・それが・・・学校でいじめ撲滅運動みたいなのがあってて、
先生が暴力を受けたりしたら、必ず先生に言うようにと子供たちに言い、
それでマー君は言ってしまったわけです。
「ママが僕を叩くんだ。」っと。
もちろん大変なことに。
『叩く』イコール『虐待』ですからこの国は。
しかも、それを言ったその日に迎えに行ったのはグランマ。
グランマは教室に呼び出され、家庭の事情を尋問され、
それから夫が帰ってきてから夫がグランマの説教を聞くことに。
先生が警察に連絡したら、私は刑務所に入れられることになる。
夫はマー君に謝るよう私に勧め、マー君には「ママはもう叩かないと約束した」と先生に言うように告げる。
ちょっと待った。ばかばかしい。なんで私が謝らなきゃいけないの?
それに「もう叩かない」なんて約束するもんですか。
子育てという現場をねぇ、机上の空論でがたがた騒ぐんじゃないよ!
しかし夫は引かない。
「もうだめなんだよ。体罰に理由はないんだ。叩いたという事実だけで、君は刑務所行きなんだよ。」
だったら刑務所に行ってやろうじゃないの!
ばかばかしい、あぁばかばかしい。
「ママが叩くんだ。」と言ったその一言によって、私がもし刑務所に入ることになったとしたら、それで家族が引き裂かれることになったとしたら、この社会はそれでマー君を守ったことになるの?
後になって、マー君は「自分が悪い子だったせいでママは僕を叩いて、自分が言ったせいでママは連れて行かれてしまった。」っと傷つくことになるんじゃないの?
私は謝りもしなければ、もう叩かないなんて約束もしませんでした。
その次の日、夫は先生と話をしたみたいだけど、いったいどんな内容だったのかは知りません。
まぁ、警察が来ないところをみると、今回は見送りましょうということになったんでしょう。
日本がここまで極端にならないことを祈るわ。
でも、やっぱり子供を叱る時に手がでることは少なくなってきていると思います。「もっと子供の気持ちに寄り添って、どうしてそんなことをしたのか、聞いてあげてください」と親が指導されるかな。
温度差って ありますよ
何気なくしたことが 実はすっごく
インパクト与えて
しまっていたりとか・・・
文化の違いって 難しいですね
う~ん、考えさせられる一言ですね。
何気なくしたこと言ったことが、実はすごくインパクトを与えていたと言うことは大人の世界でも良くあること。
すごく繊細で傷つきやすい子供が相手だと、そういうことは私が思っている以上に多いのでしょうね。
さすが先生ですね。
少し考えが変わりました。