
本日で自分もとうとう大台の50代に突入した。
もう50歳かと思う反面、よく運よく生きているとも思う。
特に40代前半は原因不明の体調不良に悩まされていたので、もしかしたら長生きできないんじゃないかと不安な時期もあった。
ただ、今の方が元気。
ある程度、仕事や人生にメドがついてしまったせいだろうか。
当然それは寂しいという反面、逆に余計なストレスはほとんど感じなくなった。
またお金を貯めるのを止めて、自分のために使うべきだと思うようにもなった。
そして何より、約10年振りにゴルフを始めたことも大きいように感じている。
休日も身体を動かし、そして競技などの張り合いも持てるようになったように思う。
でも本来、普通の日本人ならば、それは仕事に向かうべきものなのかも知れないが。
独り身の、そして万年ヒラ社員の向かうべき人生のモチベーションとしては、ごく当たり前にその程度のものでしかありえないような気もする。
改めて自分に問う。
50年どうだった?
すでに手遅れを感じて後悔も反省もあるし、まだ諦めきれていないものもある。
そろそろ自ら答えを出すべき時期なのたろうか。
ただひとつ言えること。
まだ人生は終わってはいない。
終わらせるつもりも毛頭ない。
そしてお金がなくなった。
やはり一生自由気ままとはいかないようだ。
まだまだ稼ぎも、生き甲斐も、必要だ。
まだ人生を動かせる力も信じていたりする。
答えを出さない人間は少しずつ社会から疎外されていくのだと、最近ようやく気付いた。
でもまだ、何も始まっていないような気がしてる。
いつ終わるかわからない旅の途中。
今日は自分にごほうびゴルフ。
お金もないが、これくらいしか自分にやってやれることはない。
去年ようやく80台が普通に出るようになったのに、今年はずっと3ケタ続きだったスコア。
今日は前半52、後半43。
前半と後半では、まるで別人。
80台のスコアと100台のスコアの違いなど、ほんの紙一重の差でしかない。
結果がすべてなのは理解しているが、結果に憂うことなどない。
お金持ちと貧乏人も、紙一重の違いしかない。
幸せと不幸も、紙一重の感じ方でしかない。
正義も悪も、紙一重の価値でしかありえない。
すべては表裏一体。
ひとつボタンをかけ違えたら、誰もがあちら側の人間。
去年たまたま大きな競技で80台が出たのは偶然だとしても、そのために何を準備したのかで自らの価値は決まる。
結果は必然な偶然。
人生も同じようなものだ。
と、一応言っておく。
50歳になった日に。