どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

休日に。

2011-03-19 | Sandstorm



久しぶりの休日。
億単位の人々が、この複雑になった社会システムに依存した生活に、いま何をしたら良いのかわからないままだ。
緊急事態に人命最優先は自明の理。
ただ今後、日本経済が破錠することになれば、はるかケタ違いの人が路頭に迷うことになるかも知れない。
わからない。
いま何をすべきなのか。
ただ祈るのみ。
まずはいつもと同じように、目の前にある自らの社会的責任を果たすだけである。
あまりにも震災とは無関係に追われる毎日の生活に、これでいいのかとも思う。





義援金は、一番身近なところに、気恥ずかしくもわずかながら入れてきた。
企業をはじめ、著名な芸能人やスポーツ選手の多くが、被災地に高額の寄付をしているようだが、私にはそんな稼ぎも余裕もない。
正直、少しうらやましい。
ただ、ひっそりと誰にも気付かれずにすればよいのにとも思う。
まあ、そうはいかないのだろうが。
開催を中止、あるいは延期するイベントもあれば、そうでないものもある。
開催するものは、世論に戦々恐々。
まずは先に、被災地に対する哀悼の言葉が述べられる。
もちろん、それはあって然るべきなのだが、何か違和感を感じるのはなぜだろう。





原発事故。
高価な設備を守るための対応遅れによる人災だという話もある。
誰を責めるべきなのか。
それとも誰も責められないのか。
日本人の誰もが、電気により過剰とも思えるほど快適な生活を享受してきたことも、また事実。
震災のあと無事だったところで、あえて暖房器具のスイッチを入れなかった人は、一体どれくらいいたのだろうか。
また、近郊の野菜から放射能が検出されたとか。
現時点ではともかく、落ち着いてからも風評被害は計り知れない。
そのとき、私は冷静に判断できるのだろうか。
わからない。
何を信じたらいいのか。
結局は、最後は自分を守ることに精一杯だ。
きっと、それでいいのだろうと思う。
まず自分を守る。
そして助けあう。
それが社会。





悲しみに暮れる人に、私はかける言葉がない。
ただ、自分を責めることだけはないようにと思う。




The End Of The World.
世界に終わりが来るのなら、それはふたつあるだろう。
ひとつは、この世界が無くなってしまうこと。
もうひとつは、自分が消え去ってしまうこと。
世界の終わり。
その時みな、自分の生への執着に気付く。




頑張ろう。
人はみな、目の前にある現在を生きるしかないのだから。
まだ、この世界は終わってはいない。
誰もみな、自分を頑張ろう。











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