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<写真> 3月26日(木)付 「競馬エース」内 トピックス紙面より
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名古屋では御馴染みの中央競馬専門紙「競馬ファン」が、今開催をもって休刊するとのこと。
ことに関西のレースを中心に売る東海地区では、トップクラスのネームバリューを誇るメジャー新聞。
自宅近くのコンビニへ行っても一番早く売り切れるのが「競馬ファン」のように思っていた。
昔は「競馬ブック」派だったウチの親父も、70歳近くになった今では、外面が「色刷り」で文字も大きく見やすい「競馬ファン」の愛読者。
父が競馬へ行く予定の前日に購入を頼まれるのだが、私が会社帰りの深夜の時間帯ではいつも売り切れ状態で困っていた。
そんな「競馬ファン」が休刊とは、少なからず驚き。
やはり、不況の影響なのか。
そういえば、私が淀や仁川へ遠出したとき、関西圏での「競馬ファン」の扱いは相当悪かった記憶がある。
競馬場の前の露店の新聞売場で「競馬ファン」をオーダーしたら、ズラッと各紙が並んでいる一等地とは全く違う隅の方から新聞が出てきてびっくりした。
「競馬ファン」がメジャーなのは名古屋圏だけの話なのだと、誰に聞くでもなく、そのとき直感した。
新聞の売れ行きは、印の信頼度も確かにあるだろうが、それよりも営業面の努力の差みたいなものも大きいと思う。
それは決して小さい新聞社が努力していないという話ではなく、営業で使える資金の差でもあるのだろう。
一般社会同様、新聞業界も勝ち組と負け組の格差はますます広がっていくに違いない。
現在、トヨタ系企業の不振を筆頭とした愛知県を襲っている未曾有の不況の嵐。
名古屋圏の人々が競馬新聞を買わなければ、当然「競馬ファン」の売上げは大きく落ち込むことになる。
少しくらいの著名な予想家や優秀なトラックマンを起用したとて、それはどうにもなるものではないだろう。
休刊・・・・・、気休めでしかないだろうが、廃刊ではない。
またいつか、老舗が復活することを期待したい。
名古屋のコンビニや馬券売場から「競馬ファン」が消えるのは、いささか寂しすぎる。
小倉や中京などローカル同時開催時の新聞ロゴの背景色の色違いは、一種の名物と言ってもよいだろう。
一番華やかで目立つ・・・、それは分かりやすく見やすい新聞であるということ。
玄人好みの地味で昔ながらの匂いを色濃く残す「競馬ブック」とは、良い意味でも悪い意味でも対照的な「競馬ファン」。
一番名古屋人に合った、一番名古屋らしい新聞ではなかろうか。
それはもしかしたら”経費をかけ過ぎ”という批判もあるかも知れない。
でもそれはまるで、これまで社会的貢献からノーマライゼーションを積極的に取り組んできた会社が、不景気になってそれが経営悪化の「悪」の要因のように言われるのと同じことではないか。
もしそれが正論であっても、そんな社会では寂しすぎる。
徹底したコスト削減、ムダの排除、ゆとりの放棄etc.・・・。
休刊、廃刊になるくらいなら、その方がマシ。
それが経済社会の正論。
ではそれならば「競馬ファン」が、紙を削減するために細かな字になり、白黒刷りに戻れば良かったのだろうか。
それではまるで、発展のない、ゆるやかな衰退を待つだけの地方競馬の現状維持論と同じようなものだと思う。
少なくともここ最近、老眼の親父がちゃんと楽しめる新聞は「競馬ファン」だけだった。
だからこそ私は、これまで”頑張ってきた”名古屋の「競馬ファン」の復刊を強く願うのである。
親父は今後、どの新聞を読むのだろうか。
まさか、間違っても競馬を止めるなんてことは言わないだろうが。
まあ、読みやすさで関西版「競馬エイト」あたりでも勧めておくか。。。
あと、今さらではあるが「競馬ファン」は、東海公営競馬の専門紙「競馬エース」とは姉妹紙。
まさか連鎖的になんてことは・・・・・。
そんな心配も、当然頭をよぎる。
もう一紙の「競馬東海」も、いまや「競馬エース」の姉妹紙となっているだけに、連鎖となればこちらもタダでは済まないだろう。
どちらかと言えば中央の「競馬ファン」より、東海公営の「競馬エース」の方が危ない状況だと思い込んでいただけに余計に心配。
コンビニでいつ見ても売れ残っているし、これは経営的に大いに改善の余地ありなのかも知れない。
でも、これといって大きな広告宣伝媒体を持ちえない名古屋競馬にとって、このコンビニの目立つ場所にいつも置かれている「競馬エース」の宣伝効果は、他の何よりもあるのではないかとも思う。
もしコンビニから「競馬エース」が消えたら、私だって競馬場の開催を忘れてしまうこともあるかも知れない。
わざわざ開催日程だけのためにパソコンを開くのは面倒だし、それが一般の方々だったらなおさらであろう。
できることと、できないこと。
省くところと、掛けるところ。
それを少しでも間違えたら、消えてしまいそうなほどシビアな現状。
大切に思えばこそ、怖くて身動きが取れないということもある。
新聞社だけでなく、主催者も、現場も、馬主も、馬産地も、そしてファンの存在も・・・。
どれが欠けても、楽しい競馬は成り立たないのだから。
また、これらのバランスを大きく崩すことにもなれば、競馬というビジネスは成り立ってはいかないものだと思う。
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名古屋では御馴染みの中央競馬専門紙「競馬ファン」が、今開催をもって休刊するとのこと。
ことに関西のレースを中心に売る東海地区では、トップクラスのネームバリューを誇るメジャー新聞。
自宅近くのコンビニへ行っても一番早く売り切れるのが「競馬ファン」のように思っていた。
昔は「競馬ブック」派だったウチの親父も、70歳近くになった今では、外面が「色刷り」で文字も大きく見やすい「競馬ファン」の愛読者。
父が競馬へ行く予定の前日に購入を頼まれるのだが、私が会社帰りの深夜の時間帯ではいつも売り切れ状態で困っていた。
そんな「競馬ファン」が休刊とは、少なからず驚き。
やはり、不況の影響なのか。
そういえば、私が淀や仁川へ遠出したとき、関西圏での「競馬ファン」の扱いは相当悪かった記憶がある。
競馬場の前の露店の新聞売場で「競馬ファン」をオーダーしたら、ズラッと各紙が並んでいる一等地とは全く違う隅の方から新聞が出てきてびっくりした。
「競馬ファン」がメジャーなのは名古屋圏だけの話なのだと、誰に聞くでもなく、そのとき直感した。
新聞の売れ行きは、印の信頼度も確かにあるだろうが、それよりも営業面の努力の差みたいなものも大きいと思う。
それは決して小さい新聞社が努力していないという話ではなく、営業で使える資金の差でもあるのだろう。
一般社会同様、新聞業界も勝ち組と負け組の格差はますます広がっていくに違いない。
現在、トヨタ系企業の不振を筆頭とした愛知県を襲っている未曾有の不況の嵐。
名古屋圏の人々が競馬新聞を買わなければ、当然「競馬ファン」の売上げは大きく落ち込むことになる。
少しくらいの著名な予想家や優秀なトラックマンを起用したとて、それはどうにもなるものではないだろう。
休刊・・・・・、気休めでしかないだろうが、廃刊ではない。
またいつか、老舗が復活することを期待したい。
名古屋のコンビニや馬券売場から「競馬ファン」が消えるのは、いささか寂しすぎる。
小倉や中京などローカル同時開催時の新聞ロゴの背景色の色違いは、一種の名物と言ってもよいだろう。
一番華やかで目立つ・・・、それは分かりやすく見やすい新聞であるということ。
玄人好みの地味で昔ながらの匂いを色濃く残す「競馬ブック」とは、良い意味でも悪い意味でも対照的な「競馬ファン」。
一番名古屋人に合った、一番名古屋らしい新聞ではなかろうか。
それはもしかしたら”経費をかけ過ぎ”という批判もあるかも知れない。
でもそれはまるで、これまで社会的貢献からノーマライゼーションを積極的に取り組んできた会社が、不景気になってそれが経営悪化の「悪」の要因のように言われるのと同じことではないか。
もしそれが正論であっても、そんな社会では寂しすぎる。
徹底したコスト削減、ムダの排除、ゆとりの放棄etc.・・・。
休刊、廃刊になるくらいなら、その方がマシ。
それが経済社会の正論。
ではそれならば「競馬ファン」が、紙を削減するために細かな字になり、白黒刷りに戻れば良かったのだろうか。
それではまるで、発展のない、ゆるやかな衰退を待つだけの地方競馬の現状維持論と同じようなものだと思う。
少なくともここ最近、老眼の親父がちゃんと楽しめる新聞は「競馬ファン」だけだった。
だからこそ私は、これまで”頑張ってきた”名古屋の「競馬ファン」の復刊を強く願うのである。
親父は今後、どの新聞を読むのだろうか。
まさか、間違っても競馬を止めるなんてことは言わないだろうが。
まあ、読みやすさで関西版「競馬エイト」あたりでも勧めておくか。。。
あと、今さらではあるが「競馬ファン」は、東海公営競馬の専門紙「競馬エース」とは姉妹紙。
まさか連鎖的になんてことは・・・・・。
そんな心配も、当然頭をよぎる。
もう一紙の「競馬東海」も、いまや「競馬エース」の姉妹紙となっているだけに、連鎖となればこちらもタダでは済まないだろう。
どちらかと言えば中央の「競馬ファン」より、東海公営の「競馬エース」の方が危ない状況だと思い込んでいただけに余計に心配。
コンビニでいつ見ても売れ残っているし、これは経営的に大いに改善の余地ありなのかも知れない。
でも、これといって大きな広告宣伝媒体を持ちえない名古屋競馬にとって、このコンビニの目立つ場所にいつも置かれている「競馬エース」の宣伝効果は、他の何よりもあるのではないかとも思う。
もしコンビニから「競馬エース」が消えたら、私だって競馬場の開催を忘れてしまうこともあるかも知れない。
わざわざ開催日程だけのためにパソコンを開くのは面倒だし、それが一般の方々だったらなおさらであろう。
できることと、できないこと。
省くところと、掛けるところ。
それを少しでも間違えたら、消えてしまいそうなほどシビアな現状。
大切に思えばこそ、怖くて身動きが取れないということもある。
新聞社だけでなく、主催者も、現場も、馬主も、馬産地も、そしてファンの存在も・・・。
どれが欠けても、楽しい競馬は成り立たないのだから。
また、これらのバランスを大きく崩すことにもなれば、競馬というビジネスは成り立ってはいかないものだと思う。