どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

ジョニー。

2008-03-14 | Sandstorm

来たる2008年3月15日、千葉マリンスタジアム。
一人の男がユニホームを脱ぐ。
その名も、黒木知宏。
通称ジョニー。
千葉のファンに最も愛され、そして千葉をこよなく愛した男。
熱かった。
そして本当に熱くなれた。
あの頃のチームは全てがうまく行かなかったが、それでもあの頃のスタジアムは確実に、ファンと選手との温度差が最も近い時期だった。
スタジアムは毎年、チームの成績と比例するように、秋にもなれば閑古鳥がなく有様だった。
それでもそこに残った数少ないサポーター達は、雨の日も風の日も最後まで声を嗄らして声援を送り続けた。
そしてジョニーはいつもその先頭に立って、チームもサポーターも全てひっくるめて引っ張っていった。
それは、ありきたりなリップサービスやファンサービスではない。
試合中の真剣勝負には、スタジアム中の誰もが彼の闘志に引き込まれていった。
あれが演技というならば、誰があんなに引き込まれよう・・・?
勝った試合も負けた試合も、一度でもライブで観たことがあるファンならば、それがわかるはずだ。
もう10年近く前・・・、
恥辱の18連敗の最中のあの試合。。。
痙攣と激痛が止まらない彼の右腕に、観客は何を感じたのだろうか?



時は流れ・・・。
チームは毎年のように優勝争いをするまでに強くなった。
でもそこには・・・・・、
ファンが待ちに待ってなお待ち焦がれた彼の姿はもう、ない。
戦力外通告。
でも、彼は最後まであきらめなかった。
最後まで自分の口から、引退とは言わなかった。
それはジョニー黒木という男の、最後のサポーターへのメッセージではなかったか?
俺達はエリートなんかじゃないさ。
でも、俺達は負け犬じゃない。
俺達は最後まであきらめない。
たとえ笑われてもいいさ。
引き際を美しくなんてのは、全てをやり尽くしたヤツがするものだ。
俺は、最後まであきらめない。
だから、9回裏ツーアウトでも、負けるなんて絶対考えるな。
ミラクルマリーンズ。
信じる力。
それが俺達の誇り。
だから最後まで精一杯の声援をくれ・・・。
彼はサポーターに、暗にそう語っているのだ。
そして、3月15日。
彼はその勇姿を最後に、静かにマリンスタジアムから去る。








たぶん、いや絶対に、その日のマリンスタジアムは溢れんばかりのファンで埋め尽くされるであろう。
その場に立ち会えないのは悔しいが、もうすでに自分の中では踏ん切りはついている。
私はもう、あの時のような熱狂的なマリサポではない。
シーズン全試合フルイニング観戦したあの頃の気力も、もうすでにない。
今の自分の日常が、それを許さないと感じるようにもなった。
私にとっては、もう過去のことだ。
ただその日は・・・・・、
名古屋の空を眺めて何かを感じているのかも知れないが。。。
ジョニーという男のために。



そういえば以前にも、同じようなことがあった。
マリサポ仲間からは怒られるかも知れないが、私は昔、少年時代は熱狂的なジャイアンツファンだった。
以前このブログでも書いたことがあるが、少年時代の私は中学校の仲間と連れ立って当時のナゴヤ球場に足繁く通ったGキチ。
いつも、名古屋巨和会という応援団について回っていた。
試合後は、夜中までドラゴンズファンと怒鳴りあいのケンカしていたこともある。
夏休みには、後楽園球場やまだ出来立ての横浜スタジアムにも行ったほどだ。
その当時、巨人の星といえば、若大将~原辰徳。
ちょうど私が中学生になった年に期待のルーキーとして入団してきたのが彼で、それから数年間、応援団にのめり込む私にとっては一番の輝く存在だった。



なんだ、けっこう浮気者なんだと思われるかも知れないがそうではない。
当時はジャイアンツが全てであったし、今と違って”真剣”そのものだった。
まだ子供だったのである。
でも、高校に入学すると、皆がそうであるように色々と楽しいことがどんどん耳から頭の中に入ってくる。
部活も真剣だったし、遊びも増えた。
ナゴヤ球場に連れ立っていた連中とも学校が離れてしまい、やがて疎遠になっていく。
そして大学生になり、さらにそれは加速して。。。
そうしているうちにやがてプロ野球自体に興味を失っていった。
確かに野球を全く見なくなったわけではないが、それでもとても球場へ行って応援しようなんて考えすらしなくなったのだ。
時はさらに過ぎ去り、社会人になってから数年後。。。
転勤で初めての上京を経験することになった自分。
そしてその年が、原辰徳の引退の年だった。
彼が引退を決めた後の数試合。
私は、数年振りに野球を観に行きたいと思った。
それは過去の少年時代の自分との決別。
そしてその御礼も意味もあったかも知れない。
引退試合に彼はホームランを打ったが、私が見たのはそのひとつ前の一発。
確か横浜戦。
終盤の逆転ツーランだった。
私はなぜか3塁側のスタンドからそれを見ていた。
レフトスタンド最前列に吸い込まれていく打球を見て、本当に涙が出た。
ありがとう。
楽しい記憶をたくさんありがとう。
そして、さよなら。
涙の訳は、今ではあまり定かではないのではあるが。。。




私がマリーンズファンになったのは、さらに何年か経ってからのことである。
野球の存在すら忘れていたのかも知れない。
雪山でコブ斜面にのめり込んでいたせいもある。
その当時のヒーローは、長野五輪のジャンリュック・ブラッサールでも里谷多英でもなく、エドガー・グロスピオンであった。
まだ競技として未熟な頃のモーグル。
あの頃のプロと呼ばれるモーグラーは、今と比べても豪快で魅力的だったように思う。
テクニックや得点が出る大技のエアということではなく、常にイカレたハートを感じさせてくれる滑りにただただ驚嘆した。
仕事と雪山に通う毎日。
まさにこの世の春のような時期であった。
そんな頃だった。
ふと暇つぶしのような感覚で訪れた千葉マリンスタジアム。
そこで私は、弱小チームの中でただ熱くマウンドに立ち続ける男に出会ってしまったのである。
野球を見る眼にはソコソコ自信はあった。
子供の頃から長い間生で野球を見続けてきたのだから、当然である。
そんな私の目にも、彼は強烈に焼きついた。
ハートを感じるのだ。
それは嘘偽りもなく、ストレートにすぐ私の心を虜にした。
背中に重い数字を背負っていたが、やがては球界を代表するエースになるという予感がした。
背番号54。
黒木知宏。。。彼である。
ミイラ取りがミイラに・・・、私はこの出会いによって再び熱狂的な野球熱を呼び覚まされてしまったのである。
やがてモーグルは競技色が強くなり、採点のために技術が数値化されていくようにになっていった。
そして私の足も、自然とマリスタに向くことが多くなっていったのである。。。





そして、今回・・・。
そんな彼も、球場を去る時がきた。
それは私にとっても、二度目の決別であるのかも知れない。
そんな大げさな意味はない。
ただ、自分の区切りとしたいだけだ。
原辰徳・・・ただ楽しかった少年時代との決別。
ジョニー・・・人生を謳歌した青年時代との決別。
何度も言うが、そんな大それたことではない。
明日もたぶん・・・朝が来て日が昇り、きっとただ今日の続きが続くだけだと思う。
でもさ、
人間って、
何か人生に句読点が欲しいのだ。
起・承・転・結・・・春・夏・秋・冬・・・みたいな。。。
それは自分だけではとても思い切れないから、きっと何かに背中を押してもらいたいと願うのだと思う。




ありがとう。
ジョニー。
そして、お疲れ様。



きっとファンは忘れない。
記録よりも記憶に残る男。
今現在、いつも満員御礼になるマリンスタジアムのライトスタンドは、きっと彼が残した最高の勲章であるように思う。










「ジョニー。」













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