夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

介護士、福祉施設

2015年12月04日 23時54分41秒 | 日記
妻の実家はその父の代から障がい児施設を始めて現在は三代目に到っている。この障害とは出生時に負った知的な障害らしい。この子供達も18歳になると施設を出なければならないらしいが受け入れる組織がない、つまり余りお金を稼ぐ仕事に就けないわけだ。そこで障がい者施設も作ってそこで農作業などをするようになった。

その三代目代表がベトナムに出張と言う、理由は人材確保らしい。そう、日本人はそういう施設で働きたがらない。豊かな生活になじんでしまって『貴族化』してしまったわけだ。危ない危ない!

私の父はもう104歳で寝たきりの状態でヘルパーさん6人が交代で面倒見て下さる。外貨を稼ぐ仕事で生きて来た自分の眼には何ら生産的でないこういった仕事に釈然としないものを感じるが、でも介護保険などからお金が回って市中に出て行く事を考えれば意味はある。だが、有体に言えば生活の必要に迫られて、でなければ誰が、言っちゃ悪いが汚い老人の身辺の面倒見なぞしようか、人には誰にも密かな矜持というものがある、・・・それを押し殺して面倒みに来て下さる人々に申し訳ないな、と思う。

昔、鬼の決断をした、『妻は自分の妻であって父の面倒を見る家政婦ではない』・・・その、一個の独立した人格である妻の人生を自分の親族の便利屋にされたくない、させてはならない、守らなければならない、と考えた。今、父の惨憺たる有様を持て内心複雑である。自分はこうなりたくない、なってはいけない、と思う時、戦争がない世界が本当に男の為にはいいのか解らなくなる。戦場で誇りを持って死ぬ方が自分の美学に適うように思う。

この3年ばかりの間に身近な人々の死に遭遇して来た。ある事に気が着く・・・どのように生きて来たか、その生きて居る時の姿で人は死ぬ、或は老いを生きる。はつらつと全力で生きた人は同様に、あっと言う間に退場する。うじうじぐずぐず生きた人はうじうじぐずぐず、中々死なない。

これ何のことかワカル??

2015年12月04日 23時15分22秒 | 日記
九州縦貫道のさるサービスエリアでふと奇妙な看板を見かけた。『突然丸子』と書いてある、ン??、何のこっちゃ??・・・すわった目で近くを見まわしていてしばらくたって判った!

すぐ上に『・・・名物 ”いきなり団子”』と書いてあるではないか。つまり中国人を当てにしているわけだ。『食の達人』中国人がこんなもの食うかな?何よりワカルかな?

これは不思議な食い物だ。九州の西から南、そこここに『・・・名物』と銘打って『いきなり団子』なるものが存在し、それがまた申し併せたように同じ仕様で、且つ”お世辞にも美味くない”

仕様:小麦粉の饅頭で餡がさつま芋のぶつ切り姿そのまま。売っているという事は買う人が居るということだろうがどうにも解せぬのは何故あんな美味くないものを買うのか?ということである。さらに不思議はなぜその名前が『いきなり』なのか?

かく悪口を言う僕も昔軽はずみで買ったことがあった、・・・『それみろ』とバカにされたくなかったから不味いのを辛抱して素知らぬ顔で三つ食った、夕刻になってひどい目にあった。空砲ばかりが盛大に鳴るのである。以後、この看板の前はそそくさとパスするようにしている。

もらって嬉しくないもの、・・東京雷門せんべい、大阪岩おこし、沖縄ちんすうこう、それに九州いきなり団子を加えよう。