夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

宗教とは詐欺である

2015年12月05日 20時56分53秒 | 日記
要件で実家に行った。父がタイヘン有難がって読んでいるらしい法華宗の信徒必帯みたいな冊子をパラパラめくってみた。即座に昔キリスト教会でやった使徒信条が閃いた。一言一句、書いてある個々の事柄は実に真摯で正しい。・・・

ところが『全体として詐欺』である。人間の組織がその利益の為に神を詐称している!死んでからも常日頃読経の声が聞こえる環境などと言う言いがかりで以て人を拘束する、結果的にカネが入る、等。

死後の事が判らない不安に付け入ってあることない事、我が肥前言葉で言えばシコカッコ屁理屈饒舌オンパレードで在りもしない砂上の楼閣を築き、それに人々を平伏させる・・・唯々諾々と平伏する人間も愚かと言えば愚か、君は何年生きて何を見、何を考えて来たんかね!アホ。

騙されるもんか!大した事もない人生を生きて院号など所望する御仁も居るようだがそういう人の墓には犬を雇い参らせて小便をかけてやろう。

害務省

2015年12月05日 15時40分59秒 | 日記
金持ちの箱入り意気地なし息子が苛められない様に先回りして自宅から金品貴重品を持ち出しては近所の悪ガキに提供するあのイジマシサにそっくりだ、その言動が・・・喧嘩するクソ度胸もないか、日本は! だから舐められるんだよ。

看護師、介護士、その他老人取扱い者

2015年12月05日 11時01分58秒 | 日記
私は衰えて身体の動きままならぬ、頭脳も曇った人々を世話する人々ほか、人々がしたがらない仕事や作業をする人々に密かな敬意を持っている。

その一方で、特に最近の若い人々の時として見せる『妙に馴れ馴れしい言葉遣い、上から目線めいた言葉遣い』を苦々しく思う。ある時、ワザトみすぼらしい形をして福岡市の中心街の書店に行った。中に居たキャンペーンガールと思しき瀟洒な身なりの女性が私に声を掛けた・・・『来たな!』と思った。・・・『もしもしそのこのオトーサン、ぐちゃぐちゃむにゃむにゃ・・』と何やら宣伝を始めた。黙って聞いていると如何にもこちらを『ただのみすぼらしい老人』と見くびったかのような言辞だ。一息ついたので『あなたの仰りたい事はそれだけですか?』と聞いた。『はアッツ?!』と戸惑った様子だったので『チョーサーのカンタベリ物語の原書を探しているんだが、どこのフロアに行けばいいのでしょう?』と聞いて見た。

たちまち困惑の表情と共に、逃げに出た、『知りません』とそっけない。実は私は悪い癖だが、相手の人物を試す時にわざと外した質問や話題、アホな話しを出したり素振りをしたりして見る、そうして相手がどういう態度に出て来るか反応を見てその人物を量る。

介護福祉士諸姉諸兄、世の中には油断も隙もならない老人が居る、言動に気を付けられよ、相手を子供扱いにして怒りを買ったらもうそれでおしまいになる。特に私が気になるのは親密でもない人を名前で呼ぶことである。品位などと言うものに無関心なアメリカ人の猿まねか?日本人の礼儀作法の観念は昔から人を名前で呼ばない、代名詞で呼ぶ、だから日本には人を呼ぶ代名詞が多い、お上、殿、殿さま、奥様、奥方様、お父さん、お父様、お母様、御父上、ご母堂、お母上、そこもと、おもと、御前様、

近頃の若い人々、人を名前で呼ぶことが無礼であることに気が着かれよ。あなたがたよりも一回りも二回りも大きな人で、ただ外見だけがよれよれと言う人・・・車だって永年乗ればよれよれになるのだ・・・尊重すべき相手か否かも見極め得ない浅い人間であってはならない。

いつぞやフランソワ・モレシャンと言う方が言っておられたが日本に来た頃、お世話になっていた初老の女性が『奥様お風呂にお入りあそばせ』と言ったとのこと・・、戦災で落ちぶれたが良家の出の方と見えた、日本にはそういう美しい言葉、言い回しの在る国だと思った由、失ってはならない。おそらくそういう観念は九州は特に強い、容易に表に出さないがいざという段になると阿蘇雲仙桜島のように噴火する。侮ってはならない。