夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

カダフィ大佐と班田収授の法並びにベーシック・インカム

2016年01月06日 18時02分13秒 | 日記
 15年以上も昔、ジャイカの招きで造船所に研修に来ていたイランとトルコの人と話したことがあった。イスラム教のことを少し聞いたが同じ根から出たとは思えない程キリスト教と違う雰囲気を感じた。正直に言おう、イスラム教の方がより『人の弱み』に寛容親切と感じた。

 カダフィ大佐の内政はそのイスラムのいがする。同時に律令制度の班田収授の法の思想と同類ではないかと言う気がする。・・・即ち、国民の生存を保証するのが国家の第一の責務であるとの観念。するとこれはまたベーシック・インカムを連想させる。

 しかしこれが成り立つには一つ重要な要件がある。今の人々は人間が作った『法』しか念頭にないと思う。社会で実効ある法が『法治国家』の法であれば多分上記は成り立たない。すぐに想起するのがそういう施策は『怠け者』を作るだけだ、と言う話である。

 キリスト教社会ではキリスト教は遠い昔に実効を失っているが見る処イスラム世界ではイスラム教が未だ効力を持っている。例えば日本を訪れるムスリムの為に礼拝所を用意したり彼らの教義に適う食事を用意したりすることを考えれば解る。おそらくリビアでは国民一人ひとりに対してイスラム教が実効を持っていたのだ。だから『国民の生存を保証する』と言う『国家の対国民倫理』がそれに応える『国民の対国家倫理』で維持されていたのだろう。詰まり相互に信頼と保証があった。

 同様に律令政治の行われた日本の古代にも同様の観念があったのだろう。ところが120%西欧化された現在日本の政治的観念では国家には『国を見守る神居ますとの概念』は行政組織にも国民にもない。そのような『言語化できない』ものを悉く排除するキリスト教由来教養主義がエラそうに議を論って『国家と国民の倫理観』をぶち壊してしまったのだ。かくして生計が確立出来るまで国家が生存を保証する、・・・おそらく国民は税で以てそれに応えたのだろう・・・ような観念は想起さえされず格差が固定する愚かな危うい社会になった。少子化も無論その結果であろう。

 壊れたレコード小泉純一郎、肥後のバカ殿細川護煕、さても愚かな両氏、反原発圧力たかり利権集団に見事に篭絡されたか否かは知らないがまるで知恵が無い。理系の『思考実験』が出来ない。肥後細川家初代妙解院様忠利公は成り上がりもの秀吉に一切合切没収されて浪々の身であった我が家の先祖を地方役人に使って下さった大恩ある殿さまだがその子孫にこのような人が出て来たとは残念無念・・・『殿ご乱心!そのお姿は何としたことでござりまするか!?』だ。この御両人、反原発ではなく現代版班田収授の法を説けばそれなりにインパクトがあったものを。

 国家の倫理は国民の生存権を保証すること。而して国民はその施策を保証バックアップする倫理観を持つこと。断っておく、このような倫理観が全く欠落している民族がある。そのようなものに国家の責務は及ばない。そのような者は日本国民たりえない。
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喧嘩の仕方

2016年01月06日 10時32分49秒 | 日記
学生時代の悪友が話した、あるゴロツキの事例:道で誰かと諍いになった、相手が『俺は柔道三段だぞ』と凄んだ。すると当のゴロツキは『何い、ワシャア喧嘩五段ぜ』と言って下駄を脱いで相手の顔面を殴りつけて逃げた、と言う。

自営業の仕方を教えてくれた表面紳士、中身ゴロツキの娑婆暮らし大先生の教え:自分だけ無傷で勝とうと思うな、自分も相応に傷着くが相手には致命傷を与える覚悟でやらんと勝てない。

薩摩の剣法、野太刀示現流は相手を斬る鍛錬しかしない。受け太刀がない。自分が傷つくことが念頭にない。だからこれを相手にすると始末が悪い。段もなければ試合もない。試合をすればどちらかが死ぬ。

どんなに正論でも勝たなければ無意味である。歴史は勝者が作るのだ。勝ち方に正否はない、勝たなければならないのだ。

これらの事を勘案すれば昨年末の日韓合意は私は支持する。正論に拘って問題を長引かせるのは下手な方法である。戦線膠着、長期化は必ず失敗する。ドイツ軍の東部戦線、ベトナム、アフガン、イラク、皆失敗している。電光石火の早業で一気呵成に殲滅、戦意喪失を起こさせる、或は敵内部のかく乱を図る・・・
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大いなるバビロンの正体が薄々見える

2016年01月06日 09時01分36秒 | 日記
結局だな、普通の善良なキリスト教徒が、欧米社会の作られた正義や良識を無意識に信じる。彼らは無自覚に黒幕の片棒担がされてるわけだ。

黙示録は言う・・・我が民よ、かれの罪に与らず彼の苦しみを共に受けざらんためにその中を出でよ。かれの罪は積りて天に至り神その不義を憶えたまいたればなり(18章4,5節)

自分は女王であって寡婦ではないと嘯く大いなるバビロン、神に対する貞節を忘れて地の王たちと淫を成す大いなるバビロン、つまり本来仕えるべき神、その神の言葉を人類に伝えるべき役目をを差し置いて現世欲に盲目となって地上権力に諂ったキリスト教会が、黙示録に謂う大いなるバビロンのようだ。
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カダフィ大佐

2016年01月06日 08時56分19秒 | 日記
ある人から得た情報 :ー

以下を読むと、本物のワルは欧米のどこかに潜んでいることがわかる。

リビアには電気代の請求書が存在しない。電気は全国民、無料だ。
融資には金利がなく、リビアの銀行は国営で、全国民に対して与えられる融資は、法律で金利ゼロ・パーセント。

リビアでは住宅を所有することが人権と見なされている。
リビアでは全ての新婚夫婦が、新家族の門出を支援するため、最初のアパート購入用に、政府から60,000ディナール(50,000ドル)を受け取る。

リビアでは教育と医療は無償。カダフィ以前、識字率はわずか25パーセントだった。現在、識字率は83パーセント。
リビア人が農業の仕事につきたい場合には、農園を始めるための、農地、家、器具、種、家畜が、全て無料で与えられる。

リビア人が必要な教育あるいは医療施設を見いだせない場合、政府が外国に行くための資金を支払い、さらには実費のみならず、住宅費と自動車の経費として2,300ドル/月、支払われる。
リビア人が自動車を購入すると政府が価格の50パーセントの補助金を出す。

リビアの石油価格は、リッターあたり、0.14ドル。
リビアに対外債務は無く、資産は1500億ドルにのぼるが、現在世界的に凍結されている。

リビア人が、卒業後就職できない場合は、本人が雇用されているかのごとく、特定職業の平均給与を、職が見つかるまで国が支払う。
リビア石油のあらゆる売上の一部がリビア全国民の銀行口座に直接振り込まれていた。

子供を生んだ母親は、5,000ドル支払われる。
リビアでは、パン40斤が0.15ドル。

リビア人の25パーセントが大学の学位を持っている。
カダフィは、この砂漠国家のどこででも自由に水が得られるようにするため、大人工河川計画として知られる世界最大の灌漑プロジェクトを遂行した。

・・・私はこれはイスラム教の実行ではなかったかと考えている

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天国

2016年01月06日 08時18分06秒 | 日記
 キリスト教では天国と言うものがあるらしい。私はそんなものまるっきり信用していない。これに関しては日本人、神道の方が正確に理解している。白と黒のオタマジャクシが巴に並んだ図形があるが、世界全体はその姿であると考えている。黒いオタマジャクシが実態界で波動、念の世界・・・そこに時間の経過なるものはない。白いオタマジャクシが現象界で実態界の念、或は波動が時間微分された姿で、人智の及ばないある種の写像関数によって地上顕在世界に映し出された姿である、と勝手に考えている。

 暗黙にそれを知っているから神道に於いては『神』が自分のすぐ横に、或は近くの神社に居る、乃至は身辺に神気が充満している。日本人はそれを『お天道様がみてござる』と表現する。仏教はそれに近い。山川草木悉皆成仏、即ちあらゆる物が仏の化身であると理解し、この今住む世界を極楽浄土と考える。その中に在って無駄な心労は無意味である、『何事も放てば満つる』と了解する。

 この神道や仏教の理解了解思想の中から『屁理屈や議を言う』ことが出てこなかった、結果辛気くさい『意識した』愛、博愛、慈善、教育、などと言う概念は出て来なかった。煎じて言うと、『顕在意識によって』世界を捻くり回す観念が神道や仏教にはなかった。日本にとって救いである。

 一方キリスト教世界は徹頭徹尾『無意識を否定して顕在意識に特化、ありとあらゆる事に屁理屈をこねまわして言語化』しなければ措かない習性を、多分宗教会議なるもので刷り込んだ。そこからはい出したサソリ、マムシ、ムカデ等によってアジアやアフリカは苦しみ、現在世界の解決不能な全ての問題を惹起した。

 話が逸れた・・・天国などと言う手前勝手な世界、人を騙す論理はある『悪意のある存在』が『人類を騙し、世界の本質的姿を隠ぺい』し、『最終的に世界を破壊』しようとの目論見によって打ち立てられた虚偽の物語である。実態界、つまり念、波動の世界こそが彼らの言う天国なるものであっていまここに存在する。そしてそこでの真実は聖書の冒頭に書いてある、曰く『神の霊水のおもてを覆いたりき』、つまり神の霊(念、波動)は今我々の周囲に満ちている。

 


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