夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

大久保利通公と剣術

2016年01月08日 09時39分47秒 | 日記
ふと閃いただけで根拠も何もない。

大久保利通大臣は登庁道筋で待ち伏せしていた刺客に暗殺された。幕末動乱をかいくぐって来た人が余りに簡単に暗殺されるとは?と、かねて疑問に思っていたが或は?と思うのが・・・
おそらく示現流の使い手であったのではなかろうか。示現流はひたすら敵を斬る訓練に集中する。戦国時代の乱闘の山野を駆けぬける、そのままの剣術と聞く。受け太刀がない、自分も斬られるが相手は確実に切り殺すと言う思想、従って段というものも試合もない。

受け太刀の概念が無かったのかもしれない。

薩摩海軍長州陸軍と言った。海軍にこの薩摩の思想が幾分入っていたのではないか?だから戦略も戦術も誤ったのではないか?海軍が野放図に戦域を広げるので陸軍は追随するのに往生した、と何かで読んだ記憶がある。
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正月

2016年01月08日 08時51分35秒 | 日記
 小学校低学年時代は昭和23年~26年。年末になると大家さんちの兄ちゃんがそこいらのがけ下からカマツチを運んで来て藁を刻み庭にヘッツイをしつらえて大きなハガマに湯を沸かし、藁で作った203高地を乗せ、その上に蒸籠を置いてもち米を蒸した。それを臼に取って兄ちゃんが餅をついた。大家さんのオバサンが巧みに餅をひっくり返す。当時は粟の餅もついた。粟餅はコメの餅より硬くなる。
 鏡餅は3段重ね、ゆずり葉、うらじろ、葉付きのミカン、コンブなどをあしらって床の間や要所に飾った。それから兄ちゃんは裏の藪から竹を切って来る、山に行って松の枝を取ってくる、山蔭からシラスを掬ってくる、そしてアッと言う間に門松を立てた。

 元日は日の丸を揚げてよそ行きの服を着て学校に行った。校長先生、諸先生方、PTA会長、村長、村の役人、父兄の有志など皆講堂に集まった。御真影だけはなかった。その場所に国旗が飾られていた。音楽の先生がオルガンを弾いてみなして歌を歌った。国歌に続いて・・・歳の初めのためしとて 終わりなきよのめでたさを マツタケ立てて門ごとに 祝う今日こそ愉しけれ・・・

 それから校長先生、助役、PTA会長挨拶などあって紅白の餅をもらって帰宅した。帰って家で書初めという事をした。それが休み明けの作品展示会に出されるわけだ。竹を削ってタコを作り川っぷちの堤防で凧揚げをして遊んだ。

 鹿児島県の田舎ではこの日におろした服を一年中着た。靴はまだなかった、草履か下駄だった。私も妹も新しいボールと鞠を買ってもらえるのが嬉しかった。貧しかったのだ。だが、これからまた新しい気持ちで、と言うワクワク感があった。

 これを何だつまらないと言うか?・・・あなたは西欧教養主義思想、GHQの策謀、その策謀の狗である朝鮮ゴキブリとそれが媒介する日本解体ウイルスに感染しているのだ。感染して、感激とは何か、美しいとはどういうことか、が全く分からなくなっているのだ。

 願わくは我が日本の産土の神、再び日を昇らしめたまえ!

 
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