2009年の夏、選挙開票速報でペキンオリンピック開会式の模様を意気揚々得意満面万金発財の体で報道したNHKのいけ好かない男性アナウンサーが『民主党の大勝ですね』と満面の笑みで報道するのを見て正直打ちのめされた。どうして日本人は物事や人物、言動の底にある本質を見抜けないかと無力と失意を感じると共に日本はどうなって行くのだろうかとの不安が黒雲のように湧き上がった。
その時にふと閃いたのが20年の長きに亘って在籍したエホバの証人のカルト宗教団体での知見である。20年もかかったのだが、この集団が、最初は人格を、次に家庭を、破壊、最終的には国家をも破壊する集団と理解して脱退した。だが在籍中に読んだ聖書の記事は別の記憶領域に生きて強い印象を残していた。ものみの塔聖書冊子教会とは聖書の歴史予見に関わる記事を巧妙に利用して一握りの支配的集団が信者を食べる(比ゆ的に言えば)組織である。
私はその組織を怪しいと思っていたが事あるごとに開いて読んだ聖書は心に残った。旧約新約問わず関連ある記事を開いて読まされるので聖書の体系がうすぼんやりと見えた。結論を言うと、ものみの塔は怪しいが聖書はどうも嘘と思えない、そしてまさに今我々が生きて居る時代の事が書いてあるように思えた。・・・そこで藁をも掴む思いでこの日本の状況についてなにがしかの安堵を得られるような記事がないものか、と探し始めた。
同時にインターネットも漁り始め多くの事を筆者各位から学んだ。そして『聖書が実際は人間社会の覇権の変遷とその行き着く未来』を予見している との仮説を立てて日本や世界の動きを見るようになった。この過程で、自分の解釈は性急近視眼的であった、と考えることが度々あるが鳥瞰すれば聖書は非常によく未来を当てている。この経験を通じて目先の、或は日々起こる世界の、国内の個々の事象にあまり動揺しなくなった。
結論を言えば、『人間は自分達と自分たちの住む世界を動かす権威を持っていない。その力と権威は神なる存在にある』という事を思い知らされるところまで暴走する、暴走の結果として人類史始まって以来経験したことのない艱難を味わう。但し生き残る者共がある。
その生き残る者共を再秩序化する役割がどうやら日本人に負わされている、と考えるようになった。考えるようになった、と言うのは、逆に、そのような役割を担わされた民族なり国なりを探して行くとどうも日本人が一番否定し難い、と言う思考法である。
その時にふと閃いたのが20年の長きに亘って在籍したエホバの証人のカルト宗教団体での知見である。20年もかかったのだが、この集団が、最初は人格を、次に家庭を、破壊、最終的には国家をも破壊する集団と理解して脱退した。だが在籍中に読んだ聖書の記事は別の記憶領域に生きて強い印象を残していた。ものみの塔聖書冊子教会とは聖書の歴史予見に関わる記事を巧妙に利用して一握りの支配的集団が信者を食べる(比ゆ的に言えば)組織である。
私はその組織を怪しいと思っていたが事あるごとに開いて読んだ聖書は心に残った。旧約新約問わず関連ある記事を開いて読まされるので聖書の体系がうすぼんやりと見えた。結論を言うと、ものみの塔は怪しいが聖書はどうも嘘と思えない、そしてまさに今我々が生きて居る時代の事が書いてあるように思えた。・・・そこで藁をも掴む思いでこの日本の状況についてなにがしかの安堵を得られるような記事がないものか、と探し始めた。
同時にインターネットも漁り始め多くの事を筆者各位から学んだ。そして『聖書が実際は人間社会の覇権の変遷とその行き着く未来』を予見している との仮説を立てて日本や世界の動きを見るようになった。この過程で、自分の解釈は性急近視眼的であった、と考えることが度々あるが鳥瞰すれば聖書は非常によく未来を当てている。この経験を通じて目先の、或は日々起こる世界の、国内の個々の事象にあまり動揺しなくなった。
結論を言えば、『人間は自分達と自分たちの住む世界を動かす権威を持っていない。その力と権威は神なる存在にある』という事を思い知らされるところまで暴走する、暴走の結果として人類史始まって以来経験したことのない艱難を味わう。但し生き残る者共がある。
その生き残る者共を再秩序化する役割がどうやら日本人に負わされている、と考えるようになった。考えるようになった、と言うのは、逆に、そのような役割を担わされた民族なり国なりを探して行くとどうも日本人が一番否定し難い、と言う思考法である。