夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

聖書を通して時代を見る

2016年01月20日 13時47分58秒 | 日記
 2009年の夏、選挙開票速報でペキンオリンピック開会式の模様を意気揚々得意満面万金発財の体で報道したNHKのいけ好かない男性アナウンサーが『民主党の大勝ですね』と満面の笑みで報道するのを見て正直打ちのめされた。どうして日本人は物事や人物、言動の底にある本質を見抜けないかと無力と失意を感じると共に日本はどうなって行くのだろうかとの不安が黒雲のように湧き上がった。

 その時にふと閃いたのが20年の長きに亘って在籍したエホバの証人のカルト宗教団体での知見である。20年もかかったのだが、この集団が、最初は人格を、次に家庭を、破壊、最終的には国家をも破壊する集団と理解して脱退した。だが在籍中に読んだ聖書の記事は別の記憶領域に生きて強い印象を残していた。ものみの塔聖書冊子教会とは聖書の歴史予見に関わる記事を巧妙に利用して一握りの支配的集団が信者を食べる(比ゆ的に言えば)組織である。

 私はその組織を怪しいと思っていたが事あるごとに開いて読んだ聖書は心に残った。旧約新約問わず関連ある記事を開いて読まされるので聖書の体系がうすぼんやりと見えた。結論を言うと、ものみの塔は怪しいが聖書はどうも嘘と思えない、そしてまさに今我々が生きて居る時代の事が書いてあるように思えた。・・・そこで藁をも掴む思いでこの日本の状況についてなにがしかの安堵を得られるような記事がないものか、と探し始めた。

 同時にインターネットも漁り始め多くの事を筆者各位から学んだ。そして『聖書が実際は人間社会の覇権の変遷とその行き着く未来』を予見している との仮説を立てて日本や世界の動きを見るようになった。この過程で、自分の解釈は性急近視眼的であった、と考えることが度々あるが鳥瞰すれば聖書は非常によく未来を当てている。この経験を通じて目先の、或は日々起こる世界の、国内の個々の事象にあまり動揺しなくなった。

 結論を言えば、『人間は自分達と自分たちの住む世界を動かす権威を持っていない。その力と権威は神なる存在にある』という事を思い知らされるところまで暴走する、暴走の結果として人類史始まって以来経験したことのない艱難を味わう。但し生き残る者共がある。

 その生き残る者共を再秩序化する役割がどうやら日本人に負わされている、と考えるようになった。考えるようになった、と言うのは、逆に、そのような役割を担わされた民族なり国なりを探して行くとどうも日本人が一番否定し難い、と言う思考法である。

県民ショー

2016年01月20日 10時02分24秒 | 日記
この県民ショーなる民放番組はクサイ!と思っている・・・理由:ことさらに大阪を取り上げ、大阪を持ち揚げる。

おおさか維新の会か或は在日、もしくはその両者と通底していてヘイトスピーチ禁止条例を足掛かりに、一方で憲法改正論議で安倍政権にすり寄って、大阪を日本からの独立自治区様態に持って行こうとしているのではないか?

聖書を『聖』書と言うのは騙しである

2016年01月20日 08時55分17秒 | 日記
所謂旧約聖書は事績と予見を記述している。
新約聖書の4つの福音書はイエス・キリストなる人物の事績の聞き語りである。
新約聖書最後の黙示録は幻視の覚書である。
 
残りが書簡である。書簡の大部分は12使徒でもない、自称キリストに心酔するモノ(パウロ)が書いたものである。その文面の個々の部分を取り上げれば極めて真摯な『信仰生活の指針』である。であるが故に全体として『目くらまし、騙し』である。

騙しである証拠の一つがキリスト教会、キリスト教世界の礎石になっている点、今日の世界の苦境、混乱、二律背反の諸問題の根はキリスト教にある。世界中に出かけて行って神の愛に浴させる為に信仰を説き、その背後で諸民族を巧妙に教育、植民地化して血を吸い上げた。内部矛盾から共産主義が這い出して今なお世界の困惑の原因になっている。その自由、平等、博愛を世界中に敷衍せんとしてイスラム世界に介入して破壊、そこから解決困難な問題が噴出している。

騙しの証拠の第二が本来、事績と予見の記録であったものを、顕在意識上での『何でも言語化』の所産である『信仰』なるものの『聖典』にしてしまったことである。つまり、倫理観、モラルの類を人々の無意識下に刷り込む行動規範、諸行事、事例、等々の集積である旧約聖書をイスラエル人の民族宗教の聖典であるとして知恵の本棚から廃棄せしめた。新約部分はキリスト教会の神父や牧師が後生大事に抱えて歩くお守りみたいなもの、との概念を全人類に刷り込んでしまった。

この二つの騙しによって人類は世界がどのようになって行くかをその記録から読み解く事をしなくなった。あるモノの策謀である。その或るモノ、とは・・・
『汝は彼の踝を砕き、彼は汝の頭を砕く』と言われた見えない存在、黙示録で『鎖に縛られて底のない処に投げ込まれる存在』である。

旧約の内、世界の覇権の推移と未来を予告しているのが、イザヤ書、エゼキエル書、ダニエル書、12の小預言書、新約では黙示録。我々が見て居る世界は現象界であって、それは『念、波動』の世界である実態界が何らかの写像方式によって人間の五感に映じる姿に翻訳されていると考えなければ解らなくなる。

もし『宗教』とか『信仰』などの」雑念を一旦脇に於いてこれらの予見、幻視の記述を読むならば『日本が世界救済の切り札にされている』のではないか??と言う事に思い到る。


 

存在の不安

2016年01月19日 08時22分39秒 | 日記
 所有欲は支配欲の一形式である。その根底には 存在の不安 がある。その最も解りやすい例が 預金、保険 等であろう。

 存在の不安のさらに奥にあるのが 不信仰 である。不信仰の原因は 我々が居るこの世界の構造 が判らないところにある。

 世界の構造 とは?・・・神 光在れと言い玉いければ光在りき である。つまり 念 が 現象化している・・・あなたの境遇はあなたの人格が現象化した姿である。

 しかし日本人にはこの辺の機微が解っている人々が居たし今でも居るような気がする。

 無一物中無尽蔵 と言う、 何事も放てば満つる と言う、 笑う門には福来る と言う、 果報は寝て待て と言う、 泣き面にハチ と言う、 待てば海路の日和あり と言う、 極めつけは市井で お任せ などとと言う。

 キリスト教由来顕在意識領域高等屁理屈弁論術を刷り込まれた人々にとっては お任せ定食 などと言う自己主張放棄は断じて有り得ないだろう。そこが西欧文明の救い難いところである。