午後からはいいお天気になりました
青空とゆく雲と風に揺すられる山を眺めながら、娘とふたりでお茶の時間
苺のティーカップでストロベリーの紅茶をいれて…
先日高松でお会いした法友のFさんからいただいた、お手製の小柚子の甘露煮と一緒に…
やさしいひと時をいただきます!!

僕は、死にましぇ~ん・・・
もう、20数年前になりますでしょうか。
あるところで偶々点けたテレビには、お世辞にも格好いいとは言えないオジサンが無茶苦茶きれいな女性にプロポーズしているのです。
当時、流行っていたドラマ「101回目のプロポーズ」の再放送でした。
モノマネ等で有名になったシーンは、走っているトラックの前に飛び出し「僕は死にましぇ~ん!僕が幸せにしますから~!」って叫ぶのです。
きれいな女性にはフィアンセがいて、結婚式当日に交通事故で亡くなってしまうのです。
忘れられないのです・・・
愛しいあなたの顔・声・指・温もり・・・
忘れることが出来ないのです。
そんな女性に命をかけてプロポーズしたのです。
今、BSで再放送されていてハードディスクに録りだめて、楽しみながらボツボツ観ています。
丁度、昨日観たところでして・・・このシーン。
何事があっても守り続けるよ!
いつまでも守ってみせる!
幸せにしてみせる!
どれもこれも男なら愛する女性に言いたい言葉・・・
でも、コイツにはなかなか言えなくて・・・
何かあったら守ってあげたいとは思うけど、その時になってみな分からん・・・
多分、オレは幸せになれるよ、あなたがいれば・・・
情けないコイツに幻滅する坊守が見えそうです。
でも、やっぱり「死にましぇ~ん!」とは言えないです。
例え決め文句であっても・・・言えない。
ニュージーランドで起きた大地震から一年になるのですね。
亡くなってしまった多くの若い学生さんのご家族が現地に立たれた。
娘が亡くなった建物のコンクリートを擦りながら、「残念で・・・」って歯を噛みしめ涙ぐむお父さんの姿がありました。
守ってやれなかったこと・・・
どうして、行かせてしまったのか・・・
悔まれる言葉がトツトツとこぼれていました。
辛かろうな~・・・
去年の春、巣立った娘を家中捜したコイツがいました。
娘の香りが残る部屋で崩れていたコイツがいました。
それだけでも辛いのに・・・
コンクリート、触るだろうな~
愛しい娘の声を探すだろうな~
なんで娘なのか・・・
なんで娘が死ななければならないのか・・・
このこととしょうもないドラマと並べる事すら失礼極まりないのですが・・・
気持ちは分からんでもないのですが、やっぱり「死にましぇ~ん」は言えないな~
でも、「死んでも、また、会おう!」そう言える真の愛をお互いの間にはさみながら生かさせていただきたい!
そう言い合える安心の中、大切に生かさせていただくことです。
真の愛・・・お念仏だけです。
何事があっても必ず会える!
と言いながら、捜してしまう私が見えてしょうがないのですが・・・すいません。
追伸、
決してこのドラマが嫌いな訳ではないのです。
っていうか、大好きなのです・・・浅野温子さん。
きれいなもんだな~・・・
棚の整理をしていると法衣屋さんや数珠屋さん・仏具屋さん等のカタログが未開封のまま出てきた。
毎回毎回立派なカタログですが、全国の寺院に送っておられるのだと思うと大変だな~って思います。
私は、これらのカタログを見るのが結構好きです。
立派なものなので見応えあるし暇つぶしにもなります。
正直、法衣等の着るモノにしても欲しいモノはないのですが何と綺麗なお浄土のお荘厳だと時を忘れて見入ってしまいます。
ただ・・・なんでこんなに高価なのだろうかって毎回溜息が出るのですが・・・
先日、ある仏壇会社の会長さんがテレビに出ておられました。
殆ど、早送りで見ていたのですが・・・
素晴らしいことにこの会社では、東北での震災で大切な方を亡くされ、家も失い仏壇のないご家庭に簡易仏壇セットを無償で送っておられるとのこと。
頭が下がりました。
有難いお方ですね。
そりゃあ、送られた方々も喜んでおられました。
悲しい中にも手を合わせ向きを同じくできる空間があるということは何よりも大切なことです。
でも、仏さまはどうなっているんだろう・・・って、思ったのですが・・・
そしたらお前が送ってあげなさいよ!って言われそうですが・・・
先日もあるご門徒にお仏壇の相談を受けました。
「どのようにしたらいいのでしょうか・・・何も分からないのですが・・・」
お家にお仏壇がなかったのですから本当に分からないのだと思うのです。
私もいろんなことで数え切れないほど経験してますが、何をどう質問していいかさえ分からないのです。
お仏壇とは、どうするものなのでしょう・・・
何のためにあるのでしょう・・・
どこに、どうやって・・・等々。
何よりも一番大切なのは、阿弥陀さま(南無阿弥陀仏)です。
これさえあれば後は何も必要ありません。
箱はどうでもいいのです。
勿論、お仏壇はお浄土のお荘厳ですのでどうでもいいって言うとお叱りを受けるのですが、
立派なモノに越したことは無いのですが、無理しないように部屋に応じたモノを求められたらいいのですよ。
とにかく、阿弥陀さま(南無阿弥陀仏)をご安置させていただいて手を合わさせていただくようにさせていただきましょう。
南無阿弥陀仏とは親の名のり。
「私があなたのまことの親ですよ!」と親の名のりをしてくださり、ず~っと、ず~っと喚び続けておって下さるおはたらき・・・
そのおはたらきがこの私に当たって下さり、揺り動かして下さるからこそ、この口から「なんまんだ~ぶ」ってこぼれ出て下さる。
阿弥陀さまをご安置し、「なんまんだ~ぶ」と称える自分がいる。
オレが称えるからから阿弥陀さまがこちらを向いて下さるのではなかったのです。
阿弥陀さまの方が先手・・・常に先手!
これまでも、ず~っと・・・
そのことに気付かずに背を向けていた人生、
辛いご縁ではあったけれど大切なあなたを通して今、私がこの事に出遇わせていただきましたと喜びに変わっていく空間。
一人ぼっちだと思っていたけれども、あなたが・・・
気付かん私を、忘れて生きる私を、ず~っと案じて下さっていた・・・あなたでしたね。
ず~っと、お立ち向かいくださっていました。
そのことを申し訳なく思い、感謝させていただく・・・そんな尊いひと時を過ごせるところなのでしょうね。