月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

春号着手

2012年02月20日 19時52分47秒 | 仏々相念(住職日記)

後回し・・・

 

今日の天気の気持ち良いこと。

昨日、雪が降る中洗車していた自分が情けなく感じるほど。

でもあの後、雨や雪が降らなかったようで朝には霜が降りていたものの、それなりの綺麗さを保ちつつ気持ち良く運転させていただいたことです。

 

お参りさせていただいたお宅は、暫く疎遠になっていたお宅でした。

これまでの数年間のしんどさを涙々でお話になります。

大きな手術を4度・・・

それでも良くなればいいのですが、悪くなっていくばかり。

今となっては補助車無しでは歩けません。

「働いて働いて苦労して、やっと一息付くことが出来ると思えばこの状態、このまま最後は痛い痛いで死んでいくと思うと残念で堪りません。」

「・・・」

「金が無いのも辛いが、健康を損なうのも辛くて・・・」

「・・・」

快い友だちが一緒にお参りして下さっていたので勇気付けて下さいます。

「そんなに泣いたらいけん!暗くなるから!でも、よう分かるよ。私も痛いところばかりだし、一人だとメソメソしてしまうけど、誰かと一緒だと強く言うことが出来る。」

「私も、私も!」その友の言葉に「二コッ」と微笑むのです。

お互いを思い合う優しい空気が流れます。

痛みがなければこんな気持ちにはなれませんもんね。

若輩者は出る幕もなく、人生の先輩の生き方を教わることです。

 

帰り道、ツラツラ思うのです・・・

そうだよな~、ガンバって歯を食いしばりながら生きてきて、生きてきて・・・

やっと、やっとのことで一息つける頃には辛抱してきた身体が悲鳴を上げる。

もうちょっと、もうちょっと・・・それぞれがそれぞれに支えあいガンバってきた人生。

痛いところを擦りながら涙が出る。

 

ウチももう2年もすれば息子も巣立つのでしょう。

どこに行くのか、何をするのか分かりませんが、やっぱり広い広い世界を見て欲しいな~って思っています。

「息子のいない日常なんて考えられん!」って坊守。

会話もない生活になるのでしょうね。

いやいや、コイツは坊守がここにおってくれるように思っているのですが、それも分かりませんもんね。

「私にも夢がある!」と坊守が巣立つ時が来るかもしれません。

それはそれで、応援してやりたいと思うのですが・・・

 

一人で考えているとウジウジ・メソメソのコイツ。

オイオイ、そんなこと考えている暇があったらしなければいけないことがあるだろう・・・

そうなんです、今月半ば頃から気になっている「月のひびき」春号!

まだいいか・・・まだいいやろ~・・・

延ばし延ばしのコイツがいたことです。

「おっしゃ~!」

気合入れてパソコン向うも・・・

 

来月にはお届けしま~す!


西へ西へ…のはなし

2012年02月20日 18時38分28秒 | ふうわりふわり(坊守日記)
今日は香川県高松市の本願寺高松会館で、四州教区青年布教使研修会があり、実演布教をさせていただきました

阿弥陀様の光明が暁の闇に差し、無明が明らかに知らされていく…ということを、お味わいさせていただきました

その研修会も終わり、西へ西へと、待ってくれる家族のもとに帰ります

帰り道、大きなオレンジ色の夕日を見ながら走りました

今はその夕日も山の向こうに沈みましたが、茜色の空が手を広げて抱きとめてくれるようです

あ…いちばん星も…

(松山道桜三里パーキングにて)

青空駐車

2012年02月19日 19時50分35秒 | 仏々相念(住職日記)

屋根がほしい・・・

 

ニコニコさんも青空駐車です。

いくら洗車してもきれいなのはその時だけ、特に冬場は辛いものです。

雨等が降らなくても霜で直ぐに汚れます。

 

近所にも洗車の好きな方がおられ、通りかかっては話しかけられます。

洗車のアドバイスなどをしていただき、洗車師匠と仰ぐことです。

 

いつも言ってくださるのです、「ここに屋根付けたらいいのに!」

「私もそう思うのですが、景観もありますしね~。いろいろ難しくて・・・!」

「屋根があったら車にはいいがな~」

って寒空で洗車する愚かな弟子を案じて下さるのです。

 

今日の午前中は好く晴れていました。

「よっしゃ、昼から洗車!」って作業着に着替えて外に出てみると、ドンドン曇っているのです。

「ん~、怪しいかな~」って思いつつも、引き返す勇気を持たないコイツはホースを伸ばし始めるのです。

いつもの手順で、足回り~ボディーと進んでいました。

テールランプ辺りを洗っていると横殴りのミゾレが降り始めます。

「あ~、やっぱりか!」ってここで止めるかどうかの思案第一段階。

青空駐車なので直ぐに汚れるのです。

普通なら止めるんでしょうね・・・

でも、踏ん切りが付かないコイツは拭き始めるのです、一通り。

まっ、一回拭き取っておけばその上が濡れても少しは違うだろうしって・・・

 

終わる頃、ミゾレは雪に変わります。

積もるほどではないのですが、ボディーに落ちては一粒一粒水滴となっています。

外でゴソゴソしているとそのうち薄日が差します・・・

ここで第二段階。

もう一度、拭きとるかそのままにしておくか・・・

やっぱり、踏ん切りの悪いコイツは拭き始めるのです。

もう、これで降り始めたら止めよう・・・そう思いつつ。

一通り拭き取って猛ダッシュで帰ってきました。

又降り始めると空見上げ止むのを待つコイツがいるから・・・

 

何に対してもそうです・・・

踏ん切りが悪いというか、ウジウジ考えてしまうというか・・・

 

そんな人生ですから、あまりいい結果はありません。

後悔ばかりです。

 

それにしても、何事でも同じ気持になって下さる方がいるということは嬉しいことですね。

これで、後悔しつつも生かさせていただくことです。


得度のはなし

2012年02月18日 22時52分00秒 | ふうわりふわり(坊守日記)

今朝はうっすら雪景色・・・寒い一日でしたね。

今日から知り合いの坊守さんが得度に入られました。
昨夜遅くに「願生ってくださいね」とメールをしていたお返事が今朝届き、そのメールには「・・・11日間の貴重な時間を大切に過ごしてきたいと思います。・・・(中略)・・・しかし京都は寒い・・・」とありました。
思わず「わ~、こんな寒い時のお得度は大変だわ~」と私。

ふっと、22年前に自分が得度させていただいた時のことを思い出しました。

何をするにも人任せの甘えんぼ・・・
そんな私がお得度をして僧侶になる・・・
お得度に入って何日目だったでしょうか
研修棟から本堂へ行く廊下の突き当たりにある鏡に、黒衣姿の自分を見たときに、こんな私が僧侶になっていいのか?
とすっかり落ち込んで、逃げ出したくなったのを覚えています。

それでもなんとか得度式を受けて、本願寺派の僧籍をいただきました。

「釈智海」・・・母と一緒に考えてつけていただいた法名です。

22年経った今でも、あの時の思いは変わっていないのかもしれません。
でも、多くのご縁をいただいた中に今の姿があることを知らせていただいています。

あの鏡は、阿弥陀さまの智慧の光明だったのですね…

見抜かれた私の姿

恥ずかしながら、この姿で、この道を歩ませていただきます。

 

(写真はShellie Mayの布教使スタイル、その名も≪ちかいちゃん≫です)


成長之姿

2012年02月18日 20時03分51秒 | 仏々相念(住職日記)

どのような縁に触れ・・・

 

何気に点けたテレビ番組では動物モノを放送していました。

どういう経緯で「一人」なったかは分かりませんが、高崎山の「一人ぼっち」の小さな子猿が映し出されていました。

夕方、群れが山の中の巣に帰っていきます。

でも、「一人」の子猿は巣に帰ることもできません。

身体を縮めて寒さに耐えています・・・

なんて言っているのでしょうか・・・一生懸命に叫んでいます。

 

次に映った姿は階段で傷だらけになり硬直している姿。

何でそうなったかは分かりません・・・

基本は野生の猿は野生のままに・・・なのだそうですが、緊急の時は手を貸すのだそうです。

傷を拭いてやり温かいミルクを飲ませてやると少しずつ元気を取り戻します。

がしかし、長く手元に置いておくと人間の匂いが付いてしまい群れに帰れないのだとか・・・

直ぐに寒空の下に放ちます。

お客さん用に設置してある外のストーブで暖を取る子猿・・・

「一人」で・・・

何日たった頃でしょう、一匹の雌猿がその子猿を引き寄せ背に乗せたのです。

いろんな縁が重なり・・・

近くに我が子を亡くした雌猿だったそうです。

寒空の下、愛しくその「一人」の子猿を抱きしめていました。

 

何て優しい光景なのだろうか・・・

忘れかけていた温もりに出会い、子猿はどう思うのだろう・・・

「あ~・・・あったかいな~」

もう、一人ぼっちは嫌だと一生懸命にしがみ付いていたかもしれません。

その雌猿も同じ気持なのかも。

 

一人ぼっちの寂しさと身も凍るような冷たさ、

打ち震えるような現実のなかで、命あることを喜んだ瞬間だったかもしれません。

 

自分が「一人」になったらどうしよう・・・

寂しがり屋の私はよく思います。

震えながら、何て叫んでいるのでしょう・・・

自分の腕で自分の肩を抱きしめ泣いているかもしれません。

そんな自分が見えるからなのでしょうか、雌猿の御手に抱かれる子猿の安堵を思わずにおれません。

「よかったな~」って。

 

でも、その数ヶ月後、その雌猿は亡くなってしまうのです。

儘ならない束の間の安堵・・・

その後、どうやってその子猿が生き抜いたかは語られません・・・

4年後、大きくなったその子猿の姿がありました。

一生懸命に餌を食べている姿が・・・

その寂しさをどうやって克服していったのでしょう・・・

「生きる」ためにどんなことをしてきたのでしょう・・・

 

「強いな~」

 

寂しさに押し潰されそうになる自分が手に取るように見えているのに、

コイツは偉そうに阿弥陀さまの温もりを分かったような顔して話しているのです。

有難く思うし勿体なく思うのです・・・

でも、そう話しながら、今、家族がいることを喜んでいるコイツがいることです。

 

ぬくぬくと生きているコイツに何が分かるのか・・・

 

はるかなるむかしむかしからず~っと案じて下さる親心に抱かれてあるこのいのち。

深き深き業を重ねながら生きゆくこのいのちを、

一人ぼっちの寂しさに打ち震えるこのいのちを、

どうしよう、どうしようと生きるこのいのちを、

知り抜いていてくださっているおはたらき。

 

「大丈夫だよ!ここにいるから・・・一人にはさせないよ!」って優しき微笑を浮かべつつ。

今日も一緒にいて下さる阿弥陀さま・・・

何と心強いことでしょう!

 

疑う訳ではないのです・・・

 

でも、コイツはそこに心強さを感じつつも、

今、家族が一緒にいる儘ならん安堵の中に喜びを感じているのです。

すいません・・・