飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

阿久根市に集う、リチャード・竹原・仙波元巡査部長!!②

2010-07-24 12:54:31 | 仙波巡査部長

これは一つのドラマである!!
今は、世相に埋没した小さな出会いだが、
乱世の一つの大きな転換点となる
志士の邂逅(かいごう=出会い)となる予感!!

 

 三者三様と書いたが、ひとはいろいろ、考え方はいろいろである。生き方もいろいろだろう。それは個性として、尊重される。誰かも国会で同じ事を言ったが、それとは同じ意味ではない。どこが違うか? それでも真実は一つであると言うことである。

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Photo

 

 リチャードさんは、破天荒な手法で、世の中の真実を抉り出す。竹原市長は、猪突猛進する。仙波元巡査部長は、身を挺して巨悪に立ち向かう。さすがは元警察官である。敵の素性をよく知っている。さくら班という公安部門について言及している。

 

 共通しているのは、真実の側に立って奮闘努力しているという点だ。対応はいろいろである。中でも破天荒の中でも型破りなのが、竹原市長と云うことになるだろう。彼には恐れというものを知らない。既に死んでいる。死を覚悟しているなどと言うものではない。死をどうとも思っていないのである。肉体の死など、眼中にないかのようである

 

 

 さらに共通しているのは、勇気である。殆ど、三者とも、気を勇んで、その他のことは眼中にないのである。この合体は、大きなものとなるだろう。

 

2010.7.17_06/15 リチャード・コシミズ【官僚という生き物】阿久根講演会
http://www.youtube.com/watch?v=ZYVmLSVkpMk&feature=PlayList&p=D520A55B10A86E02&playnext_from=PL&index=0&playnext=1

2010.7.17_07/15 リチャード・コシミズ【官僚という生き物】阿久根講演会

2010.7.17_08/15 リチャード・コシミズ【官僚という生き物】阿久根講演会

2010.7.17_09/15 リチャード・コシミズ【官僚という生き物】阿久根講演会

2010.7.17_10/15 リチャード・コシミズ【官僚という生き物】阿久根講演会


傑出した心眼、いつも感心させられる!!

2010-07-24 12:16:07 | マドモアゼル愛

こうも淡々と真実を述べられるお方も 珍しい!!
こういう観方を、心眼というのだろう。
よくよく、心に落として考えてみると
誰でも素直に分かるだろう......。


 ワクチンという名の詐欺商法。商法ならまだ許せる。
人殺しは許されない。不妊化とはそう言うことだ。それをいくら警告しても、ワクチンという無批判な美名が世の中にのさばっている。

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<大蔵村が全額費用を負担する子宮頸(けい)がんのワクチン接種。
初日は12人が受けた=村診療所 >


 これは陰謀である。


 他に何と表現しようか? 陰謀とは、隠された謀(はかりごと)があると言う意味だ。それを考えず、ギャラで踊るタレントや、サブミリナル効果を狙ったかどうか、番組中に子宮頸ガンワクチンに言及するキャスターやアシスタント。ミエミエである。


 国民に毒を盛ることに、何故、執着するのだろうか。


 それは、深い魂胆があるとしか思えない。それは、すこし大袈裟に聞こえるかも知れないが、人種人民撲滅作戦という気違い思想が根底にあるのである。まさしく、パラノイア(偏執狂)の狂った思想がそれを推進している。


 あまりに狂っているから、正常な人間は『まさか』と思っているに過ぎない。誰かも言った。上り坂、下り坂、そして、『まさか』である。『まさか』を狙う人間は、マジック師か、詐欺師か、コンスピラシー(陰謀家)と考えて、間違いはない。


 そう言う意味で、9.11自作自演テロは実行されたし、インフルエンザ・パンデミック作戦は実行された。そういう『まさか』が、世の中には、ゴマンと在る。ウソは『まさか』を狙う。

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 『まさか』バレることは有るまい。と考えるのは人情である。人間のみがウソを吐く。それは少しばかり、頭が働くから、魂胆を悪用するのである。魂胆とはそれ自体、悪巧みという意が有るが、原義は魂であるから、そればかりではない。本来は素直(良心=善我丸出し)な魂が本来の姿であろう。


 その魂の目で見ることを、心眼で観ると言うのだ。


 そうすると、『まさか』の陰謀が見えてくる。世の中に事に、『まさか』はない。不思議はないのである。偶然はない。全ては因果律に支配されているから、言ってみれば、全ては必然である。必要・必然とは船井幸雄氏の言葉であるが、それは当たっていると思う。


 魂を曇らせるのは、欲が関係している。『恋は盲目』と言うが、それも同じ意味だ。欲から離れると、魂の曇りは晴れる。曇らない魂の目で見ることを心眼で観ると言うことになる。


 では、心眼で観た秀逸な評論を転載する。味わって頂ければと思う。


【転載開始】2010-07-23 23:42:40

理想に踊らされる人類   2010年07月23日(FRI)

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テーマ:日本とアメリカ

 口先だけでも聞こえのよいことを言い、スローガン的には正しいと思われることを言えば、どんな悪事でも隠して行える、、、それが民主主義であるということに早く多くの人が気付かないと、尻の毛まで抜かれる。
 
たとえば子宮けいがんのワクチンは言うのもおぞましい気持ちになるが、劇物である犬猫の避妊薬と同等の成分が入っている。
これは事実らしい。
 
そうなれば、誰でももしかしたら人間も赤ちゃんが生まれなくなるのではないか、、、と誰でも思う。
よく調べようと思うと、副作用の資料が存在しない。
 
ワクチンというのは緊急性があるという大義名分の前で、安全性の証明から逃れられる特殊性を持つ。
本当はどんな場合でも安全優先なので、そんな特殊性はインチキだが、人前ではいかにももっともらしく思える。
 
911の時も、あのビルの爆発はおかしくない、、、?のオタク的疑問を抱いた大勢お人がいたと思う。
ビルが突っ込んで壊れたのだから、色々な破片があってもいい。
 
それが死体はもちろん、すべてのものが粉々の砂状になってくずれた。
通常の破壊でそうしたことは起こるわけがない。
 
しかしそのことを言うと、愛国者でないということにされる。
大義やもっともらしいスローガンほど、巨悪を隠すのによい方法はない。
 
子宮けいがんワクチンに話しを戻すと、5万円もするワクチンを財政が異常なほどひっ迫している役所が出す、、、ということにし、これを受けないのは馬鹿かあほ、、、という印象付け。
ワクチンを受けて当たり前でしょ、、、だって、国がお金を出してくれるのよ、それも5万円もよ。
 
すでにワクチンはいいものだが、高いことだけがネック、、という話しにすり替わっている。
誰が金を出す科出さないかはどうでもいい。
 
出す場合でも税金なのだから。
そんなことはどうでもいいのだ。
 
その前に話しあわなくてはいけないものがあるだろう。
それをやろうとしない。
 
ワクチンには大体、効果がないかもしれないと明言されている。
そのことも踏まえ、そんなものをどうしてやるのか、しかも不妊成分が入っている。
 
副作用はどう出るかわからない。というと、子宮けいがんをなくしたくないのですか、、、という論法である。
はっきり言ってバカである。
 
話しあいを知らないやり方だ。
だからこれはインチキだと疑いたくなる。
 
ビルがなぜ粉々になるのかを知りたいだけで、犯人が誰だという話しをしているのではない。
まして、テロが正しいなどと言っているわけでも当然ない。
 
なぜ粉々になるのかを知りたいだけ。
飛行機が突っ込んでビルが倒れた際に、なぜ粉々になり、死体はおろか、電話ひとつ、パソコンひとつの残骸も出ないのはなぜだか知りたいというのが、なぜ反愛国なのか、それも知りたい。
 
ウソを隠そうとしているからでしょ。
 
いいですか、みなさん、私たちは実は凄い世界に住んでいますよ。
 
子宮けいがんワクチンをこれから政府が後押しして全員の女子小学生や中学生が摂取していって、将来、その成分が正しく効いて、不妊になったらどうしよ う、、、そうではないのなら、どうして劇物がワクチンに入っているのか、犬猫の不妊薬成分がなぜそこに入っているのか、、まず知りたいと思いませんか。
 
その上で、ちゃんとした理由があり、しかも本当によいものなら、これは問題はないと思う。
でもなぜこんな普通に考えればおかしなものを、自民党も民主党もすすめようとしているのか。
 
戦争で負けたということはこういうことなのかしら。
敗戦国だから実験ができる。
日本人を将来減らすことができる。
 
間に入った人は異様なほど大儲けができる。
ワクチンを反対する人は、おかしな人で、反社会的というレッテルをはることもできる。
 
要するに、監視管理社会にするには、けっこうワクチンを認めるか反対するかは、よい踏み絵にできる。
まるでナチスのやり方みたい。
 
国や政府がそんな悪いことをするわけがない、、、と思っている人が多いが、確かに、自民党の中にも民主の中にも官僚の中にも人間的に立派で尊敬できる人はいます。
しかししかしだよね。
 
 
まあ、どうなっていくかはよく見ておきましょう。
だんだんとこうしたことを自由に言う空気もあと少しでなくなってくるかもしれない。
 
反動勢力がとりあえず巻き返しに必死だと思う。
しかしやはりもう無理だと思うんだよね。
 
事実は段々と伝わっていくので、これまでとはもう違うわけで、やり方を変えた方がいいと思う。
文化を継承し、新たに文化を起こし、人民に生きる喜びを与え、喜んで働いてもらい、自らも立派な統治によって尊敬され、誰もが敬い、本心から慕う、、、そういうやり方の方がすでに損得においても、強制収容所化、地球北朝鮮化よりもずっと得だと思う。
 
今だったらまだ十分に間にあうわけで、マスコミを手にしている、武力もある、経済力も完璧。
あとはやり方を変えるだけ。
 
そういう方向に行くはずなんだけど、、、ワクチンの問題などを見ると、まだまだ何で今更、、、と思ってしまう。
日本の電通的なものではそうしたものはイメージ化できないが、本物の縄文的な天才を集めれば、こうした方針転換はあっという間に可能になり、コストがかからず、誰からも愛され慕われる世界の天皇のように、今ならなれると思う。
上の上の意識の転換を日本人みんなで祈りましょう。
 
 
さて、あさっては星と森国際短歌大会。
日時  7月25日 午後4時から
場所  神楽坂にある「日本出版クラブ会館」きくの間
 
和歌の披講が聞きたいと思う人はいらしてください。
無料です。
受付で、ブログ、もしくはツイッタ―を見た、、、と言ってくだされば入れてもらえます。
 
日本語の特殊性には重大な秘密があり、それは母音と子音が組み合わさった構造をしていること。
そこから発声される伸びる音には、自然と高周波や倍音が観測される。
 
それらの音は遠方まで届き、また、他の生物と共鳴しあう構造を本質的に持っている。
こうした言語構造は一部ポリネシアに見られるのみで、唯一日本語の大きな特徴である。
 
しかし、古代シュメール語においては、子音と母音がやはり組み合わさっていた体系をしていたらしい。
あらゆる文化はシュメールから始まったが、そこには生命言語である、母音という生命発声を言語にとらえたものによるところが大きい。
 
こうした特殊な言語をさらに生かした奏法が倍音唱法であり、和歌の披講や声明、祝詞に見られる。
ことに披講はそれが顕著であり、聞いた人はおそらく湯に入ったようなぬくもりとあたたかさを感じられることだろう。
 
今大会においては、入賞歌2首、選者、そして主宰者の歌の合計4首が披講されます。
どうぞ古くシュメールの原始を思いだして、お聞きいただけたら味わい深いものがあることでしょう。
【転載終了】