何を今更感である!
世の中には、どう理屈を捏ねようとも、
自明の真理、自明の正義というものがある・・・!
真理や正義は、
人間が勝手に定める出来ないものである・・・!
自明である。
それは、世の中が何によって作られてものであるか?
と同じ問題だが、
自明というのは、読んで字のごとく、自ずから明らかということである。
アメリカ独立宣言には、『我らは次のことが自明の真理であると見なす。すべての人間は平等につくられている。
創造主(神によって、生存、自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられていること。)』と、
書かれているが、その自明である。
つまり、
人間が生存することは、自明であり、平等であり、権利であるが、
それを犯すことは不正義である。
正義は、天意、言い換えれば、神の意(こころ)により、
量られるものであるとすれば、
原爆投下は、犯罪であり、不正義である。
本日は、原爆記念日、そのことを声を大にして言うべき時であろう。
その時の国際情勢、政治情勢において、
それぞれの言い訳があるであろうが、
それを超えて、原爆投下は不正義であり犯罪である。
人間は、生きているが、その本質は生かされている存在であり、
生かす存在は神である。
とすれば、
同じ人間が、その存在の意思に対して反逆していることは明らかであるから、
どのような言い訳を弄しても、
正義に叶う話ではないのであって、
自明の真理において、明確な犯罪である。
今の時代にも、大なり小なりの犯罪が横行している。
戦争において、
勝者も敗者も平等に、正義において判断されなければならないだろう。
その意味で、
東京裁判は、勝者の論理で糾弾されたが、
正義ではない。
上記の独立宣言の後段、
『・・・人民にとってその安全と幸福をもたらすのに最もふさわしいと思える仕方で、
新しい政府を設けることは人民の権利である。』
とするならば、
日本の自虐史観は見直され、
原爆投下を犯罪とする論調は高まるべきだろう。
それが、核廃絶に対する、
正義に基づいた正論となる必要がある。
そうなってこそ、核廃絶の真の論理だ。
広島原爆投下
【転載開始】
ロシア議員 日本への原爆投下を人類に対する犯罪と同列に置くことを提案
ロシア議会下院最大会派「統一ロシア」の副代表で国防委員会委員のフランツ・クリン ツェヴィチ氏は、国連を介して、1945年の日本への原爆投下を人類に対する犯罪と同列に置くことを提案している。
クリン ツェヴィチ氏は5日、原爆投下から70年を前に記者団に対し、「1945年8月6日と9日に広島と長崎へ原爆を投下する軍事的必要性は一切なかった。米国は原爆投下を見せしめのために利用した。そしてそれは日本ではく、まずはソ連に対するものだった」と語った。
またクリン ツェヴィチ氏は、「これは野蛮行為であり、その本質において無意味であり、人類に対する最大の真の犯罪であり、国連を含めた全ての国際機関が参加する方法で判定するべきであると考えている」と指摘した。
クリン ツェヴィチ氏は、このような種類の犯罪に時効はないと述べ、「そのため70年が経過した今も、この行為を人類に対する犯罪として公式に確定するのは遅くな い。これと同じことを繰り返そうと思う人が1人も現れないためにも、これは必ず実行されなければならない」と締めくくった。