世はまさに、
「戦争法案」反対闘争の真っ盛り!
今にも、戦争が始まる様相だ・・・?!
本当にそうか?
それ以前に、
正しい歴史認識が必要だろう・・・!
ほとんど何も自分で考えない人々が、
「戦争法案」というプロパガンダに乗せられて、
「安保闘争」の2番煎じを繰り広げているに過ぎない。
新安保闘争があった。
1970年前後である。
そして、
今が、「戦争法案」反対闘争である。
「安保法制」闘争と呼ぶほうが、語呂が合って良いかもしれない。
しかし、
必ず、歴史の一コマに埋もれて、容認されるであろう。
今、日米安全保障条約を否定する者はいない。
かの村山富市首相時代であっても、その矛を収めたではないか?
憲法改正を発議すれば、
憲法学者は大方、憲法違反論議はともかく立ち消えになったであろう。
「憲法守って、国敗れる」であってはならないので、
本来は、憲法改正を発議すべきであったが、
それは時期尚早と見たのであろう。
しかし、
今は、国難の時代である。
それは、
ズバリ、中共である。北朝鮮もあるが、あれは単なるチンピラだ。
中共が、虎視眈々と覇権を拡大しているのは間違いない。
イラク・アフガニスタンではないのである。
が、
そこに論理がすり替えられている。
それを言わないと、訴求力を欠くとの判断であろうが、
「安保法制」がなくても、後方支援に自衛隊を派遣したではないか?
出さざるを得ない政治力学が働いているときは、
結局は出すのである。
同じだ。
という事は、
「安保法制」があっても、出さなければ良いのであって、
出す理由がなければ、断固、拒否をすればよいのだ。
国会は、
空論を弄している。
ズバリ、中共の覇権主義阻止が目的であるとすれば、
話は簡単だ。
理屈と膏薬はどうにでも貼ることができる。
おそらく、理性的な人々は、今回の「安保法制」が
東アジア、南西アジアの中共の拡張戦略、
就中、海洋政策に焦点を当てたものであるとすれば、
納得すべきものである。
違憲ならば、改憲しなければならない。
それ以上に、
国難と憲法とどちらを守るべきかを真剣に選択しなければならない。
自衛隊を創設したとき、
明らかに憲法解釈で乗り切った。
自衛隊は、明らかに「戦力」である。
世界に名だたる戦力である。
日本が、平和で居られたのは、
日米安保体制の所為であって、憲法9条だけの賜物ではあるまい。
自衛隊の戦力化も否定できない。
無防備では、今の時代、安全ではないのである。
そんなことは自明である。
「戦争法案」と言えば、戦争準備の法案だが、
「安保法制」と言えば、戦争抑止法案である。
どちらだろう?
これだけの違いがある。
身内が3名ほど自衛隊の奉職しているから言うのではないが、
現在の軍隊は、徴兵で足りるほどヤワな組織ではない。
志願兵で宣誓している。
それは、当然のことで国防のために命を懸けることを宣誓している。
丁度、
消防士が、警察官が、
防災と国民の生命身体を守るための職務の宣誓するのと同じである。
宣誓しないものが、
徴兵される虞はないから、安心するがよかろう。
第一、何の役にも立たない。
何よりも、
正しい歴史認識が求められる。
自虐史観では、奴隷国家となる。
栄光の歴史感は、真のリーダー国家を自覚させる。
東アジアで、東南アジアで、真のリーダー国家を目指すべき、
歴史的必然性がある。
それは、
次第に明らかにされてこようが、
今は、それが押し殺されている。
先の大東亜戦争の見直しも必至であろう。
仮にもし、
日本がアメリカに誘い込まれた戦争に敗戦していなければ、
中共も北朝鮮も存在しなかったであろう。
共産ソ連の台頭も、冷戦もなかったかもしれない。
又、
対ロシアを冷戦構造に誘い込もうとする動きがある。
共産ソ連を作ったのは、
アメリカを牛耳る国際金融資本であることを思い起こそう。
不必要な原爆を日本に投下したのも、
その連中である。
そして、
共産ソ連に持ち込んだ。
<9.11のペンタゴン・・・ミサイルを打ち込まれた直後、壁が落ちていない・・・>
世界は単純な一枚論理では動いていない。
陰謀の塊である。
日本が強くなれば、世界は変わる。
少なくとも、
「安保法制」で、中共の態度は変わりつつある。
それは覇権主義の逆証明だ。
国破れて、憲法が残った・・・
などという、ジョークはもういい加減にしてもらいたいものである。
正しい歴史認識が求められるのは、今である。
秀逸な歴史認識を紹介しておこう・・・。
どこのどなたかは、一向に存じ上げない・・・。
蓋し、正論である。
【転載開始】
