時津風部屋の力士急死事件との比較において
朝青龍の復帰会見に、予想通りと云うか、相も変わらずと言うかパッシングの嵐である。これが予定通りのシナリオであるかと、見まごうところが怖い。それに、記者会見の質問が、これ又、型通りの想定問答集と来る。そして、その論評は、謝罪が充分・不十分の評定に終始する。
巡業で、ファンサービスで愛嬌を振りまけば、横綱として品位がどうのこうのとなる。
巡業をボイコットしたのが、あれだけ叩かれたのであるから、ファンサービスにこれ勉めたのであろう朝青龍にとって、『どうすればいいの。』と言うことになっても不自然ではない。所詮、何をやっても叩かれるのである。
朝青龍の特別のファンではない私が言うのであるが、ちとしつこすぎるのではないかと思われる。各人が、それぞれの評価があるのは当然である。
が、違和感を持つのは、その主流を見極め、主流に沿った質問をし、主流に沿った論評に終始するところにある。そして、それを冷静に分析すべき報道が、主流
に迎合し主流を形成する。日本の一億総主流を演出する流れが怖い。
冷静に観てみよう。朝青龍はそのために、統合失調症に陥ったのである。そして、故国に転地療養をやむなくした。原因は、自己の不注意に依るも
のと云え、そのために処罰を甘受した。しかし、それは果たして、公正なモノであったのか。刑事罰であれば、裁判がある。身分処分でも、聴聞会がある。今
回、とんと訊かない。そして、処分は下り、処罰は決定した。そして、曲がりなくもそれは終了したのである。それ以上、何があるというのだろう。
説明責任。? それは、利害関係人に対してあるのではないか。大相撲は、日本の国技であるから、国民に対してそれはあるという論理も不本意ながら受け入れよう。それにしても、程ほどにしてもらいたい、と言うのが実際の感想である。
国技である大相撲の巡業をボイコットしたのが、最悪の罪であるというのならば、ファンサービスで愛嬌を振りまく事ぐらいは、微笑みを以て受け入
れてやれば良いではないか。控えに目に見ても、故国を離れて、落ち目の大相撲を引き立てている助っ人ではないか。アメリカの国技を引き立てている、松井・
松坂他各選手の逆パッシングがあったら、主流の日本人はどのように感ずるであろうか。
それに引き比べ、時津風部屋の力士急死事件は厳正に対処しなければならない。相撲協
会の体質以前の問題である。ことは人の命の問題であり、家族
の無念の情を思い致せば、その事件解明は、朝青龍の説明責任の比ではない。現に具体的な被害者が存在し、今後大相撲を目指す、国技の担い手が同じ被害を被
る恐れのある問題だからである。
心を込めて、言いたい。『朝青龍よ、よくぞお帰り、頑張れ!』