嘘もしくは悪によって生まれたものは、いずれ滅びる運命にある。
嘘もしくは悪で生まれたものを是認し継続して存在させると、嘘もしくは悪に反抗する力が生じる。この反抗する力を内に向けると自らの存在を一部否定しなければならない。否定すべきものが存在そのものに深刻な影響を与える場合、否定することが不可能になる。そのために嘘または悪を正当化する言い訳を用意して誤魔化しを始める。誤魔化しは誤魔化しで徹底的な追及を受けると嘘または悪が露呈してしまうが、そこから逃れる手段として現時点で嘘または悪を一切認めない健全性を証明するために、外部の嘘または悪に対して徹底的に排除し拒否する姿勢を堅持することになる。外部の嘘または悪を「敵」として徹底的に攻撃し殲滅することにより現時点での自己の正当性を証明する。しかし、過去の自ら犯した嘘または悪の痕跡は消えず、反抗する力も引き続き内在し、その矛盾を解消するため新たな敵を見つけて自己の正当性を証明する行為を永遠に続けることになる。
この悪循環の最終的な姿は、周囲からの反発による自滅でしかない。
現存する嘘もしくは悪に対して周囲の冷静な目からすれば、嘘もしくは悪を是正してくれれば何も問題ないが、過去の嘘または悪を誤魔化している側にすれば、是正することを認めるわけに行かない。是正して悪から善になるのであれば、自分自身も過去を是正しなければならない。是正が困難であれば現存する悪そのものの存在を徹底的に抹消しなければならないのである。その考え方は病的でさえある。この病的な症状に周囲は違和感と不安を抱き反対勢力へと成長し、いずれはこの対象を打倒することになる。嘘もしくは悪によって生まれたものは、いずれ滅びる運命にあるのである。嘘または悪は早い時期に反省し改善し排除しなければならないのである。少なくとも言い訳により正当化してそのまま存続させることは決してやってはいけないことである。
自己の存在に責任を持つ姿勢は評価すべきである。
過去の嘘もしくは悪を誤魔化している状況を認識し、それに対処するために現実の対応に努力している姿はある意味では積極的かつ精力的である。少なくとも過去の行いに対し責任を持ち、自己統一を図り、アイデンティティーを堅持しようとしている。どうしようもないのは、自分の過去に責任を持たず、やることなすことが無責任で支離滅裂な考え方である。しかし、この集団に対しては実体が暴露すれば誰も本気で信用することはなく、環境の変化に対応してどのようにでも変わって行くので周囲に対する影響は少ないし、どのようにでもコントロールが可能である(信念がない)。このような集団は主張だけは華々しく打ち上げるが、過去の経緯も含めた冷静な判断をすればすぐに峻別ができるであろう。
砂上の楼閣は高く構築すればするほど自滅し崩壊してしまう。
「日本」という国を築くに当たってどこに基礎を置けばいいのか、日本には雄大な発祥の歴史がある。その歴史そのものが基礎である。ただし、第2次世界大戦前後に大きな破断面を生じてしまった。この部分を修復しない限り、この上に何をどんなに積み上げようとも早晩崩れ落ちてしまい無駄に終わってしまう。「修復」とは悪や誤魔化しを正し、雄大な発祥の歴史と整合性を回復することである。過去を全て否定して全く新しいものを築き上げるわけではない。戦後、すべてを精算しゼロから出発して新たな日本を創造するという考え方が主流であるが、私はこれに反対である。第2次世界大戦は日本の歴史の中の通過点にしかすぎない。悠久の歴史は脈々と大河のごとく流れ続けているのである。新しい支流を作り始めることに何の意味があろう。
「考えること」は「時間」と「空間」を認識しなければならない。
今さえよければ、この場さえよければ、自分さえよければ、というような考えは、最低の浅はかな薄っぺらの考えである。時間と空間の広がりがない。100年単位、世界(宇宙?)規模で過去から未来、無限小から無限大において正しいこと普遍的なことが何であるかを考えるのが本当の「考えること」だろうと思う。時間と空間の広がりが大きければ大きいほど真実に近いものであろう。日本人の考え方にはこの時間と空間の広がりがあまり感じられない。国全体がセコセコと忙しそうに動き回っているが、総合的(結果的)に見ると無駄な動きが多すぎると思う。全体の一部が部分であるはずが、とりあえず部分を積み重ねて全体を作ろうとしているように見える。
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