オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

自己実現のための敬天愛人

2023年03月11日 | Weblog

自己肯定感とは何だろう。

 まずは、他人の評価に囚われないことだろう。他人に振り回されていたのでは、自己は喪失してしまう。自分をしっかりと持ち続けることだと思う。自分を大切にすることでもある。他人よりまずは自分なのである。そう考えて何も悪くない。そこから出発して、よりよい社会生活をするために他人との付き合いが始まるのだろう。出発点が違ったら最後までおかしなことになる。そしておかしくなったら本来の自分に戻るのである。

次は、自分の評価に囚われないことである。

 人間はどういう訳か自己評価をする。他人と見比べて自分を評価するのである。その評価にあまり囚われないことだと思う。他人と比較して自分を見るのは、自分自身を向上するための手段であって、目的ではない。他人と比べて劣っているからと卑下することもないし、それよりもどうすれば自分を向上させることができるのかを考えることである。劣っていることに気付いた自分を褒めるべきであり、謙虚に受け止めて受け入れることである。

次は、試行錯誤における成功や失敗にくよくよしないことである。

 試行錯誤は自己実現のためにとっても大切なことである。試行錯誤の結果成功することもあるし、失敗することもある。それが普通なのである。そして、試行錯誤とは自分の掲げた目標に向かって努力している姿でもあるし、目標達成のための途中段階でもある。そこでその結果に一喜一憂していてもしょうがない。成功にうぬぼれたり、失敗に絶望したりでは、本来の目標を見失ってしまう。掲げた目標を達成しようとしている姿こそ自己実現の過程なのである。

次に、不測の事態に悩まないことである。

 不測の事態は必ず起こる。これにどう対処するのかが重要で、不測の事態そのものを嘆いていてもしょうがない。泰然自若として立ち向かい、冷静に対応するのである。慌てることもないし、怯むことも逃げることもない。不測の事態は自分に向かって襲い掛かってくる。逃げようがないのである。それに敢然と立ち向かう姿こそ自己実現の道なのである。どんな不測の事態であっても、いずれかは解決できるし、最終的にはなるようにしかならないのである。

自己実現に損得勘定は必要ない。

 損得勘定で判断をすること自体が自己を歪めている。自分の存在が損得勘定だけではないはずである。人間は簡単に損得勘定に流されてしまう。その方が解かりやすいし判断も易しくなる。でも、それは自己実現とは程遠いものへと向かっていることを肝に銘ずることである。世の中損得勘定ばかりであるが、損得勘定が引き起こすいろいろな事件は自己を喪失し、自己実現を放棄した人達によって起こっている。

自己実現の境地は「敬天愛人」ではないだろうか。

 まずは、人を愛すること。愛することに他人や自己の評価は必要ないし、失敗も成功も含めて人を愛することになる。損得勘定なんてもってのほかである。その時の気持ちは、お天道様になった気持ちであろうか。天を敬って人を愛すれば、自ずと自分が見えてくるし、変な囚われの心もなくなって、真っ当な答えが返ってくるし、その答えに従って自分で掲げた自己を実現するために日々精進するのである。
 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2a-a=? | トップ | マスク着用の基本方針? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事