我が家に鉢植えのリュウゼツランが3株ある。
窓際において、ほったらかしで時々水を少しやるくらいである。もともとが砂漠の乾燥地帯に生えている植物で、ほとんど水がなくても育つ強靭な植物である。かえって水をやり過ぎたり、葉っぱに水がかかったりすると根腐れしたり、葉が腐ったりするようだ。反対に空気中の水分を吸収して育つほどである。本当に乾燥しきってカラカラになって、葉がしなびるくらいになった頃に土に少し水を与えるくらいでいいようだ。
これが解からない人は、株をだめにしてしまう。
一番の原因は水のやり過ぎである。これで根腐れを起こしてしまう。乾燥した状態でほんの少し水分があればいい。根腐れしてきたら掘り起こして、そのまま乾燥させて、乾ききったところで乾燥した土の上に置いておけばうまくいけば復活する。うまくいかないときは生きている部分を切り取って、切り取った部分を乾燥させてから土にさしておけばそこから再生する。どうやら、根っこから水分を吸収するだけではないようだ。根っこは吹き飛ばされないように大地に固定する役目の方が大きいのかも知れない。
2年目になるが、元気に育っている。
ところが、葉っぱが前より細く伸び始めたので、栄養が足りないのかと少し化学肥料を入れてやり、ついでに水も少しやった。また、日光が足りないのかとベランダの日の当たる場所に鉢を移してやった。そうしたら、一日で葉っぱが白く日焼けしてしまって、そのあと、下の方からしなびて枯れ始めてきた。まだ完全に死んだわけではないので、そのままにしているが、やはり元気がない。どうしたことなんだろう。
よくよく考えてみたら、
肥料も水も太陽光も植物の生育には必要なものである。これを与えることは間違いではないと思う。問題は、急激な変化であろう。急に環境を変えてしまったからだろうと思う。これに対応できなくなっているのだろう。あくまで推測だが、構い過ぎ、いじり過ぎだったと反省している。そして、葉っぱが太く丈夫に伸びることを期待し過ぎたのだろう。リュウゼツランは現在の環境に適応して、それなりの成長をしていたんだと思う。と言うことで、現在の結論は当分の間そのまま放置である。
こんなことを考えていたら、貴重な教訓事項が見えてきた。
生物とは、急激な変化を好まないのである。人間も生物であり、急激な変化には対応できないのが普通なのである。ところが、世の中急激な変化に対応できない人は取り残されてしまうような危機感を持っている。しかし、その変化に対応したからと言って、本質的な部分が変わるわけでもない。人間の営みは太古の昔から延々と変わらず継続している。本来であれば、何も変える必要はないのである。大自然の変化は遅々として築きあげられたものである。
何故変わることを強いられているのだろう。
どうやら、人間の社会性の強さのようである。周囲の人間集団から変わることを強制させられているのである。そして、この人間集団が作り上げた仕組みなるものに従わされている。また、どういう訳かその集団と集団の作り上げた仕組みを通常は信じて疑うことをしない。こうやって人間は工夫を凝らし様々な環境の変化に対応してきたのだろう。しかし、この結果が本当に正しかったかどうかはもう一度考え直してみる必要があるのではないかと思う。
若者が、近ごろ流行の投資に手を出して悪の餌食になっている話を聞く。
純情で繊細な若者は、将来を見通して投資の重要性を学んだのだろうが、そのやり方が稚拙なために悪徳業者に食い物にされている。悪徳業者が蔓延るのは、国の投資への振興策である。これに便乗して若者に取りついている。悪徳業者も悪いが、こんな得体のしれない「仕組み」を作り出す方も悪い。そんな「仕組み」があるんだと安心して儲け話に乗ってしまう若者がいる。
得体のしれない「仕組み」がなければ、騙されることはない。
ただの話だけで終わって、その話を信用しない限り具体的に行動することはない。背景に変な仕組みがあるから、それを信用して騙されてしまう。電話詐欺やネット販売詐欺やインターネット詐欺も同じだと思う。たぶん、背景に「仕組み」がない限りただの話を信用することはないと思う。ただの個人対個人の話として考えれば解かることである。その仕組みを作っているのは人間集団であり、その最たるものは国である。
詐欺は権威に依存している。
国であり、警察であり、企業であり、会社であり、団体組織であり、コンピュータであり、ネットワークであり、時に宗教団体でもある。これらの権威を騙って詐欺行為を働く。この偽の権威さえなければ詐欺行為は成立しない。また、この権威さえ信用しなければ詐欺に引っかかることはない。権威なんてみんなで作り上げたもので、中身は何もない。得体のしれない信用でしかない。やはり、この権威は十分吟味する必要があるのである。権威だけで押し通す人は大いに疑ってかかる必要がある。
いたずらに変化する必要はないのである。
変化しないと言うことは、今のままで何も問題なく事が行えている状態を保つことができる。変化すると言っても、ほんの少しでいいのである。急激な変化が取り返しのつかない問題を生む。地球温暖化も環境破壊も同じだろう。大自然にとっては急激な変化であり対応できないのである。身近な例で言えば、今まで使ったことのないような大金を投資に充てる、もしくは誰かに振り込むと言うのは現代人にとっては急激な変化そのものである。そこの部分にどうして警戒心を抱かないのか疑問に思うばかりである。
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