ボスは、集団があれば必ず生まれてくるが、ただ単に権威の必要性から生まれたボスは無意味である。
権威とは他人を強制し服従させる威力であるが、何故権威が必要かというと、個々人が集団を成り立たせたいと言う欲求が弱くて、そのまま放置しておくと集団が崩壊してしまうために、権威でもって個々人を強制的に縛り付けている状況である。このような状況が最適であるはずがない。それでは権威が必要でないかと言うと、そうでもなくて、集団の個々人から信頼された権威は集団のために必要であり、権威を与えられた人が集団を牽引していかないとその集団は目的もなく進むべき方向も定まらず、いずれ崩壊してしまう。やはり集団を持続するためにはボスは必要であり、権威も必要なのである。
集団を維持している根本は何なのだろうか?
それは、集団が集団として成り立ちたいと言う個々人の欲求の結果である。集団が集団として成り立ちたいと言う欲求を持てない個人は集団から去らなければならない(当然去るべきである)。そして、自分の欲求に合致した集団を求めてこれに従属する事となる。このことは何にも悪いことではないし、当然の行為である。かえって自分の欲求と合致しない集団に属していることの方がそれ以外の人達にとって迷惑である。志を同じくできないのなら堂々と集団を去って当然である。去るに当たって、当該集団に対する批判も捨て台詞も自己の正当性も言う必要がない。自己の離脱の理由を淡々と表明して黙って去ればいい。離脱の原因は集団にあるのではなく、自己の中にある。自己の中にあるものが集団と異なっているだけである。お互いに良いも悪いもない。
小さな集団であれば、問題なさそうだが、大きな集団になるほど離脱するのは困難になる。
例えば、長年勤務してきた会社とかから中途で離脱するような場合は多大な勇気と危険性が伴う。中途離脱して次の自分の欲求を満足する集団(会社)を探すのは大変である。自分の居住する地方自治体から離脱(転居)するのも大変である。これまで築き上げた人間関係をある程度放棄しなければならないし、地域とのつながりもなくなってしまう。これが国になると益々困難になる。国外逃亡して外国で暮らすのは憧れはあるが現実的には一般人にとって不可能に近い。国や地方自治体という集団からは離脱困難なようである。仕方なく帰属しているし、その国や地方自治体のボスはこのことを人質にして不条理な権威を振り回しているのではないかと思ってしまう。逃げ出しようがないのである。逃げ出す場所があればボスが一方的に権威を振るうこともできないのだろう。
どうしたらいいんだろうか?
例えば、国の生い立ちを徹底して調べることだと思う。何故日本国民は先祖代々この国を日本国として成り立たせたいと思ってきたのかをしっかりと肝に銘ずることだと思う。行き着くところは日本の国民性であり、文化であり、風土であり、歴史であり、慣習であろう。日本国民はこの日本が大好きなのである。だから日本国を国として成り立たせたいと切望しているのだと思う。その思いが日本の国をこれまで発展させ存続してきたのだろう。そしてこの思いを未来永劫、子々孫々持続してゆくためには、やはりこの日本という国が大好きだと思えるような国造りをしてゆかねばならない。刹那的で今さえ良ければであってはいけないのである。
ボスは集団のお飾りではない。
ただのお飾りが権威を強制してはならない。お飾りにならないためには、集団の個々人の信頼を得なければならない。その信頼とは、日本の国を大好きになるような、未来永劫より良い国へと発展する事が期待できるような方策を打ち出して個々人を牽引してゆかなければならない。別に個々人は労力を惜しんでいる訳ではないし、有用な納得できる課題が提供されればその達成に向かって大いに努力するだろう。その努力をしなくても生活が保障されるという施策は何も生み出さない。何に対して国民一丸となって努力してゆくのかを明確にしなければならない。そして働いた分だけより良い生活が実現できる社会こそ目指すべきものだと思う。政治で言えば選挙の勝敗でもないし議員数の確保でもないし政権の維持獲得でもないし政治資金の確保でもない。
権威とは他人を強制し服従させる威力であるが、何故権威が必要かというと、個々人が集団を成り立たせたいと言う欲求が弱くて、そのまま放置しておくと集団が崩壊してしまうために、権威でもって個々人を強制的に縛り付けている状況である。このような状況が最適であるはずがない。それでは権威が必要でないかと言うと、そうでもなくて、集団の個々人から信頼された権威は集団のために必要であり、権威を与えられた人が集団を牽引していかないとその集団は目的もなく進むべき方向も定まらず、いずれ崩壊してしまう。やはり集団を持続するためにはボスは必要であり、権威も必要なのである。
集団を維持している根本は何なのだろうか?
それは、集団が集団として成り立ちたいと言う個々人の欲求の結果である。集団が集団として成り立ちたいと言う欲求を持てない個人は集団から去らなければならない(当然去るべきである)。そして、自分の欲求に合致した集団を求めてこれに従属する事となる。このことは何にも悪いことではないし、当然の行為である。かえって自分の欲求と合致しない集団に属していることの方がそれ以外の人達にとって迷惑である。志を同じくできないのなら堂々と集団を去って当然である。去るに当たって、当該集団に対する批判も捨て台詞も自己の正当性も言う必要がない。自己の離脱の理由を淡々と表明して黙って去ればいい。離脱の原因は集団にあるのではなく、自己の中にある。自己の中にあるものが集団と異なっているだけである。お互いに良いも悪いもない。
小さな集団であれば、問題なさそうだが、大きな集団になるほど離脱するのは困難になる。
例えば、長年勤務してきた会社とかから中途で離脱するような場合は多大な勇気と危険性が伴う。中途離脱して次の自分の欲求を満足する集団(会社)を探すのは大変である。自分の居住する地方自治体から離脱(転居)するのも大変である。これまで築き上げた人間関係をある程度放棄しなければならないし、地域とのつながりもなくなってしまう。これが国になると益々困難になる。国外逃亡して外国で暮らすのは憧れはあるが現実的には一般人にとって不可能に近い。国や地方自治体という集団からは離脱困難なようである。仕方なく帰属しているし、その国や地方自治体のボスはこのことを人質にして不条理な権威を振り回しているのではないかと思ってしまう。逃げ出しようがないのである。逃げ出す場所があればボスが一方的に権威を振るうこともできないのだろう。
どうしたらいいんだろうか?
例えば、国の生い立ちを徹底して調べることだと思う。何故日本国民は先祖代々この国を日本国として成り立たせたいと思ってきたのかをしっかりと肝に銘ずることだと思う。行き着くところは日本の国民性であり、文化であり、風土であり、歴史であり、慣習であろう。日本国民はこの日本が大好きなのである。だから日本国を国として成り立たせたいと切望しているのだと思う。その思いが日本の国をこれまで発展させ存続してきたのだろう。そしてこの思いを未来永劫、子々孫々持続してゆくためには、やはりこの日本という国が大好きだと思えるような国造りをしてゆかねばならない。刹那的で今さえ良ければであってはいけないのである。
ボスは集団のお飾りではない。
ただのお飾りが権威を強制してはならない。お飾りにならないためには、集団の個々人の信頼を得なければならない。その信頼とは、日本の国を大好きになるような、未来永劫より良い国へと発展する事が期待できるような方策を打ち出して個々人を牽引してゆかなければならない。別に個々人は労力を惜しんでいる訳ではないし、有用な納得できる課題が提供されればその達成に向かって大いに努力するだろう。その努力をしなくても生活が保障されるという施策は何も生み出さない。何に対して国民一丸となって努力してゆくのかを明確にしなければならない。そして働いた分だけより良い生活が実現できる社会こそ目指すべきものだと思う。政治で言えば選挙の勝敗でもないし議員数の確保でもないし政権の維持獲得でもないし政治資金の確保でもない。
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