ずっと書き続けて、愚痴っぽくなってきたので自分でも嫌になって、そんな自分がまたいやになって書くことに抵抗があった。
結局は世の中を批判するばかりで何にもできない自分がいて、人をとやかく言える立場にない自分に気が付く。しかし、それでも書き続けようと決心しているこの頃である。批判の対象を破壊するでなく、全面否定するでもなく、欠点ばかりを指摘するでもなく、その対象がより良くなるために、少しでも良い方向に進んでくれることを期待して書きたいと思っている。あくまで一人の人間として、単なる一個の思考センサーとして、いろんなテーマについて感じたことを自分なりにまとめてみたい。
民主党と維新の党が合流するそうである。
その党名を巡ってもめている。結論は民主的に決めるそうで、党名を募集するそうである。自分たちの党名も決められない政党が支持を得られるとは到底思えない。何かと言うとみんなの意見聞いてそれに従うのが「民主的」だと勘違いしているが、結党するのは自分達である。政党の顔である党名ぐらいは自分たちで決めなければ誰が責任とるんだ、他人任せでどうするんだと心配になってくる。応募で決まった党名ではあまりにも軽すぎるし、ころころと変更されそうで何のための党名なのか解らなくなってくる。いや、これまでもその繰り返しであった。もっと自分達でしっかり考えて、党名だけでなく合流した新党のあり方や考え方なども含めて少なくとも100年単位くらい通用するものを作り上げなければならないと思う。
なんで合流するのか考えてみる、
結局は与党に対抗するための数合わせである。本来であれば、自党の本来の実力で議席数を確保しなければならないんだろうが、それがままならないために、安易な数合わせに走っている。自分達の実力を涵養する努力はさておいて、こんな手法に飛びつくようでは先が知れている。本当に魅力ある政策と将来展望を打ち出せば国民の票はいくらでも集まるはずである。それが打ち出せないことを暗に示唆している。最初からあきらめているようでは与党に対抗できるはずがない。与党と対等に議論できるような政策を打ち出していかなければならない。与党の揚げ足取りと何でも反対のやり方では国民の信頼を勝ち取ることは難しい。
何かというと、「こんな政策では選挙は戦えない」と言う。
選挙に勝つための政策ではないはずである。国民の鼻先にニンジンをぶら下げて選挙を乗り切ろうという魂胆は国民を馬鹿にしている。国のため有効であれば、たとえ選挙に負けようと政策を推し進めるべきであるし、その必要性を国民に説得していかなければならない。これが政治家の最優先の仕事である。どこかの民主主義先進国の選挙では国民に対して人気のある政策をちらつかせたり、相手候補の中傷合戦をしたり、徹底的な選挙対策に打ち込んでいるが、そんな悪い面を見習う必要はないし、日本独自の本来あるべき姿での選挙を築き上げていかなければならないと思う。戦えない政策であっても有権者を説得しながら選挙を戦うのである。その議論の中で正しい政治が生まれてくると思うし、その正しい政治を国民が選挙で決めてゆくのである。
国民の側もまじめに選挙に参加すべきである。
少なくとも、立候補者個人の資質と能力については十分吟味すべきである。政治家にふさわしくない人を政治の場に送り出すことは何としても阻止しなければならない。いい加減な選挙からはいい加減な政治家しか生まれない。選挙年齢が18歳以上となって若者の比率が上がっていわゆる「浮動票」が増大する。この「浮動票」がいかに理性的な判断をするかが今度の選挙の成否を左右する。私に言わせれば「浮動票」だけで巨大政党を立ち上げることも可能だと思う。この「浮動票」が日本国民のリトマス試験紙でもある。理性的に反応すれば健全な政治が実現するであろう。比例代表の党員名簿も十分吟味すべきである。政治家に資質と能力がなければ政治はできないし国民を牽引することもできない。今度の選挙で飾りだけの政治家は是非ご退場願いたいものだ。
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