オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

錯覚

2021年06月04日 | Weblog
車を運転中に左後方側面をこすって傷つけてしまった。

 自分ではいつも通っている道だし、いつも通りに通過しているつもりだったが、ガザっと音がした。あまり気にも留めないでそのまま家に帰って点検してみると、筋状の擦り傷が後方側面下部についている。この場所でこすったのは2回目である。1回目(1年くらい前)は現場を見ても原因がわからなくて、路上に何かが放置されていてそれをひっかけたのだと思っていた。それ以降は何もなく忘れたくらいだったが、またしてもの2回目である。

現場に行ってつぶさに検証してみると、

 腰の高さくらいのブロック塀があって、道路の隅切り部分の角にたくさんの擦り傷がついている。その部分は車の塗料で真白になっているほどである。それにしても何でこんなところにぶつかってこするのだろうと不思議であった。たぶん今回もここでこすったのであろうと思った。私も年齢とともに車両感覚が鈍って操縦ミスをしたのだろうかと思ってはみたが、そうであれば車の運転が不安で安心して操縦できない。何としても原因を明らかにしなければならない。

現場の状況は添付の図の通りである。

 一部変形の交差点で、一方の道路が逆くの字に曲がっている。そのために右折する時は対向車を避けて若干左にハンドルを切って、対向車が通り過ぎたところで右折することになる。でも、よく考えると知らない間に少し大回りしているのである。車の前方は問題なく通過できるのだが、後方は外輪差で左に膨らむことになる。その外輪差分のところにちょうどブロック塀の角があるのである。道路の進行方向に無意識にハンドル切るのと外輪差で錯覚を生じているようである。

正解は、

 右側のコンビニに向かってハンドルを切り、手前で対向車が通り過ぎるのを待つことだと思うが、信号が変わるのが早いのと、後続車もあるためどうしても交差点に進入した状態で待つことになる。何気なくやっているが、これらが組み合わさって一つの錯覚を生み出しているのである。まぁ、人身事故でもなく自損だから修理代がかかるだけだけれども、このような錯覚があることを心に留めておかなければならない。

道路の状況にも問題がある。

 当該ブロック塀は腰の高さくらいなので通過した後は確認できないし、道路の隅切りも逆くの字の道路に合わせているわけではない。はっきり言うと、このブロック塀を手前に下げてもらえばいいのである。長年にわたって車のこすり傷が蓄積してブロックの角が摩耗しているくらいだから改善の余地は十分にあると思う。一応警察に状況を伝えたが、果たしてどれほど対応してくれるのか疑問でもある。それでも黙って見過ごすわけにはいかない。

この時以降はこの場所は鬼門として通るのをやめている。

 少々遠回りではあるが、広い道路を使うことにしている。距離が稼げるから、信号が少ないから、混雑しないからと狭い裏道を通ったりもしているが、時間的はそんなに変わらないし、信号があった方が安心して交差点を通過できるし、混雑していた方が車の流れに乗っていけると思う。車で遠出する時は通常は主要幹線道路を使うが、長時間運転していてもそれほど疲れていないことに気付く。余計な神経を使わなくていいからである。

以前もこんなことがあった。

 道路標識の支柱が見やすくするためか車道側にせり出していて、通るたびに時々バックミラーに当たるのである。バックミラーはぶつかっても大丈夫なようになっているが、まさか車道側に出ているとは誰も思わないし、通常の車両感覚で運転すると、バックミラーの分だけ誤差があってこの支柱に当たるのである。支柱には当たった痕跡がたくさん残っている。狭い道路で離合する時バックミラーをたたんで通過する感覚に似ている。普通の車両感覚ではバックミラー同士が当たってしまう。

この時は警察に事情を話して通報したが、この標識は撤去してくれた。

 大いに感謝もしたし、このような行為が無駄でないことを実感した。しかし、やはり問題は車の操縦における車両感覚である。考えてみると、車はほとんどが自分の感覚に頼って運転している。ブレーキもアクセルもハンドルも長年の慣れから学習した感覚で操作している。考えたら怖い気もするが、この感覚が狂ったら車は凶器と化すことになる。そして、この感覚には人間独特の錯覚があることを肝に銘じて安全運転に徹しなければならない。

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