今朝、テレビを覗いていたら、
携帯電話による「イジメ」が若者の間で蔓延してるそうである。匿名で根拠のない中傷メールを不特定多数の友人に携帯電話で送って、ある特定人物を苛めるそうである。どこかの「専門家」がこの現象を分析して報道していた。しかし、結局この問題に対する解決策も、中止を呼びかけるコメントもなかった。ただ単に「このような現象がある」「細部はこうだ」「こんなに苛められている人がいる」「問題だ」「大変だ」「どうかしなければならない」と騒ぐだけである。
マスコミの当事者もマスコミの弊害をなくす方策を知らない。
この「イジメ」は、大人社会で行われているマスコミによる「イジメ」をそのまんま子供達が真似ているのである。その道具に「携帯電話」が使われているだけで、文明の利器携帯電話が諸悪の根源ではない。週刊誌などの報道内容はほとんどがマスコミと言う道具を利用した大人社会の「イジメ」である。これが堂々と社会で認められ、止めさせる人も、諭す人も、なくそうと努力する人もいない。どう考えても子供達はこれを見て「これでいいんだ」と思ってしまう。そしてそれを忠実に真似ているだけである。
まずは、大人社会がこの現象を改善する努力をしなければならない。
全てなくせとは言わないが、決して善いことではなく、やめさせるべきであり、できれば社会から排除すべき事だと言う決意を持つべきである。そして、そのことを一つ一つ子供達に訴え、教え、矯正してゆかなければならないと思う。その部分がいつも欠けている。誰も子供達に訴えないし手本を示さないし世の中を良くして行こうと言う姿勢を示さない。悪いままでそのまんま容認している。何も行動を起こさないし、起こそうとも思わない。
子供達は大人社会の鏡である。
大人社会が悪いから子供も悪くなる。だって、子供は大人が育ててるし大人を見て子供は育つしこのような社会に適応した子供が育ってゆく。社会に適応できない取り残された子供は社会生活を送れない。子供だけを切り離して閉じ込められた聖域化された学校で一般社会での経験の少ない教師がいくらしつけ教育しても人工培養のひ弱な子供が育つだけである。社会とのかかわりの中で教育しないと意味がない。立派な子供を育てるには立派な社会を築くことが条件だし、立派な社会を築くには今のうちに立派な子供を育てなければならない。
大人社会も理想社会ではない。
善い事もあり悪い事もある。でも、善い事と悪いことの区別はしっかりしなければならない。そして、善いことは推奨し悪い事は是正しなければならない。その姿勢を示すのが大人社会の責務である。悪い事を悪いままで容認していたら子供達は「悪くてもいいんだ」と思ってしまう。どういうわけか、善い事をするには努力や困難を伴うが、悪い事は簡単に出来る甘い蜜を持っている。黙っていると子供は皆悪い方向へ傾いてしまう。
話は大きくなったが、今朝の話題から言うと、
大人は、迷惑メールの処し方を子供達にしっかりと教えなければならない。どうしたらいいのかを具体的に教えねばならない。匿名のメールなんて無視する事、信用してはいけない事、そんな中傷メールに振り回されないこと、立場を変えて自分が当事者になったときの辛さを教える事、相手の立場になってコミュニケーションを図ることなどなどである。また、マスコミも事を大げさに取り上げて騒ぐだけでなく、「根絶キャンペーン」くらい始めたらどうだろう。そのためには、まずはマスコミ自体が猛反省し改善する必要がある。マスコミも毒を吐くばかりでなく少しは健全な社会を築き上げる一助になる努力をすべきである。
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