昔、自宅を購入する際に不動産屋と接することがあった。
当時はバブル全盛の頃で、不動産屋は「将来性のある投資ですよ」「貯蓄より金儲けになりますよ」と言って連日不動産の売り込み攻勢をかけてきた。あまりにしつこいので「儲かるんだったら自分達でやればいいでしょう」と言ったら次のように反論してきた。「不動産屋は物件を仕入れてお客さんに売ることで商売しているわけであって、財テクをやっているわけではない。1件の不動産投資で10年かかって利益を得るよりも、10件の不動産を売りさばいてそれ以上の利益を得ることを目指している」と言う弁であった。なるほどと感心してしまって前言を取り消すことになった。財テクの部分はお客さんの勝手と言うことである。
商売とはこういうものである。
「商売人は商品に手を着けてはいけない」とよく言われる。いい物は自分で独占して、どうでもいい物をお客に売りつけるのでは商売人の風上にも置けないし、そんな商売人はお客からそっぽを向かれる。また、そんな商売人をのさばらしてはいけないのである。「お客あっての商売」とも言う。ところが、お客を食い物にする商売人がいる。そんな商売は長続きはしないが、悪徳商法、ゲリラ商法で一攫千金を企む輩があとを絶たない。いずれもお客の一人一人が無防備なためにまたは人が良すぎるために発生する社会現象であり、行き着くところは「個人主義」の考え方の欠除である。最終的な責任は個人に帰結するのである。
商売を活性化するためには、物が動かなければならない。
そのために、政府も率先して物を動かそうと奮闘努力することになる。産業経済大臣がことある毎に記者会見して今後の経済見通しを発表する。その内容は、程度の差と表現の差こそあれ「不景気はこれで終わりですよ、今から良くなりますよ」と繰り返している。そう言われて景気が回復するとはあまり思わないが、何も言わないでほったらかしでは何も好転しない。よって期待を込めて繰り返すことになる(何かが動き始めるのではないかと・・・)。
政府予測を発表するときに、信憑性を裏付けるために統計データを多用する。
しかし、経済見通しについて言うと、これまでに「景気が悪くなります」という予測を出したことはあまりない。すでに明らかに下降中にあるときの予測は「景気が悪くなります」であろうが、そうであっても「今が底でこれから良くなる」という見通しを出したがる傾向にある。そしてこれが統計データに基づいていると説明する。景気は上がったり下がったりするのが普通である。上がるときもあれば下がるときもある。そうであれば、良くなる予想と悪くなる予想は白紙的には半々であるはずである。ところが希望的観測ばかりに終始すると明らかに統計データを作為しているということを自分で証明しているようなおかしなことになる。政府の出す統計データが信用できなくなる。
統計データの賢い取り方は、
まず、都合のいい項目だけのデータをとれば都合のいい結果が得られる。次に数値は自分に有利な方を採用するとある程度の改善効果がある。悪質であるが作業段階で改竄することも可能である。そして、公式の統計データが得られると、今度はこの解釈は如何様にでもできる。我々一般市民は統計データそのものは信用せざるを得ないが、少なくともその結果の判断は自分ですべきであり、政府の 公式の解釈やマスコミの解釈に踊らされることがあってはならないと思う。そして、統計データそのものもある程度の誤差があることを事実として認識しなければならない。
政府も不正な方法で統計データを取っているわけではないと思う。
統計そのものは事実であろう。問題は統計の取り方と、処理の仕方と、解釈の仕方であると思われる。統計の取り方に大きな誤差を生じるものは基本的には使い物にならない。ここに選択の余地があり作為が入り込む余地があると如何様にでも操作できることになる。処理の仕方でも、例えば、グラフ表示で足切りするとか、対数グラフにするとかすれば見方を操作できるし、グルーピングの仕方である程度メイキングできる。解釈の仕方は、例えば景気が回復したために上昇しているのか、景気と関係なく単なる社会情勢の変化で上昇しているのかと言うことである。変にこじつければ景気回復となるが、実体は景気と関係ないという解釈もできる。
統計の取り方に最も左右されるのは世論調査である。
はっきり言うと、調査すること自体が実体と異なる結果を生む。調査された方は何かの意図があると構えてしまうことになる。質問事項の選択肢の取り方も問題がある。該当しない場合も無理に選択しなければならないようなものは無効である。質問の真意がわからない曖昧な表現も無効である。心理テストでもあるまいし何となく勘で選択されたのでは正確な統計データが出るはずもない。基本的には世論調査を完璧にやることは不可能なのである。あくまで参考資料であり、世論調査がこうなっているからという理由のみで決定に持ち込もうというのは間違いであると思う。世論調査は国民投票(投票は是か非かであり曖昧さは全くない)ではないし、国民投票したら拒否されてしまうようなことを何とか説得させるために世論調査を有効に活用していると言った方が適当かも知れない。
処理の仕方で考えるべきは、マクロとミクロの取り方である。
天気予報で「この冬一番の冷え込みです」と言う表現があるが、私はいつもおかしいと思っている。おかしいと言うよりもあえて言う必要はないのではないかと思う。真冬に向かっているのであれば毎日がこの冬一番の冷え込みとなる。そして春を迎えると「この春一番の暖かさです」という表現になる。今日明日の見方をすればこういう言い方もあるが、我々がほしいのは例年に比して、シーズンを通してどうなのかであると思う。景気関連の指数も前年比、前月比が使われるが、下手をするとミクロばかりを見せられて悲観したり楽観したりしているのではないかと危惧する。10年20年のマクロの視点で見ることも必要と思われる。また、0.1ポイントの上げ下げに一喜一憂するのでなく、将来のあるべき姿を見据えた分析であってほしい。
解釈の仕方で考えるべきは、解釈である主旨と根拠を明確にすることである。
統計データはひとつの事実でありこれを歪曲したり無視することは許されない。歪曲や無視しなければいけないような統計データは最初から必要ない。統計データを単なる信憑性を高める小道具として飾っておくだけで、やっていることは全く別の解釈で進捗するというのは、手品のトリックとしては有効であるが、政治にこれを持ち込んだのでは詐欺である。少なくとも統計データに基づく解釈であることは明言すべきであり、誰の解釈であるか、どういう根拠に基づいて考え方はどうなのかはっきりさせるべきであり、酷なことを言えば反証データも提示しなければならない。有耶無耶は許されないのである。
しらけた言い方をすると、
世論調査などの統計データは、サンプルの数を多くすればするほど標準分布曲線に近づいて行く。例えば、絶対反対、反対、何となく反対、何となく賛成、賛成、絶対賛成を横軸にして白紙的に統計を取るとたぶんきれいな標準分布曲線になると思う。この標準分布曲線に影響を与えるのは、政府の公式見解であり、マスコミの論調であり、社会の風潮である。社会の風潮も主として政府やマスコミが作り出すものである。そうであれば、世論調査は政府やマスコミが主張していることがどれだけ国民に浸透しているかの確認行為ということにもなる。調査をする前の政府やマスコミの論調が中立的で建設的で全てを網羅していない限り本当の国民の世論は出てこないし、出てきても政府やマスコミの主張にうち消されて見えなくなってしまう。
物が動くことは商売人に金儲けをさせるためではない。
国民の利便性を高めるためである。それを国民の利便性と関係なく無理矢理物を動かそうとするとおかしなことになる。ごまかしも必要だし、無駄な投資も必要だし、結果としては国民のためにはならない。単に商売人が金儲けをして国民が損をしただけになってしまう。いつも損をするのは国民である。
政府が公式見解を述べると、その内容によって国民が動き始める。この公式見解が間違っていれば動いた人は損をする。その損分は商売人の懐にはいる。社会環境が変化しているのにこれを予測できないと今度は動かない人が損をする。この時政府は国民が動かないような公式見解を出す。損をするのは国民であり、商売人はすでにしっかりと対策を打っており損はしない。
デマ情報で国民を操るのは不義である。
経済を活性化するために物や相場を動かすつもりなら、具体的で有効な施策を打たなければならない。かけ声だけで動くと思ったら大間違いであり、かけ声だけの空手形ばかり出していたらいずれは信用されなくなる。そして、具体的で有効な施策の最終目的は国民の利便性であり、物や相場を無理矢理動かすことではない。物や相場を無理矢理動かしても(悪徳の)商売人が儲かるだけで、あまり国民の利便性には貢献しない。あくまでも国民が主導であるし、主導権を持っているのは国民である。政府が一方的に強制し統制し操作できると思ったら大間違いである。国民もこのことをよぉく認識すべきである。デマ情報をしっかりと区別できる判断力を国民一人一人が持っていればデマ情報は少なくなるはずである。
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