オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

野良熊

2024年03月06日 | Weblog
近くの郊外を20年以上ウオーキングしているが、

 観察していると、野良猫、野良犬は人間の住居近くにしかいないことに気づいた。特に野良猫は人家近くでしか見ない。犬は時々人里離れたところで見ることはあるが、リードが外れた迷い犬であることがほとんどである。何でだろうと考えてみると、野良猫、野良犬は人間とともに生きているのである。反対に言うと、人間のいないところでは生きていけないのである。本当の野生動物として狩猟しながら生きる術は失っているのである。そんな自然環境が失われているのかもしれない。

野良猫、野良犬を育てているのは人間なのである。

 人間と共生していると言ってもいいかもしれない。食料と棲み家を与えているのは人間なのである。よって、人間のいるところに棲み付いていると言える。「野良」とは平らな田畑のことであり、野や野原のことである。人間が開拓した土地に生活しているのが野良猫であり野良犬なのである。決して野生動物ではない。人間なしには生きていけない動物達である。ただ、人間にペットとして飼われていない自由な生活を謳歌している野良なのである。

雑草も人間が育てている。

 雑草の繁殖地域は人間の行動地域と一致している。人間が開拓して整備している地域に雑草がはびこっている。雑草は日当たりのいい開闊地を好み、他の野生植物と生存競争を繰り広げているが、人間が雑草として草刈りをすればするほど野生の植物は淘汰され生命力の強いいわゆる外来の雑草が生い茂ることになる。そのまま自然の生存競争に任せれば、鬱蒼とした草原になり、雑草は勢力を伸ばすこともできないし、やがては木が生えて林となり森となり日光がさえぎられて雑草は締め出されてしまう。

雑草を厄介者だとして嫌っているが、

 それを育てているのは人間なのだし、草原での繁殖力の強い外来種を持ち込んだのも人間である。そう考えると自業自得のような気がするし、雑草に悩まされるのも仕方ないとあきらめるしかない。森の中に分け入ると、除草もされていないのにほとんど草は生えていない。そして日当たりが悪くても生きられる常緑の低木や草やコケが勢力を伸ばしている。これが本来の姿なのだろう。林縁には多種多様な植物が生存しているが、いわゆる人間の言うところの「雑草」ではない。

道路沿いにも雑草が蔓延っている。

 そして、定期的に除草が行われている。考え方によっては人間がせっせと雑草を育てているようなものである。邪魔になるから除草するのだろうが、雑草にとっては生存のための競争相手が排除されたことになり、生命力を武器にして日当たりのいい環境でグングンと成長することになる。これを毎年繰り返しているのである。何とかならないものだろうか?我が家の庭でも同じことが言える。草取りをするから雑草が伸びるのだろうが、だからと言ってほったらかしにはできない。庭がジャングルになってしまう。

あちこちで熊が都市部に進出している。

 これこそ、野良猫、野良犬、雑草などと同じで、このいわゆる「アーバンベア」は野良熊に違いない。熊が人間と共生を始めたのである。人里には食料もあり棲み家もある。そうであれば冬眠する必要もない。冬眠は冬場は餌がないので、穴倉でエネルギーを使わないようにじっとして春を待つのであって、変温動物である爬虫類などの冬眠とは違う。爬虫類は体温が低くなると食物を消化できなくなる。そのためにエネルギー消費ゼロの仮死状態で周囲の気候が暖かくなる春を待つ。熊は餌さえあれば寒さにも耐えうるのである。

野良熊をなくすためには、

 人間との共生部分を絶たなければならない。このまま放置していたらこれが定常状態になってしまう。まずは、人家近くの熊の食料となるものを無くして、棲み家となるような人工物を無くすことだと思う。そして、もともとの棲み家である山中に熊の生きれる環境を保全してやらなければならない。あまり騒がれないが、野良イノシシや野良鹿や野良サルや野良ギツネなどはあちこちで人間と共生している。熊だけは凶暴だから許容できないと言わずに、大本の問題を解決すべきなのだろう。
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