オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

乾電池

2007年06月03日 | Weblog

乾電池はプラスとマイナスがくっついて機能する。

 夫婦や家族も同じような気がする。プラスはマイナスを引き付けマイナスはプラスを引き付ける。この場合は良いことがプラスで悪いことがマイナスの意味ではない。強いて言えばプラスが積極的でマイナスが消極的かもしれないが、プラスもマイナスも良い意味も悪い意味もある。世の中のものはプラスのものとマイナスのものに分かれるのではないかと思う。

積極的に引っ張る人がいれば引っ張られる人が必要だ。

 引っ張る人と引っ張られる人がいて世の中うまく廻る。引っ張る人ばかりでも引っ張られる人ばかりでも世の中はうまく行かない。パスを投げる人がいればパスを受け取る人がいる。そんな感じのプラスとマイナスである。強烈なプラスには強烈なマイナスが必要であるし、強烈なプラスには強烈なマイナスが引き付けられる。そしてプラスとマイナスがくっついて電流が正常に流れ機能する。

人間の社会生活は、電流を正常に流す事である。

 プラスが良くてマイナスが悪いというわけではない。プラスとマイナスがくっついて電流が流れることが重要なのである。いろんな人とくっついてプラスとマイナスの電流を流しながらいろいろな事象を成し遂げてゆく。電流が流れる機会がなくなると、プラスにもマイナスにも過大な電圧が蓄積して、あまり溜まりすぎると自らショートしたり発火したり爆発したりして自滅する。あまりに蓄積電圧の高い人には危険で近づけないし、接続した途端に大電流が流れて自分の電池も壊れてしまう。

引っ張る人は常に引っ張る訳ではない。

 時と場所に応じては引っ張られる人となる。常に引っ張っていたのでは疲れてしまう。引っ張られる人も同じで引っ張られるばかりではストレスが溜まってしまう。これをうまくコントロールして人間関係はうまく行く。いつも引っ張っているように見える人はどこかでしっかり引っ張られている部分がある。それが表に見えないだけかもしれない(奥さんが怪しい?)。

引っ張る人も引っ張られる人もお互いを尊重しなければならない。

 どちらが優位でどちらが劣位という訳ではない。両方の掛け合いで一つの行動が起こされる。引っ張る人も必要だし、引っ張られる人も必要だし、引っ張る人は引っ張られる人がいないと存在意義がないし、引っ張られる人は引っ張る人がいないと機能しない。この二つがうまい具合に調和している姿を見ると、なんとなく微笑ましくなるし、うまい具合にやってるなぁと感心する。誰が決めた訳でもない、それぞれの個人が一生懸命努力した結果、各人の個性に応じて最終的に調和の取れた状態に落ち着いているのである。理想的な姿だと思える。

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