オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

計画と実行

2019年08月01日 | Weblog
通常我々は何かを為す時まず計画を立てこの計画に基づいて実行する。

 少なくとも私の中では幼いころから習慣化しているし、そうすべきだと教えられてきた。長い間これを実践してきたつもりであるが、多くのものは計画通りにはならない。その時は発生した状況に適応して計画を変更してゆかなければならない。簡単で些細なことは計画通り終えることができるが、複雑で巨大なものはほとんどが計画通りに行くことはない。そして測り知れないものに対しては常に計画を見直し続け、いつ終わるとも知れない。

我々の人生がまさにそのものではないだろうか?

 よく「人生計画」などと言う言葉を発するが、言葉としてはあってもそんな計画はどこにもない。あるとしたら、生まれて、生きて、死んでゆくことくらいで、これに付随する漠然とした計画があるくらいであろう。その証拠に、今あなたが決心しようとしていることは、人生計画に基づいていますか?違うでしょう。短いレンジでの計画は存在するかもしれないが、「人生計画」などと言う一生の計画なんて具体的には存在しない。

生物の進化も同じである。

 進化の計画があって、その計画通りに進化したわけではない。ある発生した現象によって変化を強いられ、その変化にうまく適応したものが残されて繁栄し進化してきたのである。別に象は鼻を長くしたくて長くなったわけでもないし、キリンは首を長くしたくて長くなったわけではない。生物としての人間も同じで、今のような人間になりたくてなったわけではない。我々個人個人も同じことが言える。こんな自分になりたくてなったわけではない。

それでも与えられた課題に回答するように我々は適応してきたのである。

 その筋道はそれぞれに違っているし、だからこそ多様性があって一人一人に個性があるし自我も存在する。各人の過去の履歴そのものがその人の人格であり存在感であり自我である。そして、そんな中から自らの意識が生まれる。意識は周辺環境からの刺激に反応し生まれる。その意識は独特のものであるが、自分でも何故この意識が生まれたか理解できない。そしてその意識に基づいて行動するのである。行動した結果に基づいて新たな意識が生まれてくる。これの繰り返しである。

「PDCAサイクル」と言うビジネス用語がある。

 Plan(計画)Do(実行)Check(検証)Action(改善)で、これを回してゆくことである。ただし、これはどれから始めてもいいはずである。我々はどういう訳かP⇒D⇒C⇒Aと思い込んでいるようだ。「まずはしっかりと計画を作りなさい」と言われ続けてきた。別に実行から始めてもいいわけだし、実行して問題が生じれば、それを検証し改善しながら適応する手法もあるわけである。

実行から始めた方が瞬発力が高い。

 いつまでも計画にこだわっていては、一向に前に進まないし、具体的な問題点も明確にならない。計画が完璧であればあるほど、ほとんどの計画は無駄になるし、実際に使える計画はほんの一部である。一番最初の計画は方向性と目的・目標くらいで十分である。実際に実行してみてぶつかった課題に対して具体的な細部の計画を立ててゆくのである。これは机上の空論ではなく現実的に必要な実行計画である。

生物の進化はこの瞬発力を重視したのだろう。

 ところが、人間の生み出した「科学」なるものは、この「計画」を立てる事ばかりに終始してきた。理論であり、数式であり、定義であり、証明などである。これらは、全体を見渡す「計画」のようなものであるが、この「全体」が全てを表しているわけではない。全体の外に無限の空間が存在しているのである。科学の克服してきたものが全てであるというのは妄想に過ぎないし、科学が扱ってきたものはほんの一部にしか過ぎない。

人間にしても同じである。

 自分が意識している世界が全てだと思っているが、意識できていない世界がほとんどなのである。そして、その意識できていない世界から新たな発見をし、刺激を受け、新たな適応を繰り返しているのである。反対に言うと、意識している世界のみで生きている人は創造力も発展性もない、面白くもなんともない生ける屍のような人だとも言える。意識している世界を広げるためには、Do(実行)から始めなければならない。何だかわからないがとにかく始めて見ることである。

無意識の中から生じたものをまずは実行してみる。

 人間の中にも意識と無意識がある。無意識から生じたものは自分でも理解できないし説明することはできない。それでも身体は知らない間に動いている。その結果を体で感じることはできるが、ほとんどは無意識のまま行動している。問題があれば意識的に修正することも可能である。この、無意識から生じるものを大切にしたいものである。そして環境の意識できない領域からの刺激によって生じた無意識の行動にも気づくことのできる客観的な自分を持ちたいものである。

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