オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

Go to travell Go to eatの違和感

2020年10月27日 | Weblog
あちこちでキャンペーンと称してしきりにやっているけれども、何か違和感を覚える。

 果たして根本的な対策になっているのだろうか?新型コロナ対策になっているのだろうか?国民が旅行に行ったり外食することを自粛している根本の原因は国が地方自治体が自粛を強烈に要請したからである。そうであれば自粛を緩和すれば旅行も外食も少しずつ復活するであろう。そのためには、新型コロナに関する安心情報とセットで自粛の緩和をすればいいだけの話である。なんで大規模な予算を投入して全国レベルのキャンペーンを張らなければならないのだろう。

ブレーキとアクセルを同時に踏んでいる気がする。

 車のスピードはブレーキだけで調整できるだろう。必要もないのにアクセルを踏んでスピードを上げることはないはずである。こんなことをするから世の中は混乱するばかりである。経済対策とは言うが観光業界や外食産業を支援しても経済は立ち直らない。たぶん、キャンペーンが終わって金銭的支援が終わったら元に戻るだけである。やるべきことは、自粛規制をどれだけ緩和するかであって、国民がある程度安心して外出できる環境を作ることである。

新型コロナで困窮しているのは観光業界や外食産業だけではない。

 何故、「Go to travell Go to eat」なのだろう。どちらかというと観光業界や外食産業は市民生活を支える必要不可欠なものではない。我慢しようとすれば我慢できるものでもある。新型コロナはこの我慢する心を呼び覚ましてくれたし、我慢しても何も問題ないし、その代わりに身近に代替手段はいくらでもあることを気づかしてくれた。そのことを前提に観光業界や外食産業は新たな未来に向かって考え直さなければならないのだろう。

新型コロナにかかわらずパンデミックに対して誰もが適応してゆかなければならない。

 また、元の状態に戻すことが解決策ではないはずである。世の中、特に日本の国はあらゆるところで無駄な労力が多すぎると思う。これをこの機会をチャンスととらえてすべてを根本から見直して削ぎ落すことに努めなければならないと思う。これに成功すれば日本はもう一度立ち直れると思う。その無駄だった部分が巨大な日本国の借金として残されている。これ以上借金を抱えることはできない。

工夫をすれば観光も外食も業者に頼らないで自分なりに楽しめる。

 自分で工夫することが重要なんだろうし、その楽しみを覚えることがこれからは必要なんだろう。仕事についても同じで、自分の仕事をもう一度見直してよりよくするために工夫し改善することが重要であり 、その過程で前例、慣例、慣習でやっていた無駄なことも自然に削ぎ落されていく。見渡してみると何と無駄なことが多いのだろう。早くそのことに気付くべきである。そして、旧態依然に物事を行っていてはいつまでたっても変わることはできない。

日本が諸外国に後れを取っているのは、

 仕事に無駄が多いのである。決められたとおりに、決められたことを何も考えずにやることが仕事だと思っている。その無駄のために日本の生産に占める人件費はバカみたいに高くなっているし、無駄な労力も投入している。そのために世界の中で競争力を失っている。新興国はゼロスタートだから最低限必要なものしかない。無駄を削ぎ落した理想的な姿で経済力を高めている。日本も戦後復興期はそうだったのである。これにより高度成長を勝ち取ったのである。

ぜひ、皆さんの周りで無駄を見直してもらいたい。

 そして、本当に無駄なものはたとえ反対する者がいても、あるべき姿を明確にして、これを根拠に説得してゆく努力をするべきである。その努力をみんなが嫌がっていたのでは日本はこのまま没落してしまうだろう。見直しのレベルはいろいろあるだろう。個人であり、両親であり、家族であり、隣近所であり、市町村であり、地方自治体であり、国であり、最終的には世界なんだろう。もしかしたら宇宙かもしれないし、神の世界かもしれない。誰でも考えるだけはタダである。まずは考えることから始めよう。

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