ひとつの資格で仕事をしようとすると、全体のほんの一部の業務しかできない。
資格そのものは、ある分野に限定したものであり、その分野での最低限の能力を証明した資格でしかない。通常は資格だけで仕事はできないし、資格プラス相応の経験と能力が必要になる。そんな意味で「資格」はある仕事に従事するための入口に過ぎないし、最低限の関門にしか過ぎない。確かに資格にもピンからキリまであるし、合格率が低くて何年もかかって取得するような資格もあるし、資格だけで収入が得られるようなものもある。でも、私的に「資格」の考え方に対して何か違和感を持つ。まず、自分のやりたい事があって、これを実現するために「資格」を取得するんだと思う。高収入が得られるから、就職率が良くなるから、と資格を取得するのは本末転倒な気がする。
「資格」だけで求職をする個人、または求人に応じた会社は、基本的にはその資格で仕事をする。
最悪の場合は、最後までその資格を活用した仕事しかできない。そんな人生もいいだろうが、もっと夢のある、将来性のある就職をしたいものである。たまたま合格した「資格」で自分の能力を制限する必要はない。雇用において、確かにある資格を必要として求人している業種もあるが、その資格を活用できるポストに縛り付けられたら窮屈でしょうがない。就職後新たな資格を取得して職域を拡大する事は可能であるし、資格外の能力を認められて、能力を発揮する事も可能であるが、それは、ある単一の「資格」で仕事をしているわけではなく、新たなキャリアに乗っかって仕事をしていることとなる。新たな仕事に挑戦するために新たな資格が必要になるだろうが、これこそ本来の資格の活用法だと思う。
就職の時、「資格」を持っていることは有利である。
それは、持っていない人よりも持っている人のほうが有利なのは自明の理である。また、前向きに資格を取得しようとする積極的な生き方を証明してもらった様なもので、学歴や経歴を補完するものでもあると思う。でも、資格は資格であり資格が全てではない。同様に学歴や経歴も雇用基準の全てではない。反対に学歴や経歴や資格だけを雇用基準とする組織はあまり評価できないし、就職しても有意義な仕事ができるかどうか疑わしい。一時的な就職でそこそこにアルバイト的に責任のないポストでそこそこの収入があればいいと思っている人達であればそれでもいいかも知れないが、そうでない人達はよく考えてみる必要がある。自分が何をしようとしているのか、組織のために何ができるのか、最終的に何処を目指しているのか、そのためにどんな具体的な努力をしているのか、してきたのか、が問われると思う。
就職の面接で、過去の経歴を語る人が多いという。
「過去にこんな仕事をしてきました」「こんな成果を上げてきました」「こんな資格があります」「こんな能力があります」「こんな学歴があります」という自己宣伝である。そして就職もこの延長線上でやりたいと主張する。基本的には新規の場合も再就職の場合も白紙からのスタートであり、過去がどうであれ現在の自分が組織のためにどのように貢献でき、何をしようとしているのかが問われているし、組織としてもそこを判断基準にすべきだと思う。時々、即戦力の人材を獲得する事に躍起になっている姿を見るが、現在の即戦力は将来の即戦力外に通ずる。将来的にも戦力とするには、やはりその人の真の人物評価が不可欠であると思われる。「組織のためにどのように貢献でき、何をしようとしているのか」が現在も将来的にも確認すべきことだと思うし、その真意を明らかにすべきだと思う。
総合的な能力を証明してくれる資格はない。
しかし、就職に際して求められるのは総合的な能力である。どんな仕事を与えても精力的に挑戦してやり遂げられる能力である。「資格」はその判断基準のひとつにしか過ぎないし、その資格取得の課題に取り組んで見事合格した経歴の証明でしかない。「資格取得」という目標を別の目標にしてもやり遂げられる能力を持つと判断される。「資格取得」が困難であればあるほど能力が高いと判断するが、資格取得の能力がそのまま全て総合的な能力とはならないのも事実である。本当は学歴や経歴や資格にこだわらないその人の生き方そのものを評価すべきである(なかなか難しいだろうが・・・)。反対に就職する側も組織を選ぶ権利があり、いい加減な人物評価をする会社に将来性はないと思わなければならないし、そこで安易に妥協すれば自分を期待されていない組織に就職する事になり将来を誤る事になる。
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