オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

政治論争と報道の不毛

2011年11月12日 | Weblog
日本の政治論争を見ていると、反対派と賛成派に分かれて「賛成」「反対」だけで論争される。

 私は賛成だ、私は反対だ、と意思表明するだけで、中身がない。立場を明確にすることが目的のようであるが、ほとんどの人は立場を明確にしないで傍観している。たぶん形勢が決まったらそちらに乗っかろうとしているのだろう。「賛成」「反対」の声が大きいのは極端な賛成派と反対派で、その根拠は利害のみである。本質的な部分での論争はほとんどされない。そんなこととは関係ない現時点での損得勘定だけで賛成か反対かを争っている。何故反対か何故賛成かの理由を明らかにして具体的な論争が展開される事はない。たぶん、水面下では関係者が一生懸命に分析検討し論議しているのだろうけれども、その結果が国民に提示される事はない。「もの言えば唇さみし秋の風」「沈黙は金」で、何かを言えばみんなに袋叩きに合うだけだと思ってひたすら口を閉ざしている。総理大臣でさえそうではないかと思えてしまう。

TPP参加に賛成か反対かで盛り上がっているが、

 私に言わせると、参加して良くなるか悪くなるかは判らないのが正しい判断で、参加しなくても良くなるか悪くなるか判らない。結局は日本の国の将来(せめて10年後以上)をどうしようとしているのかを明確にする事が大切であって、TPP参加そのものが諸悪の根源でも最後の助け舟でもない。TPP参加の是非を問う事は、日本の将来を考えるきっかけにしか過ぎない。参加するなら参加した中で、参加しないなら枠外で個別に各国との交渉をしてゆく事になる。交渉に当たって最も大切な事は日本の国が将来どのような方向にどのような目的・目標を掲げて進んでゆくのかを明確にする事である。これがなければTPPに参加しても参加しなくても他国との交渉は相手の言いなりであり、なるようにしかならないで、最終的には不平等な結果を招いてしまう。日本にとって何が不平等なのかの判断基準さえない。個別に判断する事ではなく総合的に判断すべきであろうが、「総合」の部分がぜんぜん見えてこない。「総論賛成・各論反対」の「総論」さえ見えないのが今の日本である。

福島原子力発電所の事故についても同じである。

 私は、日本の技術力は素晴らしいと思っている。これだけの大事故が起こっているのに現時点で原子力に起因する死者は「ゼロ」である。事故対策のため現場では千人単位の人達が熱心に作業しているが、現在のところ放射線被曝で治療を要する患者も「ゼロ」である。現場の人達の高い技術力と使命感と管理能力にはただただ尊敬と感謝の念を持っている。発災当初、諸外国が200Km圏外に避難するよう指示したのはある意味では正しい判断であった。どちらかと言うと、日本政府の判断の方が間違っていたかもしれない。たぶん、パニック防止の判断が働いたのだろうがそれでも最悪の場合の注意喚起はすべきであったろう。最悪の場合は500Km圏内が放射能汚染され、多数の死者を出す(チェルノブイリの場合4000人)可能性があったにもかかわらず、これを局限化して、少なくとも今現在10Km圏内に閉じ込めることができているのは、東京電力の功績であり、現場の技術者や関係者の功労である。この東日本大震災後の対応に日本国民の優秀性と技術力と使命感と管理能力と高度な社会性と国民性を世界中が賞賛している。

なぜ、このことを政府が発表し、報道されないんだろう。

 諸悪の根源は原子力発電であり、東京電力であり、それを指導する国である、と徹底して袋叩きにするだけで、事故後の適切な処置による災害の極限に対する評価はほとんどなされない。たぶん、福島原発の10Km圏内は長期に渡って国土としては使用できないであろうことは推測できる。それなのに、誰もそのことを口にしない。報道もされないし、「死の町」と表現した大臣は辞めさせられた。誰も不幸な報告はしたくはないし、その当事者にはなりたくないだろうが、事実は事実である。事実を明確にすればその後の対策が見えてくる。国はこの10Km圏内の土地をすべて買い上げて、ここに全ての放射能汚染物質を閉じ込めておく処置をすべきだろう。それ以外の方法は考えられないし、福島原発は核反応が停止した状態で未来永劫閉じ込めたままにするしか方法がない。将来的には日本の放射能汚染物質の最終処分場にしてもいい。その方法を確立し、確実に処分できる事が日本の信頼回復になるし、総合能力と技術力を諸外国に見せ付けつることが日本の評価を上げる事にもなる。日本にとってはピンチでもあるがチャンスでもあるのである。

あとは、放射能汚染の人体に対する影響をはっきりさせてもらいたい。

 確かに臨床事例や統計データが少ないので、人体に対する影響は医学的に明確に確立されていないが、ある程度の限度は示せるだろう。これまでの研究で明らかになっているのは、人体に影響が出るのは1sv/H(「1」シーベルト時間単位)からである。1時間1svの放射線を浴びると身体に影響がある。ただし、3sv/H未満だと治療によりほとんど回復できる。私はこれが今現在の基準だと思っている。それなのに百万分の一のマイクロシーベルト単位の放射線が検出されて大騒ぎしている。確かに全く影響がないかと言えば「ゼロ」に越したことはないが、このレベルだと、他の原因による影響に埋もれてしまって判別する事さえ困難である。人体に対する影響の閾値というものがあるとすれば、成長期の児童や妊婦を除いて100msv/Hから500msv/Hくらいだろう。それなのに国は基準を年間1msv(1年間累積で1msv)としようとしている。閾値が大きくずれて単位が全く違うと言う気がするし、こんな基準を定めて実行可能なのだろうかと疑ってしまう。

この基準が何なのかの説明がなくて、数字だけが先行している。

 世論の反対で「5」から「1」になった経緯もある。一体何なのだろうと言う気がする。放射線量を累積して計測するのは、放射線管理を容易にするための手法で、低レベル(マイクロシーベルト単位)の放射線を長期間浴びていても人体への影響はないに等しい。少なくとも単位時間にミリシーベルト(msv)単位の放射線を浴びなければ影響はない。現にmsv/Hの放射線を出しているものに対しては対処しなければならないが、それ以外は放置しておくのが賢明である。低レベルの放射線を一箇所に集めると、濃縮されて高レベルの放射線を発生する汚染物質を新たに作り出してしまう。皮肉な事にこのほうがかえって危険性が増大する事となる。低レベルの放射線は除染しなくても自然に拡散して低減される。確かに福島原発事故で周辺の放射線量は増大するだろう。これがどのくらいまで許容できるのかを冷静に判断すべきであり、前の状態に直ちに戻せと言うのは無理な話であるし膨大な費用を必要とする。少なくとも低レベル(マイクロシーベルト単位)の放射線に対しては冷静な判断が要求される。

原発もTPPも賛成・反対の報道が繰り返されている。

 しかし、それ以上の論争に展開しない事にもどかしさを感じる。賛成してそのあとどうしようとしているのか、反対してそのあとどうしようとしているのか、何故反対で何故賛成か、それよりも現状の問題が何なのかの分析もなされていないし、将来に対する対策も明らかにされないままである。賛成・反対以前の問題が何も解決していないし、その部分は口を閉ざしたままである。私が思うことは、いろいろな事業は「保護」が全てをダメにしてしまう事である。保護する事により体制は硬直化し、閉鎖的になり、自己改革力も育たないし、競争力を失う。今日の日本の発展は大きな目で見れば鎖国をやめて諸外国と肩を並べて競争してきた結果であり、保護して閉鎖していた分野の功績はほとんどない。国が口出しし、保護した分野は結果的にろくな事になっていない。一時的な保護は必要であろうが、保護を前提とした事業は純粋な公共事業を除いて見直すべきだと思う。急激な変化は危険であるが、あるべき姿を目指して、徐々に変えてゆく心構えは常に持っておかなければならない。

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