オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

フェイクニュース

2020年03月26日 | Weblog
フェイクニュースが騒がれている。

 なぜフェイクニュースが存在できるかを冷静に考えてみる。それは、メディアがフェイクであってもニュースを拡散してしまうことであり、その拡散したニュースを全世界の人々が節操なく信じ込んでしまうためである。メディアでもそれを受信する個人でもフェイクであることを見破って、削除してしまえばフェイクニュースは存在しえない。ちょっと考えれば当然のど真ん中の常識である。

メディアはフェイクに対して監視機能を保有しなければならない。

 どこかの信頼できる組織から発出した情報であってもフェイクかどうかを独自に判断する責任と能力が必要である。ただ右から左に伝達するだけではフェイクを拡散する道具に成り下がっているだけである。その辺をメディアは認識しているのだろうか?私にはそう思えない。確かにメディアの報道をどのように受け取って判断するかは個人の勝手であり、個人に委ねられている。でもメディアの影響は大きいのである。

SNSなどからフェイクニュースが流れる場合がある。

 その時はそのフェイクニュースを打ち消す信頼できる情報を報道するのがメディアの仕事である。SNSのフェイクニュースに便乗してさらに拡散を促進させるようなことがあってはならないが、世の中の事実を報道する名目で、さらにフェイクニュースを拡散させる愚行がまかり通っている。考え直すべきである。メディアもしっかりした人格と独自の判断力をもって報道に従事しなければならない。

このニュースが正しいのか、フェイクでないのか、

 このニュースを流したらどのような影響があるのか、果たして報道する必要があるのか、報道するだけの価値があるのか、報道範囲が適切なのか、この報道に対する責任が持てるのか、信頼できる根拠の確認は終わっているのか、など確かめなければならないことはたくさんある。この過程を経れば少なくともフェイクニュースはほとんどなくなるはずである。そして、最終的に全世界中の個人が自分なりに真偽の判断を下せばフェイクニュースは撲滅できる。

フェイクニュースであっても、

 発表された事実をもって大々的に報道されればフェイクニュースも存在意義を持つ。フェイクニュースをぶち上げた者の利益が生じるし、そのためにフェイクニュースをぶち上げる。それで済ましてはいけないと思う。フェイクニュースを取り上げないメディアの健全性が問われるのだろう。そして、フェイクニュースがメディアで大々的に流されてもこれに左右されない個人のしっかりした常識と判断力が必要なんだろう。


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