オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

中田の引退宣言

2006年07月09日 | Weblog


面白い現象だと思う。

 通常であれば、マスコミが報道するのに、個人が報道してしまった。この頃は個人でマスコミと同じような報道手段を持つ事ができる。画期的だと思うし、マスコミは考え方を変えないといけないようだ。報道能力がマスコミの武器ではなくなった。いいことだと思う。マスコミもこれからの報道の仕方について考えなければならないと思う。私は常に現在のマスコミの報道姿勢はおかしいと思っている。

色々な事件が起きているが、

 果たして昔と今と変わっているんだろうかと疑問がわいてくる。1億以上の人間がいればいろんな人がいるし、昔も今も同じだったのではないかと私は思う。しかし、現代はマスコミの報道力が違う。一つの事件を即座に全国津々浦々まで知らしめる能力を持つ事ができている。昔はローカルの話題で終わっていたことが全国に繰り返し報道される。そうすると、いかにも自分の身近で日常茶飯事に起きている錯覚に陥るし、みんなで大変だ大変だと騒ぎまくっている。

時間は冷静さを取り戻す。

 どんな衝動的な事件であっても、時が経てば興奮は冷めやり、一体なんだったんだろうと思う事しきりである。マスコミは注目を集める事で目的を達成し後は知らん振りで、一般大衆は不安を募らせるだけである。この繰り返しのような気がする。だから、私はマスコミの報道は三分の一以上は眉唾で聞く。はっきり言うとある程度以上は聞くことも見ることも止める。選択権は個人の側にあるのである。そして、その後の経過を冷静に最後まで見守る。マスコミの言いなりになろうとは思わない。そこのところマスコミは少しは反省すべきだと思う。

世の中で流行している事と、個人が真に要求している事が乖離しつつある。

 私が今一番欲しいのは、電子辞書の大きさで電池で動作し、モノクロ液晶表示でテキスト入力のワープロ機能とSDメモリー記憶機能があって、使用時間が一週間くらいの操作性のいい入力端末であるが、どこを探してもない。考えてみると知識は文字で書いたものである。画像や映像は事実を伝えるものではあるが知識ではない。そして知識を裏づける手段に過ぎない。しかもテキスト入力だけで十分である。ぜひ早急に製品化してもらいたいと期待している。

マスコミ報道の正確性を点検する時、

 身近の自分に関係する事件についての報道をチェックしてみればいい。ほとんどが自分が直接感じているのと違う印象を持つはずである。大体が大げさで、本質的なことは勘違いしている場合が多い。確かに事実に間違いはないが、捉え方が違うのである。捉え方は色々あるのが現実だろうが、天下のマスコミを自負するなら少なくとも専門的・常識的な捉え方をするべきだと思う。最低限感情的な意見は慎むべきだと思う。感情的意見は自分の個人的なエゴに過ぎない。

そんな意味で、中田のブログ引退宣言は画期的である。

 マスコミの入り込む隙がないし、マスコミもブログの内容を報道するしか術がない。しかも、引退宣言は事実である。事実のみの報道である。通常であればマスコミはこれを大げさに脚色してセンセーショナルに書き立てるのであろう。そんな情報も与えられてないし準備の余裕もない。ある意味でいい気味である。中田からその後のコメントも一切ないのがこれまた子気味いい。これからの情報化社会の方向性を示しているような気がする。


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