オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

自分を大切にしよう

2024年01月25日 | Weblog

世界中の人が自分を大切にする心を持てば、世界は平和になる。

 誰だって自分は大切である。何を言っているんだとご立腹の方もいるだろう。でもよく考えて、冷静に客観的に自分自身に立ち返って問いかけると、どう考えても自分を大切にしているとは思えない。わかりやすく言うと、生まれたての赤ん坊のように真っ裸の自分で居れるかという問いである。確かに世界中の人が生まれたての真っ裸の赤ん坊であれば世の中平和になるかもしれないが、反対に困ったことになる。赤ん坊は周囲のことや他人のことを考えないで自分中心で利己的なのである。自分が生きるために必死で周囲や他人のことなど考える余裕がない。しかし、人間は成長するとともに他人と協調して生きることを学習し、社会的生活を始める。人間は社会的動物なのである。

自分を大切にする心とは何だろう。

 自分に自信を持ち、自分が好きになり、自分を愛することである。さぁて、我々が自分自身に立ち返って、自分に自信を持ち、自分が好きになり、自分を愛せるような生活ができているだろうか?ほとんどの人ができていないのではないだろうか?こんなことを言うと、赤ん坊みたいな利己的で他人のことを考えない困った人間に見えてくるが、そんな人は人間としての社会的な考え方が欠落している人であり、自分に自信があり、自分が好きになり、自分を愛しているのが周囲の、いや全世界のそれぞれの人間も同じであることに気づいていないのである。それに気づけば他人を大切にする心も育まれるのでのである。自分を大切にする心を持てば、他人の大切さも同じように感じることができる。そして、自分と周囲の他人は対等なのである。それこそ平等の精神であり、これを貫けば世界は平和になる。

何故自分を大切にできないのだろう。

 自分に自信が持てなくて、自分が嫌いで、自分を愛せないからなのだろう。自分に自信が持てないと、周囲や他人の意見に振り回される。自分自身を失うのである。周囲や他人がどうであれ、自分はこう思うという確固たる自信があれば振り回されることはない。自分が嫌いであれば、自分の中に不平不満が溜まり、周囲の他人にも同じように不平不満を持つことになる。不平不満を声高に言う人は、自分に対しての不平不満を周囲に対してぶつけているだけである。不平不満は自分の中にあるのである。自分を愛せない人は、自分の良いところも悪いところも含めて自分を理解していない人である。良いところばかりを愛して悪いところを愛していないかもしれない。人間は不完全な動物ではあるが、不完全な部分も含めて自分を愛さなければならない。不完全な部分を見つめて、さらに良くなるように毎日精進するのである。その努力をすることが、自分を大切にすることでもある。

自分を大切にできないのは、五感に頼りすぎることでもある。

 見たこと、聞いたこと、触ったこと、嗅いだこと、味わったこと、これらからの情報をそのまま鵜呑みにしてしまっていることでもある。五感は人間の心の入り口に過ぎない。本当に大事なのは人間の中の心であり、この心の動きに誠実に生きることが重要なのであり、最終的には自分の心に聞いてその心に忠実に従うのが自分を大切にすることである。確かに五感は大切であるが、これに頼りすぎると自分の心を失ってしまう。そしてまた、五感は錯覚しやすいものでもある。解ったつもりでいてもそれは一面的で、十分に吟味すべき情報なのである。これを吟味する能力は心の中にあり、いわゆる第六感ともいえるものである。この第六感は直感にも近くて極めて重要なものである。

両手、両足、口の使い方も考えなければならない。

 五感から入った情報に基づいて、短絡的に殴ったり、叩いたり、蹴ったり、突飛ばしたり、悪口を言ったり、暴言を吐いたりである。このことによって自分の中に起こっている問題は何も解決しないし、かえって問題をこじらせ拡大させるだけである。ほんとうに大切にしなければならないのはやはり「心」である。自分を鎧兜で防護して、強烈な武器で相手を攻撃しても、相手との関係は何も解決しない。お互いに傷つけ合ってもお互いに損するばかりであり、身体的な痛みが増すだけである。そうでなくて、相手と心と心を通わすことに意を用いなければならない。こちらの心が相手に通じれば相手の心も見えてくるのである。お互いの心がピカピカ光って見えるような状況になれば問題は即座に解決する。そのためには自分の心を磨いていつでも光っている状態にしておかなければならない。他人の心は自分ではどうしようもないのである。

自分の心は自分でもよくわからない。

 でも、五感の情報から自分に問いかけてみると、確かに反応があり、その答えが返ってくる。この最初の反応を大切にしなければならない。これこそが自分を大切にする心である。我々は自分そのものを隠して仮面をかぶって社会生活を行っている。これも社会生活を円滑にする手段であり方法ではあるが、常に仮面をかぶったままで生活することは自分を失ったことでもある。仮面の下にある自分をしっかり認識しながら社会生活を送らなければならないし、重要なことや最終的なことは自分で決めるべきであり、自分の意見として世間に対して発信すべきなのである。それが受け入れられなくても何も問題ないし、自分に自信があれば泰然自若として構えていることができるし、諍いも起きない。相手は相手なりの自分を持っているのである。思い通りになると考えるほうが間違っている。

世界に蔓延している膨大な情報はほとんどが自分自身の個人の意見は反映されていない。

 そうであれば、その情報に個人の意見を注入するのは自分自身である。そのまま鵜呑みにしてはいけないのである。そのまま鵜呑みにするから、うまく行かなかった時は他人のせいにしてしまう。そしてその不平不満ばかりが溜まってゆく。自分自身で考えて実行したのであれば、結果は自分の責任でもある。他人から喧嘩を吹っ掛けられた時も、自分自身に立ち戻って、なんで相手は怒っているのだろうと考えて、自分に非があればその部分を正してゆけば喧嘩は消滅する。相手もそれなりの考えと都合があると思えば、こちらからの怒りも治まる。別に相手を無視しているのでもなく、議論を省略しているわけでもない。大いに意見を戦わせていいのであり、この手順がないためにお互いに齟齬が生じて喧嘩に発展しているのである。世界で発生している戦争も同じような気がする。

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