逆境に立ち向かうことは真の精神力ではない。
逆境を跳ね返し、抵抗するのではなく、逆境を喜んで受け入れることが重要である。素直に受け入れることによって新たな感情が生まれ、その感情が強烈なエネルギーに生まれ変わってゆく。逆境が与えられたことを光栄に思えるくらいの度量があることが真の精神力を育てる潜在力となる。
スポーツ選手の成功のエピソードを聞いていると、
必ず強烈な逆境を経ている。逆境が彼を育て、逆境が強烈であればあるほど結果としてすばらしい成果を残すことができているし、その成果に満足する事なく自らさらなる逆境を課して次の目標を目指している。通常は、それほどの強烈な逆境を自ら課すことはできない。過去に強烈な逆境を与えてくれた神に感謝しなければならない。
通常の一般人は逆境から逃げる。
避けようとするし、逆境と戦っているように見えるが、逆境が自分の身に降りかからないように必死に拒絶しているだけである。逆境が本当に逆境なのかさえも定かではない。とにかく得体の知れないものとして徹底して退けようとしている。これを一般人は「逆境と戦う」と言う。
特別な人達は、逆境を受け入れる。
例えば、強烈に非難する人がいたとすると、その非難に耳を傾ける。こんなに熱烈に非難するにはそれなりの理由があるんだろうと思う。どうして非難されているかを真剣に考え、自分の非を見極め改悛する。そして、その非難する人の情熱を自分のエネルギーに変えてゆく。一般人はこんな非難からは目をそらし逃げて行く。
一般人は年を取ると「年だから」とあきらめてしまう。
特別な人達は、年を取ってもどこまで維持できるかに挑戦するし、その年齢で最高の成績を残せるように努力する。年齢や老化は逆境ではない。たとえ、両手両足を失っても特別な人は与えられたその逆境を受け入れ、両手両足を失った人としての可能性に向かって新たな挑戦をするだろう。これこそ本当の精神力だ。
特別な人達は、三つの能力をもっている。
まずは、徹底して自分を観察する能力である。自分で自分の状態を冷静に知ることができる。そして自分の長所や欠点、特に欠点を知り尽くしている。怠け心も驕りもなく冷静に自分を見つめている。自分を深く見つめれば見つめるほど精神力も判断力も適応力も強くなってゆく。
次の能力は、相手との良好な関係を築く能力である。
「敵を知り己を知れば・・・」の敵を知る部分である。相手の心が読める人のことである。思いやり、とか気配り、心くばりとも言われている。人間同士のつながりを大事にして相手を尊重できる心である。相手と自分を対等、平等な立場で冷静に見れる心であり、もっと言えば、相手の立場になって物事を考えられる客観性をもった能力である。
最後に、的確な状況判断力である。
我を知り、相手を知り、次には我と相手の状態を周囲の状況も含めて正確に認識し判断できる能力である。いくら個人が頭脳明晰で能力と知識があっても、この状況判断力がなければ空回りするだけである。特に周囲の状況を感知するセンサーの優劣は後の状況判断に致命的な影響力を及ぼす。
こう考えて見て、周囲を見渡すと、
無神経で無感動、未来を見通すことも努力することも自分の人生設計さえも持たない若者が跋扈している。未来志向でなく現在志向で、思考することも奉仕することも努力することも忘れているかの如くである。こんな人達ばかりだと、世の中は衰退するばかりである。少なくとも日本人の優秀な頭脳を働かせる文化は残したい気がする。頭の中には宇宙が広がっている。その広がりは世界をも席巻できる。
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