オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

庭の草むしり(音声入力)

2021年07月14日 | Weblog

音声入力を使って下記の文章を作成した。
音声認識も昔に比べ進化したものである。十分に実用の域にある。
ただ、音声入力の場合、文章がつぶやきになる。
頭に浮かんだものをそのまま言葉にしているため、推敲されることはない。
その分、本音が出ているのではないかと思う。
拙文で申し訳ないがそのまま記す。

庭の草むしりをしている
果たして充実した時間なのだろうか
私には時間の浪費に思える
自宅の庭を快適に過ごすように整備することはいいことである
これも私の人生の中で重要なことかもしれない
誰のために庭を整備するのだろう
家族のためである
隣近所の周囲の人たちのためである
家を訪れてくる人たちのためである
決して自分のためではない
自分のためであれば自己満足以外の何物でもない
充実した時間とは他人のために貢献することである
そして多くの他人がそのことを喜んで感謝してくれれば
充実感は2倍にも3倍にも4倍にも5倍にもなる
今現在、庭の草むしりに充実感を覚えないのは、
草むしりをしても感謝する人が少ないからである
感謝するであろう家族は妻一人となった
この妻は感謝するどころでなく雑草をどうかしろと文句ばかり言う
やる前からやろうとする気力を失ってしまう
当然やった あとも、 当たり前のこととして感謝されることもない
私が草むしりは時間の浪費と思える所以である
このような事象はあっちこっちに見られる
年を重ねれば重ねるほどこのような事象が多くなってくる
結局は社会生活の中で関係する人たちが少なくなってきているのだと思う
多くの人から感謝されることが少なくなってきているのだと思う
解決策としてはできるだけ多くの人の中に入り込んで行くことである
そしてその中で自分なりに活躍できる場を見つけることである
たとえ評価されなくても感謝されなくてもバカにされてもいいではないか
そんな挑戦をすることを忘れているのかもしれない
そんな挑戦をすることはすでに終わってしまっていると思っているのかもしれない
もう若くはない耳の奥からそんな囁きが聞こえる
いい年をしてと周囲のものからそんな囁きが聞こえる
この囁きは吹き飛ばさなければない
少なくともこのささやきの半分は聞き流さなければならない
後の半分は 自分でよく考えて挑戦できるものを見つけ出さなければならない
そしてその見つけたものを具体的現実的に実行しなければならない
話だけで終わらせてはいけないのである
そうすれば自分の世界は広がっていくし周りから評価され感謝されることも多くなってくる
庭の草むしりをしながらそんなことを考えた


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