オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

日本人の風潮はどこに軸足を置いているんだろう?

2015年02月09日 | Weblog
冷静になって考えてみると、よくわからない。

 西洋なのか東洋なのか日本国なのか?まさか中近東やアフリカではないだろう。明治維新以来日本は先進国の西洋を目指し西洋に憧れていた。日本の文化は古臭くて西洋の文化は近代的で理想的だと思い続けてきた。それでは、すべてが西洋かぶれになっているかというと、そうでもない。全く西洋人と同一になることには抵抗があり、恥ずかしさと躊躇があってなりきれない部分がある。その文化をずっと続けてきた気がする。どっちつかずで中途半端な気がするのは私だけであろうか。

どっぷりと西洋に漬かってみればいいと思う。

 西洋を理想とするのなら、すべてを西洋で染めてしまえばいいと思う。お辞儀をする文化を止めて握手と抱擁と接吻の文化を取り入れればいいと思う。できないのなら強制でもいい、法律で規制してもいい。一度徹底してやってみればいい。そうすれば日本なりの握手と抱擁と接吻のやり方が育まれて、文化は定着し発展してゆくだろう。握手と抱擁と接吻の文化が受け入れられないなら、西洋を憧れることを止めて、日本のお辞儀の文化を採用して発展させていけばいいと思う。何も日本のお辞儀の文化を古臭いものとして卑下する必要もない。

上記は一例であるが、すべてに関して言える気がする。

 西洋を理想とし日本を卑下する風潮は日本人の自信そのものを喪失していると危惧するのは私だけであろうか?そして、中途半端でどっちつかずなのである。上っ面ばかりを西洋もどきにすることにご執心で、西洋文化そのものを理解し自分のものとすることはない。なぜならば、その文化は自分たちで作り上げたものでなく、自分たちで勝ち取ったものでもない。受動的に仕方なしに受け入れたものである。ゆえに徹底的に西洋に染まることには恥じらいがあり躊躇してしまう。

年輩の人達はまだいい。

 日本文化に染まった人達から日本文化を継承しながら育って、ある程度日本文化に軸足を置いて西洋文化を取り入れてきた。しかしながら、これ以降の若者達は卑下され古臭いと言われ続ける日本文化の下で西洋文化に染まっている。そんな環境で日本人に誇りを持ち自信を持ち続けることは難しい。かといって生粋の西洋人になることも難しい。中途半端でどっちつかずの世代が育ちつつあると思う。何とかしなければならない。

ひとつの解決法は日本文化を見直すことである。

 だからと言って、明治以前に帰れと言うわけではない。日本文化の悪いところを改善して良いところを取り入れるのである。良いところまで捨ててしまったのが問題である。良いところまで捨ててしまったので日本人の本質的な部分が失われてしまった。本質的な部分が失われなければ、西洋文化を取り入れても「日本人」が失われることもないし、誇りと自信を取り戻すことができると思う。世の中も住みやすくなるだろうし、安心して世渡りができる社会が実現すると思う。

たとえば、言葉使いである。

 尊敬語や謙譲語、丁寧な言葉使い、相手を思いやる言葉使い、一語一語の語句を理解し使いまわせる語学力・表現力、過去の歴史や慣習に基づいた話術、などなどである。これらを古臭いと捨ててしまったからコミュニケーションがうまくいかなくなっている。言葉を発すればギスギスした喧嘩腰の一方的な主張しかできない人達に穏やかな人間関係が育つ訳がない。だから、親殺し、子殺し、通り魔殺人、家庭内暴力、校内暴力、各種ハラスメントなどが発生するのだと思う。加害者意識丸出しの人も被害者意識丸出しの人もお互いに考え直さなければならないと思う。

付け足しではあるが、

 このごろ何でも「ハラスメント」と騒いでいるが、「ハラスメント」とは人間を家畜や犬畜生扱いすること(家畜などを鞭で追い立てけしかけること)である。ちょっとでも非難され不快感を覚えれば「ハラスメント」と騒ぎ立てるのにはとっても違和感がある。あまりに「ハラスメント」と騒ぎ立てると、積極的には何もできなくなり本来のコミュニケーションに支障が出てくる。被害者側も「ハラスメント」と騒ぎ立てるだけでなく、知恵を働かせてその場で何とか解決策を考えていかなければならないと思う。それがコミュニケーションの一環でもあるはずである。何もしないで泣き寝入りすることはない。


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